16年日本ダービーに出走したマカヒキ(撮影:下野雄規) 今年の牡馬クラシック戦線のクロワデュノール(牡3、栗東・斉藤崇史厩舎)を中心に回ってきた。皐月賞では2着に敗れたが、大目標の日本ダービーでは巻き返してくるはずだ。ちなみにグレード制が導入された84年以降、皐月賞2着から日本ダービーを制した馬は89年のウィナーズサークル、90年のアイネスフウジン、95年のタヤスツヨシ、16年のマカヒキ、23年のタスティエーラの5頭。その中から今回はウィナーズサークル、アイネスフウジン、マカヒキのレースを振り返りたい。
まずは89年のウィナーズサークルだ。皐月賞不出走組が1、2番人気に支持されたように、大混戦と目された一戦。ウィナーズサークルは皐月賞組では最上位となる3番人気に支持された。道中は好位〜中団のインを追走し、直線で馬場の中程へ。渋太く脚を使って抜け出すと、後続の追い上げも凌いで先頭でゴール。皐月賞ではドクタースパートの2着と悔しい思いをしたが、雪辱を果たしたのだった。ちなみに芦毛も茨城産馬も日本ダービーを勝つのは初めて。まさに「史上初尽くめ」の戴冠だった。
翌90年にはアイネスフウジンが皐月賞2着からの巻き返しを決めた。ベテランの中野栄治騎手に導かれ、前半1000mが59秒8の締まったペースの逃げ。直線に向いても脚色は衰えない。最後は1番人気のメジロライアンが迫ってきたものの、1馬身1/4差をつける完勝。ウイニングランの際に起こった19万人のナカノコールは、長い日本競馬史における名シーンの1つとなっている。
そして16年はマカヒキだ。皐月賞では伏兵ディーマジェスティの2着に敗退。日本ダービーではディーマジェスティ、サトノダイヤモンドに続く僅差の3番人気だった。道中は中団で脚をためて直線勝負。残り400mから外のサトノダイヤモンドと馬体を併せて加速した。残り200mで一旦馬体が離れたが、ゴール前で再び接近。最後は僅かにハナ差、マカヒキ&川田将雅騎手がサトノダイヤモンド&C.ルメール騎手を凌ぎ、世代の頂点に立ったのだった。