「バトル・ロワイアル」上映前舞台挨拶に登壇した藤原竜也(C)モデルプレス【モデルプレス=2025/07/15】俳優の藤原竜也が7月15日、都内で行われた映画「バトル・ロワイアル」(2000)上映前舞台挨拶に、脚本の深作健太氏とともに登壇。本作への思いを語った。
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中学生同士が殺し合いをするという作品内容に対し、少年犯罪や青少年への悪影響が危惧され、国会議員による上映規制運動が展開されたり、2000年11月17日の国会で当時の文部大臣にこの映画に対する政府の見解が問われたりするなど、ある種の社会問題として取り上げられた本作。藤原は大規模な生徒役オーディションを勝ち抜き主演の座を掴み、第24回日本アカデミー賞の優秀主演男優賞と新人俳優賞の二冠、第43回ブルーリボン賞新人賞を獲得し、難度の高い役柄の演技を評価された。
ステージに登壇した藤原は「(公開は)25年前ですか…。懐かしくもあるんですけど、ここまでこの作品をみなさん愛してくださって感謝しています。バックステージでは25年前とか言いませんけど、僕たちも久々に会う顔ばかりで、忘れかけていた人もいちゃったりして、そんなことはないんですけど(笑)、懐かしく久々に再会させてもらいました」と笑顔で話し「深作欣二監督と出会わせてもらったのもこの作品ですし、映画の厳しさ、楽しさを教えてくれたのもこの作品でした。丸の内TOEIがなくなってしまうのは悲しいですけど、僕にとっての青春の1ページ、人生の新たなリスタートのような作品が、今またこうして、最後に上映できることを心から嬉しく思います」としみじみと語った。
改めて、撮影当時(18歳)のことを聞かれると「よく覚えています。東映大泉さんで撮影していたんですけれども、生徒全員が集まって撮影所回りのランニングから始まって、筋トレが始まって、アクション練習が始まって、なんでこんなに大変なことをさせられるのかなと思いながら、撮影に入ったらもっと大変だったんですけど、よく覚えています」と回顧し「そして、深作欣二監督が誰一人呼び間違えることなく生徒全員の名前(役名)を記憶していて、アグレッシブに生徒一人ひとりと向き合ってくれて、撮影前からすごく温かさを感じていました」と懐かしんだ。
続けて、欣二監督の演出スタイルについて「すごく深く向き合ってくださって、17・18(歳)で深作組の主役という場所を与えてくださり、時に褒められ、時に『君のその感情、芝居で続けていくとお客はついてこないから、こういう芝居をしてくれ』と数ミリ数センチの感情のブレ方を指摘していただいたりして、ヤクザ映画とか東映映画を観ていても人間の本質を見透かされているような演出をされる方で、なかなかこういう方はいらっしゃらなかったなと思います」と言葉に。撮影中にカンペが貼られていたという話題になると、健太氏は「竜也くんは本当にセリフ覚えがいいのでそんなことは全くないんですけど、今日名前を出せない選挙活動中の方がですね、大変セリフ覚えがあれでございまして」と川田章吾役を演じたキャストを示唆するエピソードを告白し会場の笑いを誘い、藤原も「本番で向く方向にカンペが貼られていたんですよ」と笑った。
さらに、教師役のビートたけしとの思い出を尋ねられると「やはりたけしさんですから、いい意味での緊張感を生徒たちに与えてくれて、対峙していたというのを覚えていますけど、僕も割とよく話をさせてもらったんですけど、すごく優しい方でした」と答え、ヒロインの前田亜季との共演については「ずーっと一緒にいましたから。亜季ちゃんも、その後何度も共演させてもらってお互い会う度に時間の流れを感じると言いますか、戦友ですね」と遠くを見つめた。
そして、改めて本作は藤原にとってどんな意味を持つ作品になったかという質問には「宝物ですよね。僕の中で深作欣二監督が強く残っていますし、冒頭の繰り返しになってしまいますけど、映画の楽しさ、大変さ、その魅力を教えてくれたのも深作組だし、深作組に少しでも参加させてもらったことがこれからの財産として残っているんじゃないかなと思いますし、あそこまで才能のある方とかもっともっとご一緒したかったという思いが残っています」と言葉に力を込めた。
なお、同イベントは65年という長い歴史のグランドフィナーレを彩る「さよなら 丸の内TOEI」プロジェクト(7月27日まで開催)の一環として行われたが、藤原は「非常に寂しいですけど、僕らとしてはその思い出を残しつつも、また新たな気持ちで新しい作品でみなさまを喜ばせていけたらいいなと思っています」と伝えた。(modelpress編集部)
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