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(左から)肥後克広さん、渡辺正行さん
◆肥後がお笑い芸人を目指した経緯
渡辺:肥後は元々沖縄出身じゃん?
肥後:沖縄です。
渡辺:沖縄でも芸人をやっていたの? それとも「東京で芸人になろう!」と思って沖縄から出てきたの?
肥後:単純に、田舎者の発想で「1回東京に出てみよう」って思ったんですよね。
渡辺:いくつで出てきたの?
肥後:18、19歳あたりです。高校を卒業してすぐに出て半年ぐらい働いて。でも、東京で普通のサラリーマンの仕事をしている意味が見つけられなくて。
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肥後:それで1回沖縄に帰って……。
渡辺:帰ったんだ!?
肥後:帰りました。“自分は何をしたいのか?”と本気で考えて、お笑いをやろうと。でも、今だったらお笑いスクールに入るんですけどね。
渡辺:そんな時代じゃないもんね。でも、漫才ブームはあった?
肥後:ありましたよ。僕が中学・高校の頃に漫才ブームがやってきて、西川のりおさんの「ホーホケキョ」とか、そういうギャグをモノマネしていました。
渡辺:漫才ブームはあったけども、今みたいなお笑いブームほどじゃないよね。
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◆コント赤信号が“売れた経緯”
肥後:でも、赤信号さんも(漫才ブームに)乗っていましたよね?
渡辺:当時、俺らは漫才ブームを道劇(ストリップシアター渋谷道頓堀劇場)の楽屋で観ていたんだもん。“この漫才ブームには乗れないや”と思いながら。
肥後:コントですからね。
渡辺:(メンバーの)ラサール石井も小宮孝泰も「漫才ブームに乗れないから、俺らもう辞める」って言っていたの。でも俺は、ストリップ劇場で給料がもらえるから「ここでいいや」と思って(笑)。
肥後:楽しいし、お姉さんもいっぱいいるし(笑)。
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ゆーとぴあさんもストリップ劇場出身だから、自分たちの単独ライブをやるときに「お前たちも出ないか?」って俺たちに声をかけてくれて。解散する予定だったんだけど、声をかけてもらったんで「解散前にネタを1本作ろう」っていうことになったんだよ。
肥後:はいはい。
渡辺:そのときは、まだリーダーが決まっていなくて、台本を書いてきた人がリーダーとして演出もするわけ。そうしたら、小宮くんが「これをやろうぜ」って最初に台本を書いてきて練習したんだけど、今ひとつ面白くなくて小宮くんも「やめる」って台本を下げたんだよ。
肥後:うんうん。
渡辺:俺はリーダーになりたかったから“今だ!”と思って、小宮くんが下げた日にダーッと台本を書いて、次の日に持って行って「これはどうだ?」って2人に見せたら「これでいこう」と。それで、俺が作・演出とリーダーになったわけ。
肥後:それが、あの一世を風靡した暴走族を待たせた(コント)?
渡辺:そうそう! だから、あのときに小宮くんが面白い台本を書いていれば、彼がリーダーだった。
肥後:いや……実は面白かったんじゃないですか(笑)?
渡辺:いやいや、だって小宮くんが「やめる」って言ったんだもん(笑)! それで、ゆーとぴあさんの単独ライブでやったネタがウケて、そこに(昭和の漫才ブームの火付け役にもなった番組)「花王名人劇場」の澤田隆治さん(プロデューサー)がいて、「お前ら出てみろ」って言われて、ストリップ劇場からいきなり「花王名人劇場」に。
肥後:おぉ、すごい!
渡辺:そこからテレビに出るようになっていって、だんだん(売れていった)。
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<番組概要>
番組名:TOKYO SPEAKEASY
放送日時:毎週月-木曜 25:00〜26:00
番組Webサイト: https://www.tfm.co.jp/speakeasy/
番組公式X:@TokyoSpeakeasy
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