ヘルムート・マルコがレッドブル離脱の決断を語る「タイトルを僅差で逃したことがきっかけ」本社CEOが比類なき功績に感謝

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2025年12月10日 13:50  AUTOSPORT web

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2025年F1第24戦アブダビGP 優勝したマックス・フェルスタッペン(レッドブル)とヘルムート・マルコ
 レッドブルは、長年にわたりF1活動とドライバー育成に大きな貢献を果たしたモータースポーツアドバイザー、ヘルムート・マルコが2025年末をもって退任し、レッドブルから離れることを正式に発表した。2025年F1最終戦アブダビGPでマックス・フェルスタッペンが勝利を収めてから、約48時間後のことだった。

 12月9日、レッドブルは、82歳のマルコが2025年末で退任するという決断を下したと発表した。

 マルコはその決断について、次のようにコメントしている。

「私はこれまで60年にわたってモータースポーツに関わってきたが、レッドブルで過ごした20年以上の年月は、並外れた、そして成功に満ちた旅路であった。多くの才能ある人々とともに、この素晴らしい時間を形づくり、共有できたことは喜びである。我々が共に築き上げ、成し遂げてきたすべてのことが、私を誇りで満たしている」

「今季、タイトルを僅差で逃したことは、私の心を強く動かし、私自身にとってこの長く、濃密で、成功に満ちた章を終えるのに、今が正しい時期であると気付かせてくれた」

「チーム全員の今後の成功を願っている。来年彼らは、ふたつの世界選手権タイトルを争うことになると確信している」

 レッドブル社のコーポレートプロジェクト&インベストメントCEOオリバー・ミンツラフが、マルコを外した中心人物であるとみられているが、彼は公式コメントでは、マルコの長年の貢献に感謝を示した。

「ヘルムートから、今年末でモータースポーツアドバイザーの役割を終えたいという意向を聞かされた。彼は20年以上にわたって影響力を持つ存在であり、その退任はひとつの並外れた時代の終わりを意味するため、私は彼の決断を深く残念に思っている」

「この20年以上の間に、ヘルムートは我々のチームとレッドブル・モータースポーツ・ファミリー全体に比類なき功績を残した。彼はレッドブル・レーシングを現在の姿、すなわち複数回の世界王者であり、イノベーションの原動力であり、国際モータースポーツの礎となる存在へと導いた、あらゆる重要な戦略的決断の中心にいた」

「彼の卓越した才能を見抜く直感は、我々のジュニアプログラムを形づくっただけでなく、F1全体に永続的な影響を与えた。セバスチャン・ベッテルやマックス・フェルスタッペンといった名前は、彼のリーダーシップのもとで発掘され、支えられ、頂点へと導かれた多くのドライバーたちの象徴である。彼の情熱、明確な決断を下す勇気、潜在能力を見抜く力は、永遠に忘れられることはない」

「長く濃密な話し合いを経て、彼はこのタイミングが最もふさわしいと感じているのだと理解できたため、私は彼の意向を尊重しなければならないと悟った。彼の退任が大きな空白を残すことは間違いないが、彼の決断に対する敬意と、彼がレッドブル・レーシングのために尽くしてきたすべてに対する感謝の気持ちは、それを上回るものだ」

「ヘルムート・マルコは、個人的にも職業的にも大いに惜しまれる存在となるだろう。彼の未来が最良のものであることを願うと同時に、今後もチームと温かく、深くつながり続けてくれることを望んでいる」

 1980年代半ば、ゲルハルト・ベルガーのマネジメントをしていたころ、マルコはエナジードリンク企業レッドブルをF1の世界へと導いた。1995年初めには、同社がザウバーと結んだタイトルスポンサー契約において、マルコは重要な役割を果たした。

 ザウバーは数年間レッドブルの支援を受けたが、この間にマルコとチームボスのペーター・ザウバーがドライバー選択を巡って対立したことで関係が悪化。ザウバー側はキミ・ライコネンを選んだ一方、マルコはエンリケ・ベルノルディの起用を主張したのだ。この対立により、ザウバーとレッドブルの関係は、既存契約期間が終了するとともに終わった。

 より大きな構想を抱いていたマルコは、レッドブルのCEOディートリッヒ・マテシッツを説得して、ジャガー・レーシングを買収させた。こうして2005年初め、レッドブル・レーシングが誕生した。さらに1年後、同社はミナルディも買収し、これをスクーデリア・トロロッソに改名、多くの若手ドライバーの育成拠点として活用した。その後の歴史は周知のとおりである。

 過去21シーズンの間に、マルコはレッドブル・レーシングが、8回のドライバーズ選手権、6回のコンストラクターズ選手権、130勝、233回の表彰台、111回のポールポジション、102回のファステストラップを達成するのを見届けてきた。417回のグランプリ出走という中での、実に見事な記録である。

[オートスポーツweb 2025年12月10日]

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