「人生詰んだ」30代のALS発症 絶望の中で必死に探した「自分らしい生き方」 視線入力パソコンを活用して普通のアラフォーの毎日

3

2025年05月18日 11:10  まいどなニュース

  • チェックする
  • つぶやく
  • 日記を書く

まいどなニュース

精力的な日々を送る、もっちーさん

「病気が発症したのは、30代前半の頃。正直、人生詰んだ…と思いました」

【写真】教師をしていたため、卒業生を送り出してから検査入院へ…病気の特定には時間がかかりました

現在41歳のもっちーさん(@motchyALS)は、筋萎縮性側索硬化症(ALS)。30代を謳歌しようと思っていた矢先、ALSを発症し、絶望的な気持ちになった。

だが、“ある出来事”を機に自身の生き方を深く考えるように。現在は福祉制度や視線入力できるパソコンを活用しながら、自分らしい日々を送っている。

最初の異変は“利き手の小指の動き”に違和感を覚えたこと

ALS(筋萎縮性側索硬化症)は手足や喉、舌、呼吸に必要な筋肉が徐々に痩せ、力がなくなっていく進行性の指定難病だ。

原因は、まだ十分に解明されていない。中年以降いずれの年齢でも発症することがあり、最も発症しやすい年齢は60〜70代であるそうだ。

もっちーさんの場合は、30代前半で発症した珍しいケースだった。最初に異変を感じたのは、2016年の夏。利き手の小指の動きが鈍くなった。ただ、当時はジムに通っていたため、激しい運動や筋トレで怪我でもしたのかもしれないと思ったという。 

だが、1年ほど経った頃から、ペンや箸が持ちにくくなり、利き手だけよく物を落とすように。もしや、脳梗塞かもしれない。不安になり、近所の脳神経クリニックを受診するもMRIでは異常が見つからなかった。

だが、握力が低下し、手の動きが悪いことから医師はALSの可能性を指摘。もっちーさんは、紹介された大きな病院で精密検査を受けることになった。

30代前半で「ALS」が発覚して…

紹介先の病院では、ALSや脊髄性筋萎縮症(※脊髄の中にある筋肉を動かすために働くは細胞が変化して手足などの筋肉が弱くなっていく病気)などを総称する「運動ニューロン病」であると診断された。

だが、年齢的にALSの発症は考えられにくかったため、様々な検査を受け、県の総合病院も受診し、病名の特定に励むことに。最終的に、ALSであると診断されたのは、2018年4月のことだった。

病名を聞いたもっちーさんは、絶望的な気持ちになった。

「それまでの私にも大変なことや苦労することは人並みにあったけれど、やりたい仕事に就け、没頭できる趣味もあり、大切な恋人もいる人生でした。だから、ショックというか、お先真っ暗だなと…」

病気のことを人に話すだけで涙がこぼれる。そんな日々を変えるきっかけとなったのは、父親が脳梗塞で倒れたことだった。それは、もっちーさんがALSと診断された2週間後のこと。

父親は、早くに母親を亡くしたもっちーさんをとてもかわいがり、病気を告げた時には「辛かったら帰って来い」と言ってくれていた。

父親は体に麻痺が残り、意思疎通がままならない状態に。その姿を見た時、もっちーさんは「人生は急に、どうにもならなくなってしまうんだな」と実感。ALSの受けとめ方が変わった。

「父と比べて私はどうか?とも考えました。たしかに思い通りにならなくて悔しいこともあるけれど、考えて意見を言うことはできるし、やり方を工夫したり、人に助けてもらったりすればできることもあると思えるようになったんです」

そこで、まずは思い切ってSNSで病気を公表。「何をしたらいいか?」「助けて」と発信したところ、具体的なアドバイスが多く寄せられたことで「人に頼ってもいい」と思え、「出来ることややり方を探そう」と、より前を見て生きられるようになっていった。

視線入力できるパソコンを活用して築く「自分らしい日常」

確定診断から7年、幸い病気の進行はスローだ。だが、四肢の筋力低下により自力では立てず、寝返りも困難に。物を持つこと、腕を動かすことも難しくなった。

「ただ、麻痺は感覚がないと思われがちですが、熱い・冷たい・痛い・かゆいは分かるんです」

嚥咀や嚼下がしにくくなったことから、2021年には胃ろうを造設。普段は細かく刻んだものやゼリー状のものをメインに摂り、足りない栄養は胃ろうに栄養剤を流している。

ALSは現代の医学では根治が難しく、病気の進行を遅らせることが主な治療となる。しかし、もっちーさんの場合は治療薬が体に合わず、点滴も血管に刺さらなくなってしまった。

そのため、今は関節が固まらないようにリハビリをしつつ、2024年に承認された新薬を筋注射している。

現在は重度訪問介護サービスと訪問介護サービス、介護保険サービスを利用し、ほぼ毎日24時間ヘルパーがいる状態で過ごしている。重度訪問介護サービスは、介護保険サービスの訪問介護より自由が利くことが多く、助かっているそうだ。

「寝たい時に寝かせてもらえて、外の空気を吸いたい時には近所へ散歩に行ける。介助を受けながら自分らしく生活できる重度訪問介護というシステムを作り上げてくれた障害当事者の先輩方には感謝しかありません」

病気の進行により発話も困難になり、慣れた相手でないと言葉が伝わりにくくなったが、文字盤や口文字(※口の形の読み取るコミュニケーション法)、視線入力できるパソコンを介して会話をしている。

「視線入力は、喋りが聞き取りにくくなってきたタイミングで訪問看護師さんが業者さんを紹介してくれました。かかりつけの病院で体験できたので言語聴覚士と特訓して市に補装具としての申請をし、自宅で使えるようになったんです」

もっちーさんは、視線入力ができるパソコンを使って仕事もこなす。Wordでの原稿執筆、イラスト製作、画像編集など、できることは幅広い。講演を頼まれた際はパワーポイントで資料を作り、ソフトで作ったナレーションを張り付けて臨む。

「私は、なりたい自分になるため様々なことに首を突っ込んでいるだけで、他は至って普通の人。『あれ取って』が伝わりやすいように目からビームが出るデバイスが登場すればなあ…なんて考えることも(笑)健気に病に立ち向かう…なんて、私にはおこがましい言葉です」

40歳未満でALSが発症して直面した「福祉の壁」

死ぬ瞬間に「良い人生だった」と思えるよう、これからもやりたいことが叶うように調べて考え、行動していきたい。そして、必要な時は助けてもらえるように周りを説得して後悔なく生きていきたい。

そう思うもっちーさんは、ALS当事者を取り巻く福祉制度がより良いものになっていくことも願っている。

自身が最初の壁だと感じたのは、必要な情報や福祉サービスを自ら探さねば得られないことだった。闘病中に自力で情報を調べ、相談員やケアマネージャーと繋がり、自分の意志を市町村に伝えるのは大きな負担だ。

「だから、病気になった段階で必要な情報が記された冊子が貰えたり、ケースワーカーとの面談が必須になったりしてほしい。持病に関する情報をひとりで頑張らずに得られたら、生きることを諦めなくなる患者さんもいるかもしれません」

また、40歳未満は介護保険サービスが受けられない現状も、もっちーさんにとっては大きな問題だった。病気の発症後に福祉用具をレンタルする際に保険適用外となり、全額自己負担となったからだ。

「市の補助金を使って購入することはできますが、私のような進行性の病気だと申請が通るまでに進行してしまいますし、仮に間に合ったとしても、すぐ使えなくなってしまうこともあるんです」

また、一般的な介護事業所の場合、地域によっては夕方から夜間に介助してくれる事業所が少なく、当事者にとっては心細さに繋がる。そのため、もっちーさんは自身でヘルパーを募集・採用する「自薦ヘルパー」というシステムを使った。

だが、根本的な解決を願い、ヘルパーなど介護職に就く人たちの待遇が社会的に良い方向へ変わっていくことを望んでいる。

「私の頭の中は、一般的なアラフォー。くだらないことで笑い、毎日の献立に頭を悩ませ、年々増える頬のシミにうんざりしてます(笑)普通の人と何も変わりません。」

そんなもっちーさんの言葉に触れると、健常者と障害者の境界線はどこにあるのだろうかと考えさせられもする。常に「今」を生き続ける、もっちーさん。彼女の生き方には、人生を謳歌するヒントがたくさん詰まっている。

(まいどなニュース特約
・古川 諭香)

動画・画像が表示されない場合はこちら

このニュースに関するつぶやき

  • ストレスは本人にしかわからんのやから介錯を案の一つとして提案できないとダメ
    • イイネ!0
    • コメント 0件

つぶやき一覧へ(2件)

前日のランキングへ

ニュース設定