山田裕貴(34)が7日、都内の日本外国特派員協会で行われた、堤真一(61)とのダブル主演映画「木の上の軍隊」(平一紘監督、25日公開)記者会見に出席した。終戦を知らずに2年間、ガジュマルの木の上で生き抜いた日本兵を演じた劇中で、うじ虫を食べるシーンについて触れ「僕は虫が大嫌いですが…監督にお願いさせてもらい、うじ虫を食べました」と吐露。「どれだけ本物に迫れるか…味わった感覚。おなかがすいたら、おいしいと感じるだろうと、身で感じるのが大事」と訴えた。
「木の上の軍隊」は、10年に亡くなった劇作家の井上ひさしさんが、病床でプロット(あらすじ)まで作り、残した1枚のメモを元に、没後の13年に初演した舞台の映画化作品。太平洋戦争末期に熾烈(しれつ)な地上戦が繰り広げられた沖縄で、終戦を知らずに2年間、ガジュマルの木の上で生き抜いた日本兵2人の実話を基にした物語。堤は、太平洋戦争末期の1945年(昭20)の沖縄・伊江島に宮崎から派兵された上官の山下一雄、山田は地元沖縄出身の新兵・安慶名セイジュンを演じた。撮影は沖縄と伊江島で行われ、2人はガジュマルの木の上で撮影した。
山田が演じた安慶名のモデルになったのは、沖縄戦で伊江島に上陸した米軍と戦った、佐次田秀順さんだ。山田は、役作りについて聞かれ「モデルの佐次田さんに、どうやったら近づけるか。考え続けること、本物を味わうこと」と語った。さらに「ものが食べられない、水が飲めないところで体重を落とすのは当たり前。考えるのは演じるシーンで(演じた日本兵が)何を考えているか。レディー、アクションまで、演じる人が何を考えていたかを乗せる。設計図をかみ砕くのが僕の挑み方でした」と説明。司会から「グレイト」とたたえられると「サンキュー」と笑顔で返した。
山田は冒頭で、英語で「このように世界に発信する機会をいただき、うれしく思います」と感謝の言葉を口にした上で「ここからは、手紙のようにさせて下さい」と文書を読み上げた。
「誰が敵、誰が味方という映画ではない、世界中の皆が平和を望んでいると思う。その中で戦争で闘った偉業よりも苦難に立ち向かった時の人間の弱さ、面白さが描かれています。生きていること、生きようとすることが何よりも大事だという、祈りの映画です。この祈りが、どうかたくさんの人に繋がること、日本の芸術、作品が世界に愛されますように」
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質疑応答で、海外の記者から「私が聞いているのは(日本の)本土の人は沖縄戦のことを知らないということ。どういう知識を持っていた?」と質問が出た。山田は父和利さん(60)がプロ野球・中日、広島で内野手として活躍したことから、広島で生活しており「詳しくは知らなかったです、広島に住んでいて資料館がある。その場所に行って、こういうことがあったんだと、写真のように資料が思い浮かぶくらい、戦争はこういうものだと思うことがあった」と戦争への思いは深いと口にした。その上で「沖縄戦については、この作品に参加して知ることが多かった」と語った。
沖縄出身の平一紘監督(35)は沖縄戦について「ご先祖様の悲惨な歴史を聞いていて、避けてきました。向き合ってこなかった」と吐露。「2人のキャラが、あの当時、どういう思いで戦ったか知りたくて取材した。沖縄戦から目を背けた人に見て欲しい。エンターテインメントとして…僕自身に向けて作ったつもりです」と語った。山田も続き「どうやったら、たくさんの方に見てもらうか…プレッシャーを感じながらお芝居しています。安慶名に込めた平和の祈り。家に帰りたい、ご飯を食べたい、ただ海を見て友達とボーッとしているのが幸せ。そこを思い返して欲しい」と熱っぽく語った。
山田は、最後に世界平和についても熱く語った。「SNSで誰かを攻撃したり…世界でも、そういうことをする人が目立っています。そういうのは僕の中で平和ではない。銃、ミサイルを使う、もっとひどいのは、あって欲しくない」。その上で「若い人は、戦争映画というと覚悟がないと見られないのかなと思う。年齢制限はない…子どもたちにも伝えられると思う。日本のお話ではない。ハートの問題。それが伝わって欲しい」と力を込めた。
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