「座右の銘は“行き当たりバッチリ”」南果歩 乳がん闘病中に夫が不倫、重度うつ病に…全て失った壮絶50代の先に見つけた「本当の人生」

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2026年05月07日 11:00  web女性自身

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「50代で私の身に起きたことは、自分を変えて人生をやり直すために必要だったんだと思います。それまでは“自分を犠牲にしても頑張れば何とかなるはず”と、無理をするのが当たり前で、自分に我慢を強いていたんでしょうね」



そう話すのは、女優の南果歩さん(62)。2016年、52歳で乳がんに罹患。翌2017年、53歳のときに重度のうつ病を発症、そして2018年、54歳で2度目の離婚と、荒波の50代を乗り越え、いま、自分らしく60代の人生を歩いていると語る。



南さんは、1995年、作家と1度目の結婚。長男を出産も2000年に離婚。



その後、2005年に俳優と再婚するも、50代に入った3年の間に、健康、家庭、仕事を立て続けに失うという試練に直面したのだった。



「これほどの衝撃がないと、自分を幸せにすることがいちばん大切なのだと、気づけなかったんでしょうね。この経験を通して、私は、人生は何度でもやり直せると、心底思えるようになりました。そして笑顔で還暦を迎えられました」



笑顔を取り戻すまでの軌跡を綴った『還暦スマイル』(小学館)を出版した南さんが、その辛苦の経験と、そこから見つめた“自分らしさ”について振り返った。



「それまで健康に関して『私は大丈夫』と、根拠のない自信があって、定期的な健康診断も受けていませんでした。あるとき、人間ドックという言葉が気になって仕方なくて。当時の夫に検査を勧めたところ、初期の進行性胃がんが発見されました。同時に、私も検診を受けたほうがいいと思ったんですが、そのときは予約がいっぱいで」



キャンセル待ちで空きが出て受けたマンモグラフィー検査で、ステージ1の乳がんが見つかった。



「『まさか私が?』と、ドラマのようで、青天の霹靂で、まるで時間が止まったような“静けさ”を感じました。連続ドラマの撮影中でしたので、撮影を終えてすぐに手術を受けました。そのときは病巣を取り除けば、すぐに元の健康状態に戻れると思っていました」



手術後、全身麻酔でもうろうとした意識の中で、医師や看護師にお礼を言った記憶があるという。



翌日には、立ち上がって歩き、手術後2週間で、当時の夫が出演する舞台のニューヨーク公演を支えるために渡米した。



「妻としてやれることをしなければと、固定観念に縛られていて、無理してたんです。無謀ですよね」



帰国後にはホルモン療法を始めたが、舞台『パーマ屋スミレ』の稽古期間と重なっていた。



「稽古から家に戻ると、何もできない状態でした。でもこの作品の役を演じることが、私の支えとなり、力を与えてくれたんです」



公演後、放射線治療と抗がん剤投与が始まるが、副作用も激しく、投与後病院で倒れることも。



「セカンドオピニオンを受けて、主治医とも相談し、投薬も抗がん剤もやめる決断をしました。これは、あくまでも私個人としての一つの選択です。伝えたいことは、私の経験を一つの例として、みなさんには『検査を受けてください』ということ。また罹患後の社会復帰をどうしてきたかを伝えるのも大切な私の使命だと感じています」



病と向き合う南さんに究極の追い打ちをかけたのが、2017年の当時の夫の不倫騒動だった。当事者である南さんは、その一報を週刊誌の報道で知ったのだという。



「その瞬間、立っていた場所が崩れ落ちるようで、自分の居場所が一瞬でなくなる感覚でした。真っ暗な崖を、後ろから突き落とされたようなショックと絶望感でした」





■「このままではダメになる」とアメリカの友人宅の部屋に



気づくと、喜怒哀楽のあらゆる感情を失っていた南さん。



「感情がない、『無』の中にいるんです。何も感じず考えられない。食事も食べられない。眠れない。家のまわりには連日マスコミの人がいて、外出もできませんでした」



友人から紹介されて、オンライン診療を受けた心療内科医から「うつ病の傾向があるので、すぐに病院を受診してください」と、言われ、精神科病院を受診した結果「重度うつ病」の診断が。



「重度うつ病と聞いた瞬間、『あっ、病気だったんだ』と、納得できました。ベッドに臥せていて何もできないけれど、私、怠けてるんじゃない、病気だったと。理由がわかって少し安堵した感じです」



女性医師に往診に来てもらい、ソファでリラックスしながらカウンセリングを受けることもできた。



「ようやく、心の中にしまい込んでいた、『2回目の結婚だからこそ、何があっても添い遂げたかった』という言葉を口にできて、初めて涙があふれたんです。感情を失っていた心が動き出しました」



その小さな兆し。それでもすぐによくなるわけではない。ほとんど寝たきりで夜は眠れず、体重も8キロ落ちていた。そんなある日。



「『このままではダメになる。ここから逃げよう』と、私は“前向きに”逃げることを選びました。その日のうちに、留学中の息子が滞在するアメリカのサンフランシスコへの航空券を予約し、アメリカ在住の友人に家の部屋を貸してほしいと連絡し荷物を詰めました」



急きょひらめいた渡米。そしてこれが転地療養になったと南さん。



「療養中、私は『語学学校へ通う』という日課をつくりました。眠れなくても、毎朝、必ず起きて朝日を浴びる。学校へ行く。もうそれだけで自分をほめてあげようと。



ステイさせてくれている友人へのお礼として、夕食をつくると、それを喜んでくれました。学校にも、毎日笑顔で集う人たちがいて、私も自然と笑顔で挨拶していて。そんな日々を送るうちに、きっかけがあるわけではないですが、少しずつ気力を取り戻しました」



とはいえ、そこは「一時的な避難場所」であると考えていたそう。



「こういう辛い思いをしたところで、自分の人生を終わらせちゃいけない。自分を生きよう。古い自分自身の固定観念を手放し心機一転、生きたいと、感じたんです」



2017年、そこに仕事の話が舞い込んできた。「長期の撮影は無理だ。誠心誠意で断ろう」と一時帰国。だが作品の話を聞くうちに気づくと出演を承諾していた。



主演ドラマ『定年女子』(NHK BS)は、仕事一筋のシングルマザーが部長クラスに昇り詰めるも、突然、役職定年を言い渡され、プライドを失い、心身を追い詰められながらも、再び歩き出す物語。



「まさに、私自身のような役柄で。そして、私は、女優の仕事を通じて、再び人と関わり、自分の言葉を取り戻し、物語の中で生きるお芝居の喜びを思い出せました。まわりの人に支えられて、仕事をリスタートできたんです」



2018年、離婚が成立。



「2度目の結婚生活をいま振り返ると、『絶対失敗したくない』というプレッシャーが当時は無意識にあったのだと思います。



どんなに長く暗いトンネルでも、必ず出口はあるんですね。いま、辛さの中にいる方にも、『人生は何度でもやり直せる』と、伝えたい」





■孫娘と仲よしで一緒に歌を歌ったり踊ったりが楽しい



仕事再開に加え、愛犬が子どもを産み、新たな“家族”が増えた。



「息子の結婚という喜びもあり、『禍福はあざなえる縄の如し』。不幸と幸せってこんなふうにやってくるんだ。人生、結局プラスマイナスゼロになると思っていますね」



還暦を前にすべてを失ったことで、「ようやく私自身の本当の人生を歩き出すチャンスをもらったのかも」と思えるようになり、感情も笑顔も取り戻していった。



「それまで抱えていた、“私が頑張らないと”という固定観念を一つずつ手放していった気がします。困ったら助けを求めていいし、私の代わりはいると思えます(笑)」



いまは、決して無理はせず、自分の好きを優先して生きている。



2度目の20代のようで、「青春が戻ったようなんです」と笑う。



「自由になりました。もちろん好きなことをすると同時に、一人である孤独も受け入れつつ。自分に誠実に、?偽りなく。それは自分にしか見えませんが、おてんとうさまは見ているって感じです」



気の合う仲間とのふれあいもある。ペコちゃん好きの“ぺコラー”だが、「笑顔も無理して笑うことはない」とも語る。



「笑顔は素敵だし、向けられると幸せな気持ちになりますが、笑いたくなければ笑わなくていい」



いまは、シャンティをはじめ愛犬三匹と、アメリカを行き来する息子さん家族がときどき同居する。



「にぎやかで、私は、ずっとご飯をつくっています(笑)。孫娘と仲よしで、一緒に歌を歌ったり踊ったり、ホント楽しいの」



そして、2024年に還暦を迎えた。



最後に、50代の自分にどういう言葉をかけたいかと聞いてみると。



「大丈夫だよと。私の座右の銘は『行き当たりバッチリ』。自分の直感を信じて進んだ先は、面白い。行き当たりが、バッチリになるって。苦難を乗り越えて60代のいま、本当にそう思えます」



と、南さんの笑顔がはじけた。

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