19歳で片目喪失「もう元には戻らない」絶望の淵にいた女性、怪我をして広がった価値観とは?「自分の痛みも誰かの支えに変わる」

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2025年06月10日 07:50  ORICON NEWS

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かたのめいさん(TikTok/@katameichanより)
 19歳のとき、突然の事故で片目を失ったかたのめいさん。絶望のなかで見つけたのは、「自分よりもっと苦しんでいる誰か」に寄り添い助けたいという新たな視点でした。やがて海外ボランティアや音楽活動を通じて、痛みと向き合いながら他者を励ます存在へ。今ではTikTokを通して多くの人に勇気を届けています。そんな彼女に、障がいを抱えた当時の心境や、向き合い方の変化について話を聞きました。

【写真】怪我をする前…19歳のかたのめいさん「オシャレとメイクが大好きな女の子だった」

■“19歳”多感な時期の突然の事故で混乱、一番つらかったのは見た目の変化

――ご自身のTikTok投稿には「貴方に多くの方は励まされてますよ」「前向きな考え方は素晴らしい。頑張って」「すげえよ」など、多くのコメントが寄せられていますね。

【かたのめいさん】素直にとても嬉しいです! 自分では「そんなにすごいことはしていない」と思っているので、褒めていただくとちょっと照れてしまう気持ちもあるのですが、当時は本当に必死でがむしゃらに生きてきたので、その姿が誰かに届いていたのかなと思うと、少しだけ報われたような気持ちになります。

――10代の頃、グラスを持ったまま転倒されたことで片目を失われたとのことを投稿されています。

【かたのめいさん】本当に突然の出来事だったので心がまったく追いつかず、ただただ混乱していました。ありがたいことに、それまで大きな病気もなく健康に過ごしてきたので、「きっと治るだろう」とどこか楽観的に思っていた分、「治らない」と言われた時は病院で号泣してしまいました。19歳という多感な時期で、学校生活や就職、恋愛や将来のことなど考えることがたくさんあった中で、現実を受け入れられず、笑顔でやり過ごすしかなかった自分がいました。また他人と比べてしまうこともあり、すごくしんどかったです。

――後天的に障がいを持つとそれまで「当たり前」だったことが不自由になることも多いかと思います。

【かたのめいさん】遠近感がつかめず、物の距離を誤ったりと最初は本当に不便なことがたくさんありました。また、運転や文字を書くことにも苦労しました。バランス感覚も崩れやすく、日常のちょっとした動作にも神経を使いました。でも、こうしたことは時間とともに慣れてきました。

 一番つらかったのは、やはり見た目の変化でした。まだ10代で、これからオシャレもメイクも恋愛も楽しんでいきたい時期に、目立つ怪我を負ったことは絶望でした。

――多感な時期ゆえによりつらかったものがありますよね。

【かたのめいさん】鏡を見るたびに「この目はもう元には戻らない」と思い知らされ、外に出れば視線を感じて、時にはひどい言葉もかけられ、人の目が怖くなりました。眼帯は目立つので、どうしても注目されてしまう。そのたびに「変に思われているんじゃないか」と不安になり、顔を上げられなくなりました。もともと得意ではなかったですが、人前に出るのも苦手になりました。

■怪我をして始めたボランティアと歌「自分が痛みを知ったからこそ、他人の痛みにも目が向くように」

――片目を失ってご自身も辛いなか、「辛い人を見てみぬふりをしてきた」と海外ボランティアと歌を始められています。自分が辛いからこそ、励ます側にまわって考えることはなかなか難しいことだと思います。

【かたのめいさん】怪我をした当時は、「なんで私だけ?」と不公平に感じることが多く、周りの人が健康であることすら羨ましく思ってしまうような、苦しい気持ちでいっぱいでした。心の中では「誰かに助けてほしい」と思っていましたが、誰も助けてはくれませんでした。今思えば、どうやって助けたらいいのか分からなかったのだと思います。でも当時は、その無関心が余計に孤独を深めました。

 そんなある時、ふと頭に浮かんだのが、なぜか貧困に苦しむ子どもたちの姿でした。「私も、彼らのような何かに困っているかもしれない人たちを見て見ぬふりをしてきたかもしれない」「無関心だったな」と気づいた瞬間、衝撃を受けました。

――衝撃を受けた当時、どのようなご心境だったのでしょうか?

【かたのめいさん】私は片目を失ったくらいでこんなに辛いのに、もっと辛い状況にいる人はどんな想いを抱えているんだろう。助けて欲しいのに誰も助けてくれないのは、どんなにしんどいだろう…と気づいたら、いてもたってもいられなくなりました。自分が痛みを知ったからこそ、今まで気づけなかった他人の痛みにも目が向くようになりました。「自分も辛い想いをした分、何か行動しなきゃ!」と居ても立っても居られなくなり、そんな想いが、ボランティアや音楽を始めたきっかけになりました。

――そうした活動の中でご自身の障がいを少しずつ受け止められるようになったのでしょうか。

【かたのめいさん】正直、今でも完全に受け止められているかは分かりません。 感謝している部分もありますが、もし怪我をしていなかったら…と思ってしまうこともあります。 けれど、インドネシアの子どもたちに音楽を教えていたとき、言葉が通じない中でも、笑顔や歌で心がつながった瞬間がありました。そのとき、片目でも、過去に傷があっても、私は誰かの力になれると初めて思えました。そこから少しだけ肯定できるようになれた気がします。

■「人生で最悪な出来事」を「人生で最高な出来事」に変えていけるように発信を続けていきたい

――ご自身の価値観などにも変化はありましたか。

【かたのめいさん】実際にインドネシアのストリートチルドレンたちと触れ合ってみて、自分の中の価値観が大きく変わりました。「お金がない=不幸」だと思っていましたが、現地の子どもたちは笑顔で、助け合って生きていました。「幸せって何だろう?」と考えさせられたし、自分の見方がすごく狭かったことに気づかされました。

 また、歌で誰かにエールを届けたいと思うなら、まずは「自分が幸せでなければそのエネルギーは届かない」ということにも気づきました。それ以来、自分が幸せでいられる選択をすることも、大切にするようになりました。

――とても素敵な価値観ですね。確かに現在のめいさんはとてもポジティブで明るい姿が見えます。

【かたのめいさん】もともとは今よりもっと元気で明るい性格だったかもしれません。怪我をしたことで少し落ち着いた部分もありますが、それはきっと色んなことを知ることができた部分も多いからかも知れません。怪我をしたからこそ、夢ができて、仲間ができて、世界を知ることができました。最初はマイナスしか見えなかったけれど、時間が経ってふと振り返ると、「あの時が人生のターニングポイントだった」と思えるような出来事がたくさんありました。きっと怪我をしてなかったら出会えなかった出会い、見られなかった景色が沢山あります。もちろん、怪我に対し憎らしい気持ちもありますが(笑)。今は少しだけ感謝できるようになっています。

――ご自身の投稿を通してどんなことを伝えていきたいですか。

【かたのめいさん】人生って、障がいや病気に限らず、誰にでもしんどい時期があると思うんです。前を向けない日もあるし、不幸ばかり数えてしまう時もあると思います。でも、不幸の中にも何かしら得られるものは必ずあると思っています。 私自身、「人生で最悪な出来事」を、「人生で最高な出来事」に変えていけるように、これからも発信を続けていきたいです。 その姿を通して、「自分ももう少し頑張ろうかな」と思ってもらえたら嬉しいです。

 また、誰かの苦しみや課題を完全に解決することはできなくても、その痛みに「寄り添えるような歌」を届けていきたいと思っています。歌詞にはきっと、誰かを励ます力があると思うんです。だからこそ、ひとつひとつの言葉に意味を持たせられるように、「あのときの自分だったら、どう受け取るだろう?」と想像しながら向き合いました。この夏に向けたデビュー曲では、そんな想いを込めて、「欠けた世界で気づけたもの」を書いてみました。自分の痛みも誰かの支えに変わることを、音楽を通して伝えていけたらと思います。

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