
Shigekix インタビュー後編
バトルもショーケースも
D.LEAGUE(以下、Dリーグ)の舞台でも存在感を発揮しているブレイクダンサーのShigekix。所属するKOSÉ 8ROCKSではレギュラーダンサーとして活躍し、2度のMVD(Most Valuable Dancer)を獲得するなど、強烈な輝きを放ってきた。
レギュラーシーズンで全14ラウンド(※)を行なうDリーグは、ラウンド毎に新しい作品を披露するが、出場する8人のダンサーはオリジナルの楽曲に合わせて、極限までクオリティを高めたダンスを行なうショーケースのスタイルを取っている。
※14ラウンドのうち1回はサイファーラウンドとなり、ダンサーたちが円になってフリースタイルでパフォーマンスを行ない点数を競う。
パリオリンピックのブレイキンでは、1対1でステージに立ち、即興で踊るダンスバトル形式で戦っていたが、Shigekixはこのショーケースも得意としてきた。
「ブレイキンを始めてすぐの頃からなので、7歳くらいからショーケースはやっています。ブレイキンのチーム戦で最も大きな大会『Battle of the Year』には当初から出場していました。その大会では始めにショーケースが行なわれて、そこで勝ち上がったチーム同士が、その後に続くクルーバトルで対戦していくので、ショーケースには慣れていました」
|
|
Dリーグにすんなりと適応できたのは、これも理由のひとつだった。幼いころからブレイキンのバトルで個を磨き、ショーケースで息を合わせて踊ってきたからこそ、両方の舞台で今、圧倒的な存在感を見せている。
パリ五輪後の反応
ブレイキンの申し子というほどの実績と風格を持ち、一心不乱にダンスに没頭している印象のあるShigekixだが、昨年のパリオリンピックについては、選考期間のときから、少なからず迷いが生まれていた。
ブレイキンの由緒は諸説あるが、1970年代前半のニューヨークで、ギャング同士の抗争を平和的に解決するために、音楽好きな若者たちがダンスで勝負をしたという説が広く知られている。
またピップホップ界のレジェンドDJクール・ハークが、ダンサーの盛り上がるパートが歌の部分よりもベースとドラムなどのリズムが強調されたブレイク部分だと気づき、そこを繰り返し再生。そうして生まれた「ブレイクビーツ」で踊り出したダンサーを「B-BOY(ブレイクボーイ)、B-GIRL(ブレイクガール)」と名づけたとも言われている。今ではブレイキンを踊るダンサーたちをこう呼んでいる。
|
|
いずれにせよ、音楽&ダンスに端を発した成り立ちから、ブレイキンにはカルチャーの側面が色濃く刻まれている。一方、パリオリンピックで採用されたブレイキンは、スポーツの枠組みのなかに組み込まれたため、どうしてもスポーツの側面が強く感じられた。
Shigekixもパリオリンピック前のインタビューで、「実際、競技化されている部分があって、つい技術を磨こう磨こうとしていた時期がありました。それも必要なことではありますが、そればかりに気を取られすぎて、逆に自分のスタイルが見えなくなっている状況がありました」と吐露している。
スケートボードやフィギュアスケートのように、高難度の技を披露すれば、それが優位性や高得点につながる種目とは違って、ブレイキンはDJがチョイスした楽曲に合わせることが必須とされ、高難度の技を連発したとしても、必ずしも勝利をつかめるわけではない。
カルチャーなのか、スポーツなのか、それともそれらを融合した新たなスタイルを確立するのか。ブレイキンを長年愛してきたファンのなかでも賛否があるなかでオリンピックが開催された。Shigekixもその状況を理解しつつも、世界中の目が集まるスポーツの祭典を、大きなチャンスだと捉えていた。
「ブレイキンのカルチャーを作り上げてきた方たちからはいろんな意見もあって、それが存在するのは当たり前だと思っていました。その意見をはねのけたり、歯向かったりするわけではなくて、その人たちにどうやってオリンピックで応援してもらえるのか、『やってよかったね』と言ってもらえるのか、そこもすごく大きなテーマでした。ブレイキンがオリンピック仕様に変わって、『もうこれはブレイキンじゃないじゃん』とならないようにしたかった。
|
|
ブレイキンをけん引してこられた方たちは、ブレイキンをしっかりと受け継いでいくことを重要視しているので、それを僕たちも体現したいという思いがありました。だから僕のなかでは、パリオリンピックでブレイキンが採用されたのは、絶対的にいいことだという確固たる感覚がありました」
国際大会で数々の優勝を手にしてきたShigekixは金メダル候補と言われて大会に臨み、堂々としたパフォーマンスを披露。結果的に4位となり、メダルにはあと一歩届かなかったが、オリンピックという新たな舞台で世界中にShigekixという名前とともに、ブレイキンがどんなものなのかをアピールすることができた。「ブレイキンを受け継ぐ」という意味において、Shigekixも大きな手応えを感じていた。それが顕著に表れたのが、パリオリンピック後のファンの広がりと反応だ。
「全然反応が違います。これまではブレイキンをやっていたり、好きで見ている方たちがほとんどだったんですが、ブレイキンやダンスのことをあまり知らなかったり、ダンスをやったことがない人も、オリンピックで戦っている姿を見て、応援したり、もっとよく知りたいと思っている人がすごく多くなりました。実際に会場に足を運んでくださる方がすごく多くなりましたし、もっと頑張ろうと思えるくらいの熱い声援を送ってくれています」
芽生えた使命感
パリオリンピック後、Shigekixは「いつ休んだか覚えていない」というほど、大会とイベント出演などで多忙な日々を送ってきた。それができているのも、彼に強い使命感が芽生えてきたからだ。
「自分がブレイキンに出会って、パリオリンピックの舞台を与えてもらい、本当にブレイキンにいろんなことを学ばせてもらいました。今は過去にないほどイベントなどに出演させていただいていますし、全国を回って次世代の子どもたちに幅広くブレイキンに出会うチャンス、触れる機会を作ったりもしています。それこそが自分がブレイキンから得たものに対する還元、恩返しかなと感じています。その意味で、パリオリンピックを経て、自分に課している覚悟や責任感はすごくあります」
Shigekixに生まれたこの思いは、オリンピックから1年が過ぎようとしている今でも、弱まることはなく、より強く大きくなっている。ブレイキンが次のオリンピックに採用されず、日本中の目が集中する舞台が少なくなっているからこそ、Shigekixは結果を求め、世の中にインパクトを与えていく必要があると考えている。6月19日(木)のDリーグのチャンピオンシップでの優勝という目標も含め、その先にあるブレイキンの国際大会にも並々ならぬ思いで挑もうとしている。
「8月には中国・成都で行なわれるワールドゲームスでブレイキンの大会がありますし、11月にはブレイキンの世界大会『Red Bull BC One World Final』が東京で開催されます。それからKOSÉ 8ROCKSとは別で活動しているチームの試合も海外であります。パリオリンピックを経た2025年は、いちダンサーとして、いかに可能性を広げられるかということに全力を尽くしたいと思っています」
淀みなく語るその言葉の端々にゆるぎない信念を感じる。
躍動感あふれる熱いバトルとは対照的に、柔和で知的な語り口で、時折笑顔を交えながら語るShigekixから受ける印象は、まさに聖人君子。"怠ける"、"手を抜く"という言葉からほど遠い、自分の目標、使命に常に全力で取り組む偽りのない姿が思い浮かぶ。
ただすべてに全身全霊を傾けているが故に、本人にはちょっとした悩みも生まれているようだ。
「練習が好きなんですが、練習場所に着いたときには疲れてしまっている。それが結構悲しいです」
そう語って相好を崩すShigekix。そこに嫌味はまったく感じられず、むしろこの状況を喜びとさえ感じている節がある。かつてないほどの人気と実力を持ったブレイキンのトップダンサーとして、彼はこの先も時代を引っ張っていくことだろう。それだけの人間性を持った存在なのだから。
Shigekix インタビュー前編>>
【Profile】
Shigekix(シゲキックス、半井重幸)
2002年3月11日生まれ、大阪府出身。7歳でブレイキンを始め、 11歳から海外の大会に出場。数多くの優勝を獲得する。2018年にはブエノスアイレスユースオリンピックで銅メダルを獲得。2020年、世界最年少の18歳でRed Bull BC One World Finalを制す。2024年にはパリオリンピックで4位入賞。2024-25シーズンからKOSÉ 8ROCKSのレギュラーダンサーとして活躍している。これまでに国際大会で47回もの優勝を経験。世界トップレベルの実力を誇る。