
5月17日に行なわれた個人総合で争うNHK杯体操女子で、杉原愛子が10年ぶりに優勝を果たし、世界選手権代表に内定した。
2度のオリンピック出場の実績、2022年に引退を表明し、1年後に競技復帰を果たした杉原はなぜ再びトップステージに戻ることができたのか。
本人の言葉を中心に分析する。
【難度の高い構成に込めた反映した自身の競技人生】
4月に行なわれた全日本選手権の予選・決勝の合計得点を持ち点とし、10月の世界選手権代表の座を競い合った5月17日のNHK杯体操女子。2015年以来10年ぶり2回目の優勝を果たした杉原愛子(株式会社TRyAS)は、感慨深げに次のように話した。
「10年前に高校1年で優勝した時は、自分自身も驚いていました。実感も湧かない状態での表彰式でカップをいただいて『あっ、重たい。うれしい』と思ったのと、男子で優勝した内村航平さんに『お疲れっ』と言われたことを鮮明に覚えています。
|
|
今日は自分自身も優勝できると思ってなかったんですけど、10年前のカップの重みをまた感じることができた。年齢も上がっているのでいろんなことを考えてできるようになっているからこその成長もあるし、エクセレント賞(全日本決勝とNHK杯の演技の出来栄えを得点化するEスコアの合計1位)もいただいて、基本の大切さという部分も証明できたのではないかなと感じました」
2016年リオデジャネイロ五輪と2021年東京五輪には団体に出場し、4位と5位になっていたが、2022年6月の全日本種目別選手権のゆか出場で競技にひと区切りをつけていた杉原。体操競技の普及を目的にした株式会社TRyASを立ち上げて指導者としても活動していたが、外部から見ていた体操が楽しそうだと思うようになり、2023年6月の全日本種目別選手権ゆかで復帰し、優勝という結果を残した。
昨年はパリ五輪出場を目指したが、NHK杯は5位で代表に一歩届かず補欠に。宮田笙子の出場辞退がありながらも、エントリー期間が過ぎていたため出場できず、帯同しただけに終わっていた。
だが、今年は4月の全日本選手権ですばらしい演技を見せた。予選でパリ五輪個人総合11位とエースを狙う立場になった岸里奈(戸田市スポーツセンター/クラーク国際高校)に0.067差の2位につけると、決勝では最後のゆかでミスをしたが0.933点差で2位に。個人総合上位2名が世界選手権個人総合代表に決まるNHK杯には、代表争いの対象となる3番手にも1.900点差をつける優位な立場で臨んだ。
それでも「優勝は考えていなかった」と話す杉原。
|
|
「来月のアジア選手権に出場するメンバーが一緒に1班で回っていたので、個人的にはチームの雰囲気も出しながら試合を想定して考えることができました。それもいい試合ができたことにつながったと思います」と言うように、アジア選手権代表の岸や川上紗輝(ZERO体操クラブ/ふじみ野高校)、中村遙香(なんば体操クラブ-ngc/相愛学園高校)との演技も楽しみ、終始、余裕を持った演技を見せた。そしてトップに立つ岸がミスで得点を伸ばせなかった平均台も着実な演技をして0.200点差まで詰めても、その心境は変らなかった。
杉原が得意にする最後のゆかは、全日本の決勝ではミスをして得点を落としてしまったアクロバット4本の難度の高い構成に挑戦するものだった。
「私自身、ゆかの振りつけや曲を作る前にストーリーを作り、主人公が誰でどんなキャラクターを演じるのかを最初に考えます。それで今回は杉原愛子という主人公を選択しました。
今までやってきた自分の体操人生を描き、最初は品のある美しさを残しつつもひとりで演技している不安や葛藤、特に床をバンバン叩いて悔しさを演じる。その後の曲調が変るところからは『私はひとりで演技をしているけど、たくさんの人に支えられて今体操ができているんだ』というのを気づき始め、そこからどんどん楽しくなって大好きな体操を取り戻す。
自分も楽しみながら、観客の皆さんにも楽しんでもらいたいと手拍子の煽りの演技を入れたりしました。最後のポーズは王冠ですが、女王になるというストーリーを組んでやっています。喜怒哀楽というか、前回とはまた違ったストーリーの表現になっていると思います」
|
|
そんな思いを伝えようとする演技は、アクロバットの着地もしっかり決める安定したもの。Dスコア5.8の構成で、Eスコアは全体最高の8.133点を獲得。ひとつ前の平均台の失敗から立て直す演技をした岸を0.033点抑えて優勝を果たし、世界選手権個人総合代表を決めた。
【休む勇気がさらなる成長に】
「私自身、3年前に1回競技にひと区切りつけてから復帰しました。(若いうちから)競技をやっている選手たちには特にわかると思うけど、体的にも精神的にもつらい部分が多いと思います。なので逆に1回休むっていうこと(選択肢)も......今回10年ぶりに優勝したというのは、(競技を)休む勇気も大切だっていうことを伝える意味にもつながっていると思います。
あとはやっぱり体操をメジャースポーツにすることが一番目標なので、今日はたくさんファンの皆さん、観客の皆さんが来てくれたのですごくうれしかった」
こう話す杉原は、10月の世界選手権へ向けての意欲もこう語った。
「個人総合での出場は2017年ぶりになりますが、まずはケガをしないことを目標にしてやっていきたい。あとは、得意としているゆかでメダルを狙いたいという大きな目標を立てながら世界を見て、戦略を組んで出ていきたい。
今季の大会を見た感じでは、Eスコアの表現などの部分の減点が厳しくなっていると思うからこそ、Eスコアの部分をもっともっと磨きたい。今日は8.1点だったが、8.3点、8.4点を狙っていきたいなと思います。またDスコアの面でも水平ターン2回や足持ちターン3回をきっちり決めて、今日落とした0.1点を拾うことを練習課題としてやっていきたいです」
4月からは東大阪のアインス体操クラブを拠点にしているが、東京で仕事がある時にはNTC(ナショナルトレーニングセンター)で合宿を組んだり、試合前は大学の施設を使わせてもらうなど、練習場は転々としている。そんな環境でも競技を長く続けられる要因を、杉原を指導する大野和邦コーチに聞くと、「何よりも本人が、体操好きで楽しんでいるから」とし、こう続ける。
「体の動かし方もそうですが、巧みさというか熟練度はどんどん増している。筋力が強くなったというより、動かし方が上手になった。自分の個性や強み、弱点もわかっているので、『この弱点をちゃんと解消して』ということも考えたり、いろんな意味で効率がよくなり、質の高い選手に成熟しているのかなという印象です。
本人も『ゆかで世界と戦いたい』という気持ちが強いが、今回は前回ミスしたところを一つひとつ成功させただけではなく、見に来てくださっている方々へのメッセージとして、ターゲットをちゃんとオーディエンス(観客)に向け、きちんと演技ができているという面では、彼女は突出していると思う。
もう完全に自立している選手なので、僕はちょっと足らないところのアシストをしたり助言をしたりという程度。自分でプログラムを立てて淡々とやってこの成果なので、ただただすごいなと思っています」
29歳になる年にある2028年ロサンゼルス五輪は、「その過程の厳しさも知っているゆえに簡単に『目指します』とは言えません」と現段階での率直な気持ちを表し、「ただ、2026年に名古屋であるアジア大会は目指したい」と話す杉原。
一時休養を挟んでトップシーンに戻ってくるという、これまで日本の女子体操にはなかった新たな道筋を、さらにどう切り開いていくか。興味は尽きない。
- webスポルティーバ
- webスポルティーバ 関連ニュース
- 馬淵優佳が超保守的な自分に後悔
- パリオリンピック・カヌーに挑む羽根田卓也
- 橋本大輝、谷川航の育ての親が語る体操論