「デビュー当時から怖かった」松本明子ですらピリつく「渡辺プロの大先輩」実名告白

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2025年05月17日 06:01  web女性自身

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「渡辺プロは芸能界の総本山であり“芸能界の比叡山”です。プライド、品格もありますし事務所の名に恥じないような自分でなければならない。渡辺プロ所属の誇りを感じています」



そう神妙に語るのは、“元祖バラドル“として長年活躍している松本明子(59)。所属するワタナベエンターテインメント25周年を記念したコンサート『ワタナベ25thコンサート ハッピーバースデー&サンキュー』が6月に開催される。今年は同事務所の前身・渡辺プロダクションが創立70年という節目。そこでコンサートに出演する松本に渡辺プロ秘史を聞くべく、デビュー当時を振り返ってもらうと……。



「デビューできたのは良かったのですが、デビューしてすぐに“言ってはいけないこと”を生放送で言ってしまいまして……」





「アイドルとしての格差を感じていました(笑)。レコードも全く売れず、全国のレコード店やデパートの屋上で歌うキャンペーンばかりでした。ただ、ありがたいことに当時、一人だけ私を応援してくれる“親衛隊長”がいらっしゃって、その方が売れっ子アイドルたちの親衛隊員をサクラとして借りてきてくれたんです。人気があるように見せてくれたおかげで徐々にお客さんが増えていき仕事も入ってきました。この方は42年経った今も応援してくれています」



そして1984年に事件は起こる。松本は『オールナイトフジ』(フジテレビ系)と『笑福亭鶴光のオールナイトニッポン』(ニッポン放送)がコラボしたテレビとラジオの二元生放送中に“放送禁止用語”を連呼してしまう。



「(片岡)鶴太郎さんと鶴光師匠が悪ノリして“この言葉を言うと有名になれるよ”と言ったことを信じてしまいまして……。何となく言ってはいけないと思いながらも、“これを言ったらおいしいのかな”“何か爪痕を残したい”……当時の私は売れるためにすがるような思いでした。しかし、言った瞬間にスタッフに羽交い絞めにされてスタジオから出されるとマネージャーにタクシーへ押し込まれて寮に帰されました。寮に戻って“これは大変なことをしてしまった”と落ち込んでいると翌日から仕事のスケジュールは白紙に。スポーツ紙ではなく一般紙の社会面に《新人歌手、放送禁止用語発言》という見出しが出てしまいました。両親は伝手を使って地元・香川県のテレビ局で娘の晴れ姿になるはずの生放送を観ていたそうですが、私の発言に椅子から転げ落ちたそうです(笑)」






■「恵さんとは息子同士が同じ学校に通い、PTAも一緒」



翌日から謹慎生活に入ると毎日寮と高校の往復生活に。休みの日は寮の近くのベンチで一日中涙を流して過ごす日もあったという。そんな松本に声をかけたのが事務所の後輩・中山秀征(57)だった。



「中山さんは何度か泣いている私の姿を見ていたそうで、ある日“歌手班は厳しいと思うのでバラエティー班に移ってきませんか”と声をかけてくれて。渡辺プロのバラエティー班は当時出来たばかりでしたが、中山さんやホンジャマカさんなど若手タレントが月一回ライブをやり、コントやセリフの勉強会などもやっていました。



歌手を目指して上京してきただけに、戸惑いもありましたが、バラエティー班に移り、必死で中山さんたちについていきました。当時から一人しゃべりの組み立て方は恵(俊彰)さんがダントツに面白くて。石塚(英彦)さんはもともと劇団にいたこともあって芝居の台本を読むのが上手い。中山さんは歌もしゃべりも上手く、彼の周りにはいつも人が集まり笑いが絶えなかったです」



その後、1990年代には『進め!電波少年』(日本テレビ系)をはじめ人気番組の司会やレギュラー出演を務め、明るく親しみやすいキャラクターで人気を博すことに。1998年には俳優・本宮泰風(53)と結婚。現在までに女優やコメンテーターなど幅広い分野で存在感を示している。そしてこれまで松本を支えてきたのはやはり事務所の仲間たちだった。



「恵さんは息子同士が同じ学校に通っていてPTAでも一緒でした。家族ぐるみの付き合いですね。石塚さんとは今も座長ライブに出させてもらい、かれこれ40年来の付き合いです。家族にも言えないことやマネージャーにも相談しづらいことをまず中山さんに聞いてもらい、私の目線になって指示、指導してくれています。みなさん家族のような、兄弟のような感じですね」



ワタナベエンタ―テインメントの前身となる渡辺プロダクション時代からすでに40年以上も所属する松本は事務所の顔の一人。しかし彼女にも恐れる大先輩が――。



「デビュー当時から中尾ミエさんが怖くて(笑)。礼儀作法に厳しく、当時から事務所に行くと真っ先に挨拶に行き、とにかく失礼のないようにしていました。社員もタレントにとってもピリつく存在です。中尾さんには“新曲の譜面が前夜に届いても翌日の収録には歌えるようにしときなさい“”何事も出来ないと言わない“と教えられました。長きにわたって色々な場面でお会いしていますけど、本当にここ10年くらいですかね。中尾さんに話しかけられるようになったのは(笑)。中尾さんは私の旦那の兄・原田龍二さんと一緒に温泉へ行ったりしている間柄でもあるので、私のことも気にかけてくれて、いまでは家族でお世話になっています(笑)」



後輩たちとの交流も盛んにおこなわれ、背中を押してもらうこともある。松本いわく“事務所全体で仲がいい”と胸を張って言う。



「これからはチャンスがあれば、夢半ばで折れてしまった歌の方も一生懸命やりたいと思っています」

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