画像:「連続テレビ小説 ばけばけ Part1」(NHK出版)朝ドラ『ばけばけ』の主題歌、ハンバート ハンバートの「笑ったり転んだり」が好評です。夫婦を演じる主演二人の静止画に合わせたほのぼのとした曲調に、“朝ドラ史上最高に癒やされる”などと共感する声が多く上がっています。
前作の『あんぱん』ではRADWIMPSが歌った「賜物」がいまいち不評だったこともあり、今作のオープニングに満足している人が多いようです。
◆前作との比較で見える主題歌の「伝わりやすさ」
『ばけばけ』と「笑ったり転んだり」がうまく噛み合った理由はどこにあるのでしょうか?
まず、音楽が主張する度合いが異なります。
前作『あんぱん』のRADWIMPSは、音楽・歌詞ともに野田洋次郎の個性が際立つ曲でした。
たとえば、ラップのように言葉を畳み込む<人生訓と経験談と占星術または統計学による教則その他、参考文献溢れ返るこの人間社会で>というフレーズはRADWIMPSのファンには馴染みのある表現方法でしたが、彼らを知らない人たちにとってはかなり唐突に聞こえたはずです。
主題歌で何が起きているかわからないまま本編につながっていくので、ついに感情移入できないままドラマが終わってしまったのです。
◆作品世界との調和がもたらす“音のやさしさ”
一方、『ばけばけ』の「笑ったり転んだり」では、日本語の音節と呼吸の間合いが十分に生かされているので、ハンバート ハンバートというユニットを知らない人たちが初めて聴いてもそこまで違和感なく音楽が入ってきます。
ミュージシャンによる独特な作風を強調することよりも、全体の調和を優先している。このことがドラマのシネマトグラフィーと相乗効果を生み、間接的に曲の個性を照らし出している。だから音楽の響きがダイレクトではなく、柔らかく視聴者に届くために好感をもって受け入れられているのです。
そして、ハンバート ハンバートが、ミリオンセールスを誇るビッグネームでないことも大きな要因です。歴代の主題歌は錚々たる面々が担当してきました。米津玄師、中島みゆき、B’z、椎名林檎、ドリカム、松任谷由実、スピッツなどなど。
これらのアーティストとハンバート ハンバートでは知名度やセールスの面で大きな差があることは否定できません。
しかしながら、それと音楽の性質、そして曲がドラマの作意にふさわしいかどうかは全く関係がありません。映像が映し出す情感や匂いを引き出せる曲であれば、使い方次第でどのようにも輝くことができます。
◆“知られていない”ことが力になるとき
海外ドラマや映画などでも、決してメガヒットとは言えない曲が年月を経て印象的なシーンで起用されリバイバルヒットする例がよくあります。最近では映画『Saltburn』で使われたソフィー・エリス・ベクスターの「Murder On The Dancefloor」がそのひとつです。
ハンバート ハンバートも長年音楽ファンの間では知る人ぞ知る存在として実力を評価されてきました。そのようにして静かに培ってきた音だからこそ、詠み人知らずのナチュラルさでドラマに馴染むことができたのです。
アーティストの名前とブランドの強さで音楽だけが目立ってしまうことを回避できたことも、『ばけばけ』のオープニングが好評を得ている要因と言えるでしょう。
となると、今後もビッグアーティストに頼らない朝ドラ主題歌の流れができるのかもしれません。今度はどんなミュージシャンが起用されるのか。楽しみです。
<文/石黒隆之>
【石黒隆之】
音楽批評の他、スポーツ、エンタメ、政治について執筆。『新潮』『ユリイカ』等に音楽評論を寄稿。『Number』等でスポーツ取材の経験もあり。いつかストリートピアノで「お富さん」(春日八郎)を弾きたい。Twitter: @TakayukiIshigu4