「過去の失敗を減点のようには思いたくない」と力強く話すかつてアイドルグループ・HKT48でセンターを担い、現在は俳優として活躍する兒玉遥さん(28)。昨年は、NHK連続テレビ小説「おむすび」に出演。人気俳優の登竜門である朝ドラデビューを果たし、さらなる飛躍を遂げた一年となった。
トップアイドルから俳優への華麗な転身ーー外野から見れば順風満帆な芸能人生を歩んでいるように思える兒玉さんだが、意外にもその過去は苦悩と葛藤に満ちていた。
◆正解がわからなかったアイドル時代
14歳でHKT48の1期生オーディションに合格し、芸能界に飛び込んだ兒玉さん。ダンスや歌の経験がゼロだったのにもかかわらず、デビューと同時にセンターのポジションを任されていた。
「実力がほかのメンバーより‟下”だと、目に見えてわかるのに、センターに立つのはプレッシャーでした。とにかくその穴を埋めるために必死で。14歳で芸能界に足を踏み入れ、まだ上手な立ち回りもわからない。周りがものすごく大人に見えて、委縮してしまっていたところもありました」
足を引っ張らないようにと努力を重ね、表向きはセンターとして遜色ないパフォーマンスを見せていたが、常に不安は拭えなかったという。
「アイドルとして走り出した当初から、自分に何か秀でたものや優れたものがあるわけじゃないとわかっていました。ずっと外見にもコンプレックスがあり、メンバーとの集合写真を見ては毎日のように落ち込んでいました」
◆「ヒアルロン酸が精神安定剤だった」
そして兒玉さんは、手軽に容姿を変えることができる“プチ整形”にのめり込んでいく。
「当時、鼻根(鼻の付け根)が高い鼻が流行っていて、ヒアルロン酸を注入すると簡単に鼻根を高くすることができるんです。でも、ヒアルロン酸ってすぐに吸収されてなくなっちゃうので、それが怖くて繰り返し注入するようになりました。ヒアルロン酸を入れたら可愛くなれる。そう思い込み、まるでヒアルロン酸が精神安定剤のようになっていました」
周囲の人にヒアルロン酸の注入を止められることもあったが、当時の兒玉さんには誰の言葉も届かなくなっていた。何が正解なのかわからず、悩みだけが肥大化し、気が付けば総額1000万円以上を美容整形に費やしていたという。
◆紅白歌合戦の“勘違い”の顛末は…
そんな兒玉さんに追い打ちをかけたのが、SNSでの誹謗中傷だった。
「私がアイドルになったころ、ちょうど世の中でSNSが普及し始めたんです。最初はポジティブなコメントが多くて嬉しかったのですが、活動を続けるうちにだんだんとアンチコメントが増えていき……。悪い書き込みをしている人はそんなに相手が傷つくと思っていないのだろうけれど、見ているほうにはストレートに届く。あまりの数に、心の対処が追いつきませんでした」
ただでさえギリギリの精神状態でステージに立っていた兒玉さんに、心ない誹謗中傷は重く響いた。そして2016年末、とどめを刺すような出来事が起こる。ファンの間では有名な“紅白勘違い事件”だ。
当時、AKBグループの中から投票で選ばれた48人が、NHK紅白歌合戦に出演できるという企画がおこなわれていた。併せて、上位16人を発表する生放送も実施。兒玉さんは2016年6月の選抜総選挙で9位だったこともあり、16位以内のランクインを期待していた。
しかし、いつまで待ってもなかなか名前を呼ばれない。1位と2位を発表する段階になり、兒玉さんは自分がどちらかに入っているかもしれないと思い、ステージ中央に移動した。しかし、そこでも兒玉さんの名前が呼ばれることはなかった。残念ながら結果は29位で、16位以内にすらいなかったのだ。
◆誹謗中傷が加速し、心身ともに限界が
この騒動がアンチを焚きつける形となり、SNSでの誹謗中傷はエスカレート。一回目の活動休止に至る大きな要因となった。当時について、兒玉さんはこう回想する。
「今思えば、ただ面白がってネタにされていただけなんですよ。でも、当時の自分は批判のコメントをすべて真に受けてしまって、本当に傷ついていました。その後、自分の気持ちを人に伝えたり、まとめることができなくなって、いつしか思い通りに身体も動かせなくなり『私、どうしちゃったんだろう?』と。それでもスケジュールをもらったら絶対に現場に行かなきゃいけないと思っていたので、自分の中に休むという選択肢はありませんでした」
見かねたスタッフが、半強制的に兒玉さんを病院へ連行。そこで“躁うつ病”と診断を受け、ドクターストップが。兒玉さんはようやく活動休止を決意した。しかし、休業中も心休まる日は少なかったという。
「一回目に活動を休止したときは、すごく焦りがありました。躁うつ病の怖さを知らないので、お医者さんに言われた通りに休んだらすぐに治るだろうと思っていたんです。グループに迷惑をかけたくなかったし、自分だけ置いて行かれるのではないかという不安もありました。だから、自分がいまどういう状態なのかに目を向けず、無理やり復帰をしました」
ステージに戻ったあとも、兒玉さんは引き続き心身の違和感に悩まされていた。
「いつもできていたはずのことが、できなくなっていることに気付かされました。たとえば、スムーズに歌えて踊れていたはずの曲がわからなくなってしまったり……。楽しかった現場が、まったく楽しいと思えなくなったんです。それでも数ヶ月間は頑張ってみたのですが、結局ギブアップしてしまいました。もうこれ以上、HKT48のメンバーでい続けていくのは難しいと感じて、二回目の活動休止を決めました」
◆高額バッグを衝動買い…躁とうつの波に悩まされる日々
5年間、アイドル活動に人生を費やしてきた兒玉さん。病気によりすべてを奪われ、当時20歳にして「生きる気力を失ってしまった」と語る。
「躁うつ病は、皆さんがイメージする通り、躁状態(気分が非常に高揚している状態)とうつ状態(憂うつで落ち込んだ状態)を行き来する病気です。うつ状態のときは誰とも連絡を取らず、とにかく自宅でふさぎ込んでいました。
逆に、躁状態のときはちょっと気分がいいので、外出もできるようになるんです。躁状態のとき、20歳になった自分に誕生日プレゼントを買おうと思い、街へ出てみました。そのとき不意にほしくなったバッグがあったのですが、それがものすごく高額で。平常心だったら絶対に買えないような金額なのに、何を思ったか衝動的に購入してしまったんです。しかもものすごく派手なデザインで、普段使いもできず……。今でもまったく使わず、家の奥にしまってあります」
気分に大きな波があり、自分ではコントロールが効かない躁うつ病。それでも、両親はありのままの兒玉さんを優しく受け入れてくれた。
「二回目の休業時は、実家でゆっくり過ごしていました。仕事を休んで何もしていない私を、家族は責めることなく、ただただそばにいてくれました。当初、両親は私の芸能活動にあまり賛成はしていなかったように思います。でも、仕事の送り迎えや、食事の用意など、振り返ってみるといつも家族の支えがありました。活動休止中も、やさしい家族の存在に甘えられたのは大きかったですね」
◆なぜ俳優を目指したのか「バラエティタレントよりは…」
そして2019年6月、HKT48を卒業。兒玉さんにとって、次のステップに進むための大きな一歩となった。セカンドキャリアとして俳優業を選んだ理由について、兒玉さんは次のように語る。
「アイドル時代、俳優になろうとは考えていませんでした。活舌は悪いし、お芝居も特別うまくない。でも、フリートークが本当に苦手なので、バラエティタレントになるのは無理……。一方で、記憶力には自信があったので、台本を覚えることは得意でした。だから、滑舌とお芝居の部分をしっかり強化していけば、バラエティタレントよりは『なにかを演じる』ほうがやっていけるのではないかと思い、俳優の道へ。はっきりと自信をもって転身したわけではなく、とにかく走り出してみたような感じでしたね」
いわば消去法的に俳優業を選択した兒玉さんだが、ドラマ「何かおかしい2」のレギュラーや、映画「渚に咲く花」の主演など、さまざまな作品で役を獲得。とくに朝ドラ出演は大きな反響があり、両親も大喜びだったという。それでも兒玉さんは、自分の芝居に対して「いまだに自信があるわけではない」と話す。
「自分の演技が正解なのか、今でもわかっていないところがあります。でも、作品が公開され、色んな人に見てもらって、そこでいただいた反応がすべてだと思っています。自分がよくできたと思っても、誰にも刺さっていなかったら意味がない。作品が世に出ていくことで、少しずつ自信をつけていきたいです」
◆役作りでホステスに挑戦。人生初のアルバイトで気づいたこと
今年4月。兒玉さん主演のYouTubeドラマ「東京彼女 銀座クラブ嬢編」が公開された。兒玉さんは、ひたむきに仕事と向き合う新人ホステス・ユキを好演。役作りのため、本物の銀座のクラブに“極秘体験入店”までおこなったという。14歳から芸能一筋で生きてきた兒玉さんにとって、人生初のアルバイトでもあった。
兒玉さんは、初めて経験した夜の世界について「きらびやかに見えるけど体力勝負の仕事」と話す。それは兒玉さんが必死に生き抜いてきた、アイドル業界にも通じるところがあるのかもしれない。
「アイドル時代から握手会で鍛えられてきたので、お客様とのコミュニケーションは楽しくできたように思います。でも、これだけたくさんのお酒を毎日飲むのは本当に大変だなと感じました。仕事で飲むお酒とプライベートのお酒は全然違う。改めて、銀座で働かれている方々にリスペクトを感じました」
◆次の目標は「大河ドラマ」
また、主人公のユキと自分自身が重なる部分もあるという。
「ユキは、人を疑う気持ちがなく、真っ直ぐすぎて危ういところがあります。時には危険も顧みず、突っ走ってしまう。でも、そういう経験もすべて強みに変えられる女性です。どんな困難も自分の糧に変えていく。そんなところが自分と似ていると思いました。
私も、もっと仲間に想いを打ち明けるとか、壁にぶつかったときは素直に誰かを頼るとか、周囲の人とたくさんコミュニケーションをとるべきでした。今ではすごく反省しています。でも、全問正解で進むことはできません。数えきれないほどの失敗をしたし、すごく不器用だったけど、自分なりに挑戦をし続けてきたのは事実。だから、過去の失敗を減点のようには思いたくありません」
最後に、今後の展望について聞くと、兒玉さんは花が咲いたような柔らかい笑顔を見せた。
「私はとにかくこの仕事が大好き。アイドル時代の自分も、躁うつ病で苦しんだ自分も、美容整形で悩んだ自分も、全部救ってあげられるのが、この仕事で活躍することだと思っています。すべてを糧にしながら、お芝居を通じて誰かを感動させられたら本望ですね。次なる目標は、大河ドラマに出演すること。これからも精一杯頑張ります」
<取材・文/渡辺ありさ 撮影/山川修一>
【渡辺ありさ】
1994年生まれ。フリーランスライター兼タレント。ミス東スポ2022グランプリ受賞。東京スポーツ、週刊プレイボーイ、MEN'S NON-NO WEB、bizSPA!フレッシュなどで執筆。隔月刊漫画雑誌「グランドジャンプめちゃ」にて連載中の漫画「スワイプ」の原作も務める