
東京ヴェルディ・アカデミーの実態
〜プロで戦える選手が育つわけ(連載◆第13回)
番外編:小笠原資暁ユース監督インタビュー(中編)
Jリーグ発足以前から、プロで活躍する選手たちを次々に輩出してきた東京ヴェルディの育成組織。その育成の秘密に迫る同連載、今回も前回に続いてユースチームを率いる小笠原資暁監督のインタビューをお送りする――。
――指導者になるにあたって、最終的な目標はあったのですか。
小笠原資暁(以下、小笠原)なかったです。もし何にでもなれるよ、と言われたら、「アーセナルの監督になりたい」というぐらい。その(指導者になろうと決めた)当時は、もうアーセナルが大好きでイングランドへも行ったので(笑)。
でも、そんなところに到達できると思っていないし、ましてや、ヴェルディのスクールコーチもやらせてもらえると思っていなかった。1日、1日、子どもたちをどう楽しませるか、ということしか頭になかったです。
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――東京都八王子市出身ということは、もともとヴェルディファンだったのですか。
小笠原 どうしてもヴェルディに入りたいとか、そういうものはなく、とにかくサッカーコーチの仕事がしたい、というだけでした。どこかに引っかかってくれないかな、という感じで、いくつかのクラブに(履歴書を)送ったうちで、一番早く話を聞いてもらえたのがヴェルディだったんです。
でも、僕は本当に世間知らずだったので、ヴェルディでスクールコーチをやることが決まって、最初は週3日(の勤務)だったと思うんですけど、そうすると平日5日間のうち、あと2日は空いているな、と。僕はそこもコーチの仕事がしたくて、その後に横浜FCからも連絡があったので、「ここの2日だけ、こっちでコーチをやりたい」って言ったんです。
もちろん、僕は本気で言っているんですけど、先方からしたら、「えっ?」って話ですよね。それで後日電話が来て、やっぱり断られるんですけど、「そういうものなのか」と思ったりして......。だから、もし(連絡が来る)順番が逆だったら、横浜FCに入れてもらっていたかもしれないです。
――実際にサッカースクールでコーチをやってみて、どうでしたか。
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小笠原 給料はひとコマいくらという感じだったので、午前中はスポーツジムでアルバイトをしながらでしたけど、めちゃくちゃ教えている感覚はありました。家で、ひとりでリハーサルして、どういう順番でゲームのルールを伝えたら、小さい子たちの頭にも入っていきやすいかを考えたり、台本みたいなものまで書いたりして、この辺でひと笑い入れないと飽きられちゃうな、とか(笑)。そういうことを毎日繰り返していました。
とにかく自分で考えて、自分でやらないと、もうこの世界で生きていけないだろうなって思っていたので、最初の2年間は、人がやっている練習や、人のメニュー本とかは見ませんでした。僕は(プロ)選手としてのキャリアがないので、他の人と同じことをやっていたら絶対ダメだと思っていましたから。
今思うと選手に謝りたくなるような練習ばかりしていましたけど(苦笑)、でも、それをヴェルディのスタッフはとがめるでもなく、「好きにやりな」って言ってくれる環境にあったので、それはめちゃくちゃありがたかったです。そのときの2年間が、今の自分のベースになっている気がします。
――自分で考えるからこそ身になる、と。
小笠原 2、3年目からは学校巡回指導にも参加したのですが、あれが一番勉強になったかもしれないです。学校巡回指導は、小学校の体育の授業みたいな感じでやるんですけど、ここの(ヴェルディのスクールに来る)子たちはみんな、サッカーをしたくて来るわけじゃないですか。でも、学校巡回指導で教える子たちは、学校の授業に出席しているだけで、別にサッカーをしたいわけではないんです。
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そういう子に、いかにサッカーの楽しさを伝えられるかとか、僕と関わってみたいと思ってもらえるかとか、とにかく子どもたちの関心を引きつけなきゃいけない。下を向いて絵を描いているような子を、どうやってこっちに向かせるか。そういうのは、めちゃくちゃ考えさせられました。今はその感覚が結構抜けちゃっている気がするので、取り戻さないといけないですね(苦笑)。
――もともと小笠原さんの感覚的なものは、ヴェルディと相性がよかったのではないですか。
小笠原 僕は「よし、コーチになるぞ」と思ったときにノートを作って、そのはじめに「どんなチームを作れるコーチになりたいのか」っていうことを書いているんですね。それを見ると、「縦に速いサッカー」みたいなことを志向しているんです。
でも、ヴェルディはどちらかと言うと、みんなでボールを動かす印象のほうがたぶん強い。だから、楽しかったのかもしれないです。自分の発想にはないものだったから。
ここに来てからは、「こんなことができるんだ」っていう新しい発見の連続でしたし、そういう意味では、相性がよかったのかもしれないです。
(つづく)