
【不定期連載】箱根からロス五輪へ〜MGCに挑むランナーの肖像〜
第3回 浦野雄平(富士通)前編
箱根駅伝を走ったという事実は同じでも、その物語は一人ひとりまったく違う。区間賞を重ねたスターもいれば、たった一度の出走で思うような成績を残せなかった選手もいる。本連載では、2028年ロサンゼルス五輪代表の座を争うMGC(マラソングランドチャンピオンシップ)出場権獲得ランナーたちに、箱根を走った学生時代の記憶、そして、世界を見据えて42.195kmに挑む現在地を聞く。
第3回は、浦野雄平選手(富士通・28歳)。マラソンで2時間6分台の記録を安定して刻む走力を備え、今後のさらなる飛躍が期待される実力者だ。インタビュー前編では、箱根駅伝5区で区間新記録を樹立するなど、國學院大を強豪校に押し上げた学生時代を振り返ってもらった。
【中学まで野球部。ポジションはセカンド】
「将来、箱根駅伝を走るので陸上をやらせてください」
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中学3年生だった浦野雄平はそう言って、猛反対する両親を説得した。
「小学生の頃からずっと野球をやっていたんです。ポジションはセカンド。巨人ファンで坂本勇人選手が好きでした。かなり熱中していたので、やめずに続けてほしいという思いが親にはあったと思います。
でも、当時の僕は腕のケガの影響で満足にボールを投げられる状況ではなく......。そんな時、中学で駆り出された駅伝大会で区間賞を獲得し、(富山商業)高校の陸上部から声をかけてもらったんです。うれしかったですね。ケガがなければ野球を続けていたと思いますが、走ることも好きだったので、両親に箱根を出ることを約束して陸上を始めました」
しかし、なぜ説得材料として箱根駅伝が出てきたのだろうか。
「親と話をするにあたり、説得力があるものって何だろうと考えた時に、高校野球なら甲子園なので、高校生が目指す都大路(全国高校駅伝)でもよいと思ったのですが、さらにメジャーな箱根駅伝であれば理解してくれるかなと」
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そうして入学した富山商業時代の3年間は、大学でなんとしても箱根に出るため、「必死こいて練習しました」という。そして國學院大への進学を決めた。
「國學院大を選んだ理由は、前田(康弘)監督が最初に声をかけてくださったのが大きいです。また、強豪校に入って4年間走れないままで終わるのか、それとも自分がレギュラーとしてチームを引っ張っていくのかを考えた時、(当時の)自分は全国大会で活躍できるようなレベルでもなかったので、現実的な選択肢として後者を選びました」
箱根を走ることを目指して大学生活をスタートしたが、國學院大は前年に箱根予選会で敗退。本戦出場を逃していた。そのせいか、部内は緊張感に満ちていた。
「箱根に行けなかったこともあり、入学当時の部内の空気はかなりピリついていました。また、同期には青木(祐人)とか、高校時代に自分たちの代でトップを走ってきた選手がいたので、箱根を走るのは厳しいかなとも思いました。
でも、僕は高校の時に『最初から頑張れなければ、後になっても頑張れない』『1年目からレギュラーを取れなければ終わる』と思ってやってきたので、大学でもレベルの差や学年の違いを言い訳にせず、死に物狂いでやろうと決めていました」
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浦野は、箱根の前にまず部内で一番レベルの高いグループに1年間通して帯同することを目指し、早々にグループ入りしたが、上級生とは特にスタミナ面での違いを感じた。
「國學院大(の練習)は、かなり距離を踏むんです。当然、4年生のほうが体力もあり、長い距離をラクに走れるので、その差はすごく感じました。でも、当時のキャプテンだった蜂須賀(源)さんや2個上の向(晃平)さん(現MAZDA)がよく声をかけてくださり、朝練で一緒に走るなど面倒を見てくれました。同期の土方(英和)(現旭化成)ともよく一緒に練習し、多くの時間をともに過ごしましたね。先輩に助けてもらいながら、同期に刺激を受けながら、成長することができました」
【二度とこういう経験はしたくない】
1年時、浦野は土方とともに箱根駅伝に出場。中学生の時に両親とかわした約束を見事に果たした。だが、結果は山下りの6区で区間17位。不甲斐ない走りに悔しさを噛み締めた。
「1年目は"走るだけで終わった"感じです。自分の結果にも、それ以前にそもそも6区起用にも納得できていなかったです。今となっては、前田監督の信頼が平地で使うほどではなかったから山の6区に置かれたと理解できますが、当時は監督に『下りは得意じゃない』と言っていましたし、僕はチーム内で10000mのタイムが4番目くらいだったのに、それでも信用されないのかと、(箱根前に)小さな反抗期を迎えていました(苦笑)」
そんななか初めて走った箱根の景色は、どのように映ったのだろうか。
「もっとキラキラした世界を想像していたのですが、リアルの箱根は全然違いましたね。沿道からの応援がすごいのかと思っていたら、大きな声で『遅いぞ!』などとヤジを飛ばされ、『うわっ......マジか。こんなことを言われるのか......』と。その時、次はそういう人たちから『頑張れ、浦野!』と応援する声をかけてもらえるように走ろう、二度とこういう経験はしたくないという気持ちになりました。それが大学2年目以降の自分の成長につながった。ターニングポイントですね」
浦野はそこから順調にチームのエースに成長していく。それまで先輩たちに頼っていた部分をあらため、練習やレースでもフロントラン(集団の前方を走ること)を心がけた。そうした姿勢や取り組みが前田監督に評価され、2年時の箱根は1区を走ることになる。
「当初、監督には2区を走るように言われていたんです。でも、11月中旬にアキレス腱を痛めて十分に練習ができておらず、エース区間となる2区を走ることに自信が持てなかった。だから、『スタートの1区で流れをつくります』と希望を伝えました」
その1区で区間2位の好走。心ない声が飛んだ1年前とは打って変わって、沿道の観衆は大学名ではもちろん、浦野の名前も呼んで応援した。
「箱根という大きな大会で、他大学のエースと同等に戦えて、しかも結果を出せたので、大きな自信になりました」
迎えた3年時の箱根は、5区を走って区間新記録を樹立し、区間賞を獲得。チーム順位も6位から3位に押し上げるなど鮮烈な印象を残した。だが、浦野自身は当初、5区を走ることをまったく想像していなかったという。
「2年時に2区を断ってしまったので、3年時はなんとしても2区を走る覚悟でした。監督にも箱根が終わった直後にそう伝えていました。それなのに、3年になって、監督から『5区を頼む』と言われて、最初は冗談だと思っていたんです(笑)。
でも、シーズンに入っても一向に山の選手を育てる気配がない。箱根が近づくにつれ、本当に自分が走らないといけないのかなとザワザワとした気持ちでした。それでも2区を走りたかったので、監督には『2区の準備をしています』と言い続けていたのですが......。ただ、最終的に5区に決まってからは、チームのためになるのであれば自分が走ろうと気持ちを切り替えました」
【箱根5区、駒大・大八木監督からの檄】
その5区、浦野は軽快な走りで、山をすいすいと駆け上がっていった。そして、駒澤大の伊東颯汰の後ろについていた時だった。後方の運営管理車に乗っていた駒大の大八木弘明監督(現総監督)から、なぜか浦野へ檄が飛んだ。
「小涌園前(11.7km)から上がっていく途中、足が攣ってきつかったので駒大の選手の後ろについて休んでいたんです。そうしたら『浦野! お前が引っ張ってやんなきゃダメだろ!』って(笑)。(さらに後方にいる)前田監督の声が届かない状況で、大八木さんの声が聞こえてきて、なんかうれしかったですし、ちょっと元気になりました(笑)。手を挙げて応えたら、大八木さんも喜んでくれたのか、駒大の選手に『浦野と一緒に行くぞ!』と声をかけていました。
大八木さんとは、駒大と一緒に練習させていただいた時に話す機会も多かったので、自分も自然に言葉を受け入れられたんだと思います」
浦野は5区の区間記録を更新し、チームは過去最高の往路3位になった。レース直後、前田監督には「来年も(5区)だな」と言われた。
「正直、『5区は今回限りだったはずなのに......』と思いましたよ(苦笑)。でも、みんなも期待してくれたし、何より自分自身ももっといい走りができるのではという期待がありました。実際、4年時の箱根では(前年の1時間10分54秒を上回る)1時間09分台を設定して、いけるイメージがあったんです。でも、(区間記録を更新したものの)区間3位(1時間10分45秒)に終わってしまい、往路優勝を果たせなかった責任を感じました」
浦野は4年連続で箱根を走り、現在の國學院大の強さの礎をつくった。その経験は競技人生にはどのような影響を与えたのだろうか。
「箱根は高校時代に無名だった自分を、陸上の世界で名が通るぐらいに押し上げてくれました。今も僕が陸上を続けられているのも箱根のおかげですし、競技人生によい影響を与えてくれた。そのくらい大きな大会でした」
後編を読む>>>【マラソン】ロス五輪のMGCに向けて新たな取り組みに挑戦中の浦野雄平「高速化から目を背けるわけにはいかない」
浦野雄平(うらの・ゆうへい)/1997年生まれ、富山県氷見市出身。中学までは野球部で、ポジションはセカンド。富山商業高で本格的に陸上競技に取り組む。國學院大時代には箱根駅伝に4年連続出場し、3年時に5区で区間賞(区間新記録)を獲得。実業団の富士通入社後もトラック、駅伝、マラソンのいずれも高いレベルで安定した結果を残している。マラソンの自己ベストは2時間06分23秒(2025年・東京)。今年2月の大阪マラソンでは2時間06分41秒で8位(日本人4位)となり、MGC(マラソングランドチャンピオンシップ/2028年ロサンゼルス五輪マラソン日本代表選考会、2027年10月3日開催)出場権を獲得した。前回2023年のMGCは10位(2時間10分41秒)。
