
語り継がれる日本ラグビーの「レガシー」たち
【第31回】遠藤幸佑
(中標津高→法政大→トヨタ自動車)
ラグビーの魅力に一度でもハマると、もう抜け出せない。憧れたラガーマンのプレーは、ずっと鮮明に覚えている。だから、ファンは皆、語り継ぎたくなる。
連載31回目は、鍛え上げた肉体とスピードを武器に「和製ジョン・カーワン」と呼ばれたWTB遠藤幸佑(えんどう・こうすけ)を取り上げる。2007年のラグビーワールドカップでチームが一丸となって決めた100m走トライは、世界のラグビーファンの度肝を抜いた。
※ポジションの略称=HO(フッカー)、PR(プロップ)、LO(ロック)、FL(フランカー)、No.8(ナンバーエイト)、SH(スクラムハーフ)、SO(スタンドオフ)、CTB(センター)、WTB(ウイング)、FB(フルバック)
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WTBらしからぬ身長186cm・体重90kgの大柄な体躯を武器に、積み重ねた日本代表キャップは41。「和製ジョン・カーワン」遠藤幸佑を代表するシーンと言えば、2007年ラグビーワールドカップのウェールズ戦で、ほぼ100mをつないで決めたトライではないだろうか。
日本代表が過去にワールドカップで挙げたトライのなかで、「最も美しいトライのひとつ」と言われる。遠藤本人も「チームみんなのトライだった。一番印象に残っています」と振り返る。
前半19分、自陣ゴール前でNo.8箕内拓郎が相手にプレッシャーをかけると、ラックでボールがこぼれた。そのボールをLO大野均が拾って走り、SOブライス・ロビンスからCTB大西将太郎、CTB今村雄太へとつながる。そして最後は遠藤がスペースでボールをもらい、スピードを生かして右中間にトライを決めた。
「ボールが滑るなかでの難しいパスでしたが、日本らしいスピードのあるトライだった。トライしたあとにみんなが寄ってきてくれたのが、すごくうれしかった瞬間です」
【カーワン直伝のステップを習得】
同じく2007 年大会でのカナダ戦のトライも印象的だ。前半12分、ラインアウトを起点にハーフウェイライン付近でボールをもらった遠藤は、自慢のフィジカルで相手SOを吹き飛ばし、相手FBとの1対1をショートステップでかわして右中間に飛び込んだ。遠藤の持ち味が大いに生きたトライといえよう。
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遠藤の持ち味とは、独特のステップにある。ニュージーランド代表のレジェンドWTBにして、2007年と2011年のワールドカップで日本代表を率いた「JK」ことジョン・カーワンHC(ヘッドコーチ)が自ら伝授したステップだ。
「JKからは『ステップはちょっとしか地面を踏まないように。相手の近くでステップを切れ』と言われました」
このステップを習得させるために、カーワンHCは遠藤を森の茂みに連れて行ったという。「ひとりでできるから」と言われた遠藤は、木の間で黙々とステップを切って練習に励んだ。
実際、相手の近くで小さいステップを心がけると、思うように抜くことができた。
「相手から離れてステップを切ると、僕はスピードがないので追いつかれてしまう。だから、なるべく近くでステップを切って、相手との間合いを体半分ずらして当たってから抜け出るかを考えるようになった」
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カナダ戦のトライは、遠藤いわく「無我夢中だったのであまり覚えていない」が、師匠の教えを弟子が世界の舞台で実践した瞬間だった。
遠藤は1980年生まれ、北海道中標津町出身。酪農農家で育った。小さい頃から牛乳を飲み、親の仕事を手伝っていたことが、彼の強靱な体の礎(いしずえ)となったのは間違いない。
小学校では剣道、中学校ではバスケットボール部に所属していた。そんな遠藤が楕円球に出会ったのは、地元・中標津高に入学した15歳。のちに恩師となる多田浩監督に誘われたことがきっかけで、本人も「ラグビー部が強くて全国大会に出場したかった」という理由で競技を始めた。
その希望どおり、遠藤は高校2年、3年と連続して「花園」全国ラグビー大会に出場。ともに1回戦で敗退したが、当時No.8でのプレーは関係者の目に止まり、7人制の日本選抜に選ばれるなど、名の知れた選手へと成長していった。
【引退後にボクサーの道へ】
法政大学に進学後、遠藤はBKにコンバート。主にFBとしてプレーした。当時の法政大は毎年のように大学選手権で上位に進出し、遠藤が大学4年時には国立競技場で行なわれた準決勝まで駒を進めた(優勝した早稲田大と対戦して7-43で敗れている)。
社会人はトヨタ自動車に進む。2年目に外国人選手がFBに起用されたことをきっかけに、遠藤はWTBのポジションでプレーするようになった。
「最初の頃は足が遅かったので、WTBとしてボールをもらっても、最後まで走りきる自信はなかった。ただ、試合に出してくれるならどのポジションでもよかった。FBはキックの読みなどが必要なポジションなので、結果的に僕はWTBのほうが向いていたかも」
その読みは当たっていた。WTBでのプレーが評価されて、2004年のイタリア戦で初キャップを獲得。フィジカル自慢のWTBだったカーワンHCが遠藤の存在を放っておくはずはなく、2007年、2011年ともに桜のジャージーを着てワールドカップに出場した。
しかし2013年12月、遠藤は右ひざに大ケガを負ってしまい、再び公式戦のピッチに立つことはなかった。懸命にリハビリを続けるも全盛期の動きは取り戻せず、2015年のオールスターゲームに出場して34歳で引退する。
「映画『ロッキー・ザ・ファイナル』みたいに引退試合に向けてしっかり準備して、全部出し切るつもりでやって、ここまでできた。なので、悔いはないです」
そう言い残し、遠藤はラグビーキャリアに幕を下ろした。
ただ、彼のアスリート人生は、もう少し続きがあった。
引退後は母校・法政大でコーチを務めつつ、ボクシングジムに入会。本格的にボクシング競技に取り組み始めたのだ。
2019年に行なわれた全日本社会人選手権で準優勝。競技歴1年 4カ月でヘビー級オリンピック強化指定選手に選ばれ、日本代表としてオリンピックプレ大会にも出場する。
しかし残念ながら、東京オリンピック出場の夢は叶わなかった。
【歴代屈指のトライゲッター】
WTBというポジションについて、かつて遠藤はこう話してくれた。
「WTBは最後にボールを持つことが多い。その過程には、FWが痛い思いをしてボールを取ってくれて、ほかのBKがつないで、最後に託してくれる。だから、みんなの期待や思いを裏切らないようなプレーをして、トライするポジションだと思います」
北海道の広大な大地で生まれ育ち、レジェンドWTBの指導に大きく花開いた「和製カーワン」遠藤幸佑は、日本ラグビー史上に残るフィジカル自慢のトライゲッターだった。