
北中米ワールドカップ・アジア最終予選を7勝2分1敗という圧倒的な実力差で勝ち抜き、早々に本大会出場の切符を手に入れた森保ジャパン。しかしその後、9月に行なわれたアメリカ遠征では、ワールドカップ本大会レベルの相手に対して白星を飾ることができなかった。
メキシコ戦(9月6日)は0-0、アメリカ戦(9月9日)は0-2。結果だけでなく芳しくない試合内容にもファンからは不満の声が上がり、森保一監督への風当たりも強まりつつあった。
しかし、周囲の厳しい視線が集まるなか、10月10日に大阪・吹田で行なわれたパラグアイ戦は2-2のドローながら、4日後に東京スタジアムで迎えたブラジル戦では予想を覆す3-2の歴史的勝利。
代表監督に就任した当初は「無能」と一部サポーターから揶揄されながら、カタールワールドカップでドイツやスペインを撃破してベスト16進出を果たすと、その評価は一変。しかし最近は、戦術、選手選考、交代のタイミング......等々、再びその手腕を疑問視する声も聞こえる。
そんな評価の浮き沈みが激しい森保監督の状況を見て、選手時代から追ってきたベテランフォトグラファーのヤナガワゴーッ!氏が思いを込めて筆をとった。
|
|
※ ※ ※ ※ ※
いよいよ2026年に行なわれる北中米ワールドカップ開幕まで1年を切りました。ただ、強化のために日程を組んだ9月のアメリカ遠征は、格上のメキシコとアメリカを相手に1敗1分で無得点。その結果を受けてホームで行なわれたパラグアイ戦とブラジル戦は、どんな内容になるのか注目が集まりました。
パラグアイのFIFAランキングは日本より下方に位置するも(パラグアイ37位、日本19位)、列強が立ち並ぶ南米予選を末席(6位)ながら突破した強豪です。試合は目の離せない展開となり、パラグアイに「日本は侮れない」という印象を与え、結果は2-2のドロー。
続く相手は、日本がパラグアイと対戦した同日に韓国を0-5で叩きのめしたブラジル。スタンドは44,290人のファンで埋め尽くされ、両キャプテンによるコイントスでは、カゼミーロを睨みつける南野拓実の表情からレンズ越しにパッションが伝わってきました。
【30年前は歯が立たなかった】
キックオフのホイッスルと同時に南野、佐野海舟、中村敬斗がブラジル陣内に攻め込み、右サイドからは堂安律が切り込んでいく。早々に2点を奪われましたが、攻撃の手を止めない日本に対して、ブラジルは浮き足立っているように感じました。
|
|
そして後半、ブラジルのちょっとした、しかし重大なミスを見逃さなかった南野が右足を振り抜いて反撃の狼煙を上げました。このゴールで試合の流れは日本に傾き、さらに伊東純也のピンポイントクロスに反応した中村が同点ゴールを決めると、最後は上田綺世が伊東の高精度コ−ナーキックにヘッドで合わせて逆転。ブラジル相手に歴史的勝利を挙げたのです。
試合前に森保監督と仲良く握手していたカルロ・アンチェロッティ監督は、試合後に森保監督が握手しにいくのを無視して帰ってしまいました。名将がそんな態度を取ってしまうほど、世界に衝撃を与えたゲーム。初のブラジル戦勝利で、メディアルームは異様な熱気に包まれていました。そんな雰囲気のなかで開かれた監督会見。
インタビュー冒頭、日本人記者による「親善試合ではありますが、ブラジルに勝った気分を教えてください」との質問に対し、森保監督は「親善試合とはいえ、ブラジルに勝つのは簡単ではありません」と、キッパリと返した。そしてこう続けます。
「先輩、関係者のみなさん、日本サッカーがチャレンジし続けてきたことが、今日の結果につながったと思います。ケガ人などのマイナス要因があったとしても、ポジティブにとらえ、常にその時のベストを目指す。劣勢のなかで切れないメンタリティと、個々の強さをもっと上げていき、最高・最強のチームをつくることが私のできることです」
力強く語ったあと、今度はブラジル人記者の「30年前のイングランドでのブラジル戦、覚えていますか?」との質問には、思わず表情を緩めた。
|
|
「久しぶりに質問をいただき、思い出しました。4カ国対抗戦ですね。後半に10分くらいは出たかな......その頃はまったく歯が立たなかったと記憶しています」
1995年6月6日、リバプール。アンブロ・カップで、日本が初めて国際試合でブラジルと対戦した記念すべき試合だ。結果は0-3。
【全員一致で「ポイチだ!」】
この日の監督会見は、質問に対する回答がいつになく丁寧で、かかった時間も長く、50分近くも要しました。
そして会見終了して退席する際、驚くべきことが起きました。森保監督が一部の記者たちに向けて、なんとハートマークを作って見せたのです。
ふだんは真面目な森保監督の「人懐こい」姿を見て、思い出したことがあります。
それは、1992年の広島で行なわれたアジアカップ。翌年にJリーグ開幕を控え、日本中のサッカー熱が高まるなかで開催された大会でした。
メンバーは、1松永成立、2大嶽直人、3勝矢寿延、4堀池巧、5柱谷哲二、6都並敏史、7井原正巳、8福田正博、9武田修宏、10ラモス瑠偉、11三浦知良、12山田隆裕、13阪倉裕二、14北澤豪、15吉田光範、16中山雅史、17森保一、18神野卓哉、 19前川和也、20高木琢也(数字は背番号)。
最近サッカーを見始めた方々にはピンとこないかも知れませんが、まさに当時の日本サッカー界から最高のメンバーがそろっていました。僕がどれだけ胸を躍らせて広島へと向かったことか。スタジアム全体にチアホンが鳴り響き、日本は初優勝を果たし、準決勝のイラン戦で値千金のゴールを決めて「魂込めました、足に」の名言を残した三浦カズがMVPを獲得。
そんな大いに盛り上がった大会のなか、先輩カメラマンたちの間から「俺たちもカメラマンMVPを作って表彰しようぜ!」というムーブメントが起こりました。
1974年ワールドカップ西ドイツ大会でギュンター・ネッツァーを撮っている富越正秀さん、サッカー協会殿堂入りした今井恭司さん、1978年のアルゼンチン大会でマリオ・ケンペスを撮っている清水和良さん、日本唯一のサッカー専門カメラマン山添敏央さん......等々、先輩カメラマンは恐ろしいほどのレジェンドたちです。
「じゃあ、誰にするか?」となった時、もう見事に全員一致で「森保一、ポイチだ!」と。
監督の言うことを聞かない某ベテラン選手がピッチでカリカリしているなか、ボランチという当時まだ馴染みの薄かったポジションで真摯にボールを追いかけ、前後のバランスをとって玄人受けするプレーを見せていたのが、森保監督でした。
そうと決まればさっそく、すばらしいプレー写真を撮っていた清水さんの作品をプリントして額装し、サッカー協会の知り合いに事の顛末を説明して預けることにしました。すると、なんということでしょう、アジアカップ決勝戦後のセレモニーの最中に「MVPオブ・ザ・カメラマン賞は、森保一選手です!」と発表されたのです! なんていい時代だったのでしょう(笑)。
【なぜ君が代を聞いて泣くのか?】
時は流れて2019年1月29日、場所はアラブ首長国連邦。
第17回アジアカップの準決勝「カタールvs UAE」を撮り終えた僕と清水さんは、スタジアムからホテルへと向かっていました。そこへちょうど、前日の準決勝でイランを3-0で破って決勝相手の視察に来ていた森保監督とバッタリ。
「おっ、ポイチ!」と言いそうになるのを飲み込んで、「監督! 以前にアジアカップで僕らが表彰したのを覚えていますか?」と聞いてみたのです。
すると、その時すでに27年も前のことであるにもかかわらず、森保監督は間髪入れずに、「ハイッ! 覚えていますよ。1992年の広島アジアカップ初優勝の時ですよね。いただいた写真、まだちゃんと部屋に飾ってありますよ! こんな遠くまで取材ありがとうございます。これからも応援よろしくお願いします!」と。
なっ、なんていい奴なんだー!
サッカーファンのみなさんに言いたい! 森保一監督は絶対に裏切らない、仲間を大切にし、協力して難敵に向かっていく男です。史上最強間違いなしの現在の日本代表メンバーも、ワールドカップ本番では力を出しきって森保監督を漢(おとこ)にしてくれることでしょう。僕は最後まで信じて、森保監督にエールを送り続けたいと思います。
最後に──。
森保監督がなぜ、君が代を聞いて泣くのかって? それはサッカー人生のすべてを懸けて日の丸を背負ってきた「漢の覚悟の涙」なんだと思います。ほほに流れるひと筋の美しい涙が、日本代表の明るい未来を照らすことを信じて、一緒に戦っていきたいと思います。