「縄文杉より大きい木が、何本も残っている」屋久島、未知の巨木が残る「山師の森」を独占取材【報道特集】

1

2025年06月21日 06:37  TBS NEWS DIG

  • 限定公開( 1 )

  • チェックする
  • つぶやく
  • 日記を書く

TBS NEWS DIG

TBS NEWS DIG

世界遺産の島・屋久島を象徴する縄文杉。この縄文杉に匹敵する巨木がほかにもあることが取材で明らかになりました。取材したのは、屋久島の森を知り尽くしている「山師」と呼ばれる職人たち。彼らしか知らない深い森に初めてテレビカメラが入りました。

【写真を見る】「縄文杉より大きい木が、何本も残っている」屋久島、未知の巨木が残る「山師の森」を独占取材【報道特集】

未知の巨木が残る「山師の森」へ

世界自然遺産の島、屋久島。森の奥にそびえたつ縄文杉。幹周り16.1m、高さ22.2m。現在見つかっている屋久杉の中で最大だ。

真っすぐ育つ杉とは全く異なった、ごつごつした姿をしている。樹齢は2000年から7200年といわれ、諸説ある。この木を一目見ようと、年間約5万人の登山客がやってくる。

ーー感じるものはある?

登山客
「神々しさ」
「やっと出会った。こんなに巨木だらけの森に来たのは初めて」
「パワーをもらいに。生命力が凄い」

実は最大の縄文杉に匹敵する巨木が4本あることがわかった。JNNのカメラがその姿を初めて捉えた。

1000年以上生きた杉だけが、「屋久杉」と呼ばれる。樹齢数千年の屋久杉が立ち並ぶ森などが評価され、世界遺産に登録された。

これは屋久杉の巨木のデータだ。上位3本は幹周りが10mを超え、樹齢は2000年から7200年まである。

取材班が同行したのは、「山師」と呼ばれる人たち。深い森の中で木を伐り出す職人たちだ。私たちは、立ち入りが制限されている国有林に入る許可を得た。遭難の危険があるため、山師は巨木の存在を公にしてこなかった。

山師の本田竜二さん(54)。登山道を離れ、険しい山の中を歩く。これから行く場所は、本田さんしか知りえない。

うっそうと生い茂る植物。屋久島は土壌が薄く、木々は土ではなく、花崗岩に根を張っている。屋久島は島全体が花崗岩でできている。屋久杉は過酷な環境の中、ゆっくりと成長する。年輪は密だ。腐りにくく、固く太い幹がつくられる。

切らなかった巨木 山師の思い

取材班は山岳ガイドらと山に入った。そこには見たことのない巨木が立っていた。木の上部は折れ、巨木の命はすでに尽きていた。しかし、幹に着生した植物たちが巨木を大地として葉を広げていた。それは、まるでひとつの「森」のようだった。

取材班
「こぶはここにあるし、これだけで1mぐらいある」

山岳ガイドが幹の周りをテープで測る。ガイドが両手を広げた長さは175センチ。

山岳ガイド 田平拓也さん
「16m…『縄文杉』と変わらない」

その巨大さに山師は、この木を残すことにしたという。

取材班
「よく山師の人は切らなかったですね」

田平拓也さん
「そうですね、本当にありがたいです」

なぜ山師は切らなかったのか。その背景は…。

高度経済成長期、住宅用の木材需要が高まると、国の方針で屋久島の森は大伐採が進んだ。樹齢1000年を超える屋久杉も伐採の対象となり、大量の屋久杉が切られた。

その頃を知る山師がいる。本田竜二さんの父・實さんだ。實さんは、数多くの屋久杉と向き合って来た。「巨木を切る技は屋久島イチ」と言われる山師だった。

實さんは2023年に亡くなったが、生前、屋久杉についてこう語っていた。

山師 本田實さん(当時83)
「『縄文杉』より大きい木が何本もまだ残っている。見た目ではそんな感じの木が何本かある」

實さんが言う、その屋久杉の写真が残されていた。幹の直径はゆうに5mを超えている。この木は切らずに、いまも森にあるという。

本田實さん(当時83)
「自分は新しい山に切り込みをする時は、必ず塩米、ある時は焼酎持って行って。人はしなくても自分だけでも山に撒いて、それから作業にかかる。必ず。他の神様には手を合わせないけど、山の神だけは」

私たちは20年近く、實さんら山師の姿を取材してきた。屋久杉は標高500mを超える深い森の中に立っている。山師は自らその木を探し、ヘリコプターで吊るせる大きさに切り分けるのだ。そして一か所に集められ、里に運ばれた。

伐採から50年あまりが経ち、森は再生が進んでいる。しかし、かつてここは国内最大の木材供給地といわれ、500人あまりが暮らす集落が存在した。

その時の映像が残されている。橋を渡ると住宅が立ち並び、理容室や商店があった。学校も作られた。

集落の中を屋久杉を積んだトロッコが走り、屋久杉は人々の暮らしを支えていた。だが伐採は急速に進み、切る木がなくなると山師たちは仕事を失い、1970年、集落は閉鎖された。

1980年代に入ると、残されていた屋久杉も、自然保護への意識の高まりから伐採が中止された。山師は、時代の移り変わりに翻弄されてきたのだ。今は山に残された切株や倒れた屋久杉を切り出し、それらは工芸品に使われている。ぎっしりとつまった年輪は独特の模様を描く。

4人の山師 伝え継ぐ技

今は4人しかいない山師。かつての山師の姿を、次の世代に伝えたいと考えていた實さんの遺志を竜二さんは引き継いだ。

山師 本田竜二さん
「日本全国探しても、この仕事をしているのは自分たちだけ。他にする人たちが出てくればいいが、出てこない以上は(やるしかない)」

今は切り株やすでに倒れた屋久杉を切り出している。大木ともなればチェーンソーでもなかなか切れず、使い方にも技がいる。

本田竜二さん
「中から切るのじゃなかったのか」

切り方を間違えると、木の重みでチェーンソーが挟まれ抜けなくなる。切った幹が倒れてくれば、命に係わる。どの手順で、どこを切るのか、山師としての力量が問われる。

本田竜二さん
「軽い音から重い音に変わっただろう。途中音が抜けて軽くなった。いま(刃が木に)入っている」
「いまはバー(刃)全体に木が乗っている」

屋久杉は、幹の中心が腐り、空洞になっていることがある。空洞に刃が入ると、その瞬間、音の響きが変わるという。経験が少ない若手には判断が難しい。

本田竜二さん
「ぼちぼち、ぼちぼち、少しずつ。いっぺんには無理でしょうから。経験する量が違うから、僕らの時代と比べると」

この日は、一番弟子の山師・松元さんと森に入った。竜二さんは、山師の森を感じてほしかった。生い茂った木々に行く手を阻まれながら登ること1時間...

本田竜二さん
「それだよ、大きさ全然違うでしょう」

山師 松元文明さん
「(3番目に大きい)『紀元杉』でどれくらい?」

本田竜二さん
「3000年ぐらいじゃないか」

松元文明さん
「一緒ぐらいと言えば一緒ぐらいかもね」

カメラが初めてその木を記録した。林野庁のリストでは、3番目の大きさに相当する巨木だった。

本田竜二さん
「(Q.作業する中で出会った?)そうです。林業関係者でも知っているのは一部」

屋久島の山に降る雨の量は、年間約1万ミリ。日本の平均の6倍もの雨だ。幹や枝は島特有の風雨にさらされる。細く長い屋久島の登山道。その外には、雨によって育まれた植物が生きる世界が広がっている。

森の奥に入ると、木々が行く手を阻む。また巨木が現れた。竜二さんによると、樹齢2000年を優に超える木だという。

本田竜二さん
「まんまるだから(幹周り)14〜15m。木材がやっぱり豊富だった」

屋久島で2番目の巨木に匹敵する大きさだ。

多くの屋久杉を見てきた父・實さんだったが、切れなかった木があった。

本田實さん(当時83)
「普通の大きい木、一本立ちの木は何も感じないけど、2本同じところに立って上の方で絡み合っている木がある。そんな木は(切るのは)嫌だった。(Q.なぜ嫌だった?)神が宿る木という言い伝えがある」

山師たちの間で、この話は密かに語り継がれてきたという。竜二さんとともに再び森に入った。

巨木の森を次世代へ

山師の間で語り継がれる神秘の木があるという。山は激しい雨となった。ぬかるんだ道は険しく、思うように進めない。1時間ほど登っただろうか...

本田竜二さん
「これ『二代杉』なんですよ」

テレビカメラが初めて捉えた巨木。木の根元は緑で覆われているが、太さは縄文杉をはるかに上回っていた。これは過去に伐採された屋久杉の上に、新たな屋久杉が育って重なった二代杉と呼ばれる木だ。

本田竜二さん
「段ができている。元の木もすごく大きかった。その上に生えてる。これ以上の『二代杉』は見たことない」

元の切り株は樹齢3000年ほど。その上に、樹齢2000年の屋久杉が立っていた。

本田竜二さん
「(幹周り)21m」

幹には大きな空洞があった。二代目の芽が出たのは、2000年前。その時には初代は切られていたということになる。

本田竜二さん
「切っている。どうやって切ったのか、その時代に。2000年は経っているから。2000年前にどんな技術で切ったんだろうか。切っているんですよ、折れてない。大事にこれは残すべき木だと。価値のある木」

かつて、日本の経済成長を支えた山師たち。受け継がれていく思いがある。

本田竜二さん
「山の師匠の「師」じゃなくて、山に仕える方の「山仕」だと思います。親父も言っていました。『山に仕える山仕だ』と」

島を覆う広大な森。山師たちは伐採の一方で、巨木を残した。巨木から落ちた種は1000年後、再び森の中の屋久杉となっていく。

    前日のランキングへ

    ニュース設定