デニス・ベルカンプの超絶トラップに全員が酔いしれた アーセナル時代の相棒アンリも絶賛「神の領域に達していた」

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2025年06月20日 07:30  webスポルティーバ

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世界に魔法をかけたフットボール・ヒーローズ
【第18回】デニス・ベルカンプ(オランダ)

 サッカーシーンには突如として、たったひとつのプレーでファンの心を鷲掴みにする選手が現れる。選ばれし者にしかできない「魔法をかけた」瞬間だ。世界を魅了した古今東西のフットボール・ヒーローたちを、『ワールドサッカーダイジェスト』初代編集長の粕谷秀樹氏が紹介する。

 第18回は1990年代のオランダ代表を代表するFWデニス・ベルカンプを紹介する。アーセナルが2003-04シーズンに成し遂げたシーズン無敗記録は、彼の存在なくして樹立できなかった。ファンを魅了した超絶ボールコントロールは、今もファンの間で語り継がれている。

   ※   ※   ※   ※   ※

 6月3日に逝去された長嶋茂雄さんは、魅せる野球を心がけていたという。三振してもダイナミックに映るように、ワンサイズ大きいヘルメットを着用していた。スローイングも美しさを意識し、歌舞伎の所作を採り入れていた。ご冥福をお祈りいたします。

 フットボール・ヒーローズのなかにも、ワンプレーで魅せた名手は少なくない。しかも基本スキルのトラップで、人々を唸らせた男がいる。

 デニス・ベルカンプだ。

 彼の技術は「超絶技巧」と言って差し支えない。後ろから来たボールを足の甲、太もも、アウトサイドを使って、いとも簡単にトラップする。しかも止めるだけではなく、瞬時にして自らのコントロール下に置くのだ。

 当然、次のアクションへの移行はスムーズになる。シュート、スルーパス、高速クロスなど、ベルカンプのトラップは数々のチャンスを創出した。

 なかでも1996年11月のノースロンドン・ダービー、2002年3月のニューカッスル戦、そしてオランダ代表として出場した1998年フランスワールドカップのユーゴスラビア戦は必見だ。スピードやパワーではなく、トラップだけで相手をねじ伏せた稀有なシーンである。

【ファン・バステンの後継者】

 オランダが輩出した技巧派はヨハン・クライフの薫陶を受けているが、ベルカンプもそのひとりだ。

 1985年、アヤックスの監督に就任したクライフは、誰よりもボールコントロールに優れ、ペナルティボックス内でも落ち着いていたベルカンプに興味を抱いた。

 もっともベルカンプは、デビューまで時間はかかった。トップチームに帯同しながら、出場のチャンスはなかなか巡ってこない。エールディヴィジにデビューしたのは17歳の時、1986年12月のローダJC戦であり、初ゴールは翌年2月のハーレム戦だった。

 しかし、クライフが大切に育てていたからこその配慮である。ベルカンプの性格が内向的だったこと、体格があまりにも華奢(きゃしゃ)だったことも考慮し、十分に時間をかけた。「急がば回れ」の好例である。

 その甲斐あって、ベルカンプは成長。1987年のカップ・ウィナーズ・カップ優勝に貢献し、シーズン後にミランへ移籍したマルコ・ファン・バステンの後継者に名乗りを上げる。

 1988-89シーズンは初のふたケタとなる13ゴールを記録。翌シーズンも圧倒的な存在感で5シーズンぶりのリーグ優勝をもたらすと、1990-91シーズンは25ゴールでロマーリオ(当時PSV)とともに得点王に輝いた。

 新監督にルイ・ファン・ハールが着任した1991-92シーズンも快進撃は続く。24ゴールで2シーズン連続のエールディヴィジ得点王。UEFAカップでも6ゴール。アヤックスを優勝に導いた。

 また、ペナルティボックス内の感覚が研ぎ澄まされた1992-93シーズンは26ゴールの荒稼ぎだ。彼の名はヨーロッパ全土に轟き、1993年夏、当時としては高額の20億円でインテルに移籍する。

 30年ほど前のヨーロッパフットボールは、セリエAが中心だった。個人の感性よりも戦術を重視し、結果最優先の闘いが主流だった。ベルカンプに適した環境ではない。

【インテルの無神経さに嫌気】

 1990年代前半のインテルは、ワルター・ゼンガとジュゼッペ・ベルゴミを軸とするイタリア人グループと、ローター・マテウス、アンドレアス・ブレーメ、ユルゲン・クリンスマンのドイツ人派閥が権力争いを展開し、チームのムードは最悪だった。

 筆者も何度かインテルの練習場を取材で訪れたが、やけにピリピリしていたことを鮮明に覚えている。内向的なベルカンプには不快このうえない。

 さらに、2トップを組んだルベン・ソサとの相性も悪く、プレーがまったく噛み合わなかった。1993-94シーズンは31試合・8ゴール、翌シーズンは21試合・2ゴール。多くのメディアに「スクデット奪還の使者」と期待されながら、最終的には「史上最高額のガラクタ」という汚名まで着せられた。

 しかも、極度の飛行機恐怖症であるベルカンプの心情に気を遣わず、ヨーロッパ大陸間の移動に小型のプロペラ機を用いたインテルの無神経さに嫌気もさした。シーズン終了後、自ら契約解除を申し出、わずか2シーズンでイタリアを去った。

 1995-96シーズン、新天地はアーセナルに決定した。そして2005-06シーズンに退団するまでの11年間に、87ゴール・94アシスト(歴代6位)というすばらしいデータを残している。個人の力が尊重されるプレミアリーグは、ベルカンプにとって好ましい環境だったのだろう。

 そして、アーセン・ベンゲル監督との出会い(1996-97シーズン)が大きかった。フランスが産んだ名将は戦術重視のイタリア式を嫌い、ピッチ上では選手の感性を重視していた。なおかつアタッキングフットボールを愛し、華麗なスタイルによる勝利を目指していた。

 滅多に表情を崩さないベルカンプが、フットボールを楽しんでいる。インテルでは生気を失った男が、まるで別人のように生き生きとしている。空路ではなく、陸路の移動を許可したベンゲルの配慮もうれしかった。

「明らかに別格だった。選手、コーチ、スタッフからも尊敬されていた。クラブに対する忠誠心も熱く、アーセナルの歴史を変えた男のひとりだと断言できる」

 ベンゲルは今でも、ベルカンプを絶賛している。

【アンリとのコンビでファンを魅了】

 名伯楽の言葉を借りるまでもなく、ベルカンプはアーセナル史上に残るファンタジスタであり、ティエリ・アンリとの2トップは流麗なプレーで多くのファンを魅了した。

 オランダ人のファンタジスタが時間と空間を創り、フランス人のエースが驚異的なスピードと天性のクールで得点を重ねていく。あの当時、ポゼッション志向に思えたアーセナルも決してボール保持にはこだわらず、前に急ぐような攻撃もしばしば仕掛けた。それはベルカンプとアンリがお互いの感性を理解し、ふたりだけに通じる距離感で攻撃をつかさどっていたからにほかならない。

 2003-04シーズン、アーセナルは前人未到の無敗でプレミアリーグを制した。最大の殊勲者は30ゴールで得点王を獲得したアンリかもしれない。ただ、無敗優勝の立役者は『L'Equipe』(フランスの日刊紙)のインタビューにこう答えている。

「ベルカンプは『神の領域』に達していた」

 プレミアリーグ優勝は3回。オランダ代表ではメジャータイトルに手が届かなかった。しかし、ボールコントロールだけで見る者に魔法をかけた選手は、過去・現在を問わずベルカンプただひとりだ。彼の名前と美しいプレーは、人々の記憶に永遠に刻み込まれる。

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