製作した追浜工場のP(Oppama)が車名末尾につけられたニッサンR90CP 日産自動車は7月15日、神奈川県横須賀市追浜地区にある『追浜工場』における車両生産を2027年度末に終了すると発表した。生産終了後は福岡県苅田町にある日産自動車九州に車両生産を移管、統合が行われる。
1961年10月に操業を開始した追浜工場は、地域社会やパートナーとともに発展を重ね、これまでの累計生産台数は1780万台以上を誇るニッサンの主力工場のひとつ。操業当初はダットサンブルーバードを生産し、2000年代のマーチ、キューブを経て、2010年からはリーフ、近年はノートやノートオーラを生産していた。
モータースポーツでは、NISMO設立前の1960〜1970年代には工場内の実験課が“追浜ワークス”としてプロトタイプレースカーやラリーマシンなどを開発。NISMO設立後のグループC時代にも車両開発を担当し、1990年に追浜工場で製作された『R90CP』のPは追浜工場のP(Oppama)からつけられている。
今回発表された追浜工場の2027年度末での生産終了は、経営再建計画『Re:Nissan』で推進されるグローバルな生産拠点の見直しの一環。追浜工場での車両生産は、福岡県苅田町の日産自動車九州へ移管、統合が行われ、現在追浜工場で生産されているモデルや今後生産が開始される車両については、日産自動車九州で生産が行われる予定とのことだ。
またニッサンによると、今回の決定は追浜地区の一部である追浜工場についてのもので、同地区にある総合研究所やGRANDRIVE、衝突試験場、追浜専用ふ頭など、その他のすべての機能は今後も変更なく事業を継続していくとしている。
そして、生産終了後の追浜工場については、今後幅広い選択肢を検討し、最適な活用方法を決定していく。なお、追浜工場に勤務する従業員は2027年度末まで同工場での勤務を継続となるが、その後の雇用や勤務は方針が決定し次第、従業員に知らされるとともに組合との協議が開始される予定だという。
ニッサンのイヴァン・エスピノーサCEOは「ニッサンは本日、大きな決断をした。私にとっても会社にとっても簡単な決断ではなかったが、現状の課題を克服し、持続可能な未来を築くための重要な一歩だと信じている」とリリースを通じてコメントした。
「追浜工場はニッサンの歴史の誇りであり、その伝統は永く受け継がれていくだろう。この工場を支えてきた従業員や地域の皆さま、パートナーの皆さまに心から感謝申し上げる」
「私たちは今後も追浜地域での事業を継続し、地域社会へ貢献していく。そして、追浜工場の精神を引き継ぎながら、ニッサン本来の価値を取り戻すために取り組んでいく」
経営再建計画『Re:Nissan』では、グローバル生産拠点を17から10へ統合するための検討が進められている。ニッサンによると「日本については生産能力やコスト競争力、生産集約による新たな投資発生の有無などの観点から、追浜工場の車両生産を日産自動車九州へ移管し、統合することが最も効果的である」という結論から今回の決定に至ったという。
またニッサンは「本移管により、日本における生産コストを大幅に削減し、工場の競争力を高め、商品利益率の向上に貢献し、将来の成長につなげていきます。本件に関する費用は現在評価中であり、第1四半期決算発表時に開示する予定です」とするとともに、追浜工場について「2027年度末に車両生産を終了するまで、お客さまにご満足いただける高品質なクルマを生産し続けます」としている。
[オートスポーツweb 2025年07月15日]