
【不定期連載】箱根からロス五輪へ〜MGCに挑むランナーの肖像〜
第3回 浦野雄平(富士通)後編
箱根駅伝を走ったという事実は同じでも、その物語は一人ひとりまったく違う。区間賞を重ねたスターもいれば、たった一度の出走で思うような成績を残せなかった選手もいる。本連載では、2028年ロサンゼルス五輪代表の座を争うMGC(マラソングランドチャンピオンシップ)出場権獲得ランナーたちに、箱根を走った学生時代の記憶、そして、世界を見据えて42.195kmに挑む現在地を聞く。
第3回は、浦野雄平選手(富士通・28歳)。箱根駅伝の山上りで名を上げた國學院大時代を振り返ったインタビュー前編に続き、この後編では実業団入社後の歩みとともに、自身二度目の挑戦となるMGC、そして、ロス五輪への思いを聞いた。
前編を読む>>>【マラソン】初出場した箱根駅伝、沿道からの「遅いぞ!」というヤジに、浦野雄平は「こんなことを言われるのか...」
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【初マラソンで好タイムをマーク】
年々力をつけ、前回の箱根駅伝で総合2位、来年こそ初の総合優勝をうかがおうかという國學院大。その強さのベースを築いた世代の浦野雄平が、世界への挑戦という目標を達成すべく選んだのは、実業団の富士通だった。
「進路を決めたのは3年の時です。本当にいろいろ考えましたが、最終的には早い段階で声をかけていただいた富士通に決めました。(指導実績のある)福嶋(正)監督(現エクゼクティブアドバイザーコーチ兼長距離コーチ)がいて、松枝(博輝)さん、坂東(悠汰)さん、塩尻(和也)さん、(鈴木)健吾さん(現横浜市陸協)という強い選手がいる。成長するために、そういうレベルの高い選手たちのなかに身を置きたいなと思い、決めました」
2020年の入社当初はトラックを主戦場にしていた。1年目から日本選手権に出場したが10000mは18位に終わり、2年目は5000mに出場したが11位だった。その時、まだまだ取り組みが甘いと思って始めたのが、マラソンの練習だった。
「5000mも10000mも日本選手権には出ていたんですけど、いまいちパッとしなかったんです。今のままじゃ中途半端なまま終わると思い、幅を広げる意味で2年目の秋からマラソンの練習を始めました。ただ、その時はまだ本格的にマラソンを走るという感じではありませんでした」
だが、2022年2月、浦野は大阪・びわ湖毎日マラソン統合大会に出場すると、初マラソンながら2時間07分52秒の好タイムをマークし、3位になった。
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「初めてだったので相場がわからなかったのですが、それでも大きな集団について、最後は(コニカミノルタの星岳、三菱重工の山下一貴と)3人でトップグループを形成できたのはよかったです。37kmからは苦しかったですね。でも、それまではいつものレースのようにラクに走れました。
もともと、なんでもそつなくこなすことができるのが自分のストロングポイント。結果が出たことで次につながるレースになりましたし、これをきっかけにパリ五輪をマラソンで目指そうと思いました。自分は再現性が高いタイプで、1回走れてしまえば次もいけるという感覚があったからです」
【力の差を感じた前回のMGC】
初マラソンでMGCの出場権を手に入れることができた。翌2023年10月のMGCで勝つために、これから練習をどう組み立てて本番を迎えようか、そう思案している最中に、恥骨の疲労骨折が判明した。
「これはひどかったです。歩くのも、寝るのも、座るのも、すべて痛いんです。動くと痛いので外出するのも難しい。部屋でおとなしくして、テレビとかYouTubeを観ていました。ここまで長い期間、何もできないのは初めての経験で、新しい取り組みどころか、走ることも考えられないくらいでした」
浦野は「他人に心配をかけたくない」という性分。また、弱音を吐きたくないという競技者としてのプライドもあった。両親や友人に相談したり、愚痴をこぼしたりすることなく、ひとりで耐える時間を過ごした。ただ、そういう時にも自暴自棄にならず、すぐに本格復帰できるように体重管理は怠らなかった。
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復帰は故障した年の12月、エディオンディスタンスチャレンジの5000mだった。いきなり13分29秒37の自己ベストをマークし、周囲を驚かせた。
「復帰レースでしたし、そんなに練習していないのに、こんなに走れるんだって思いました。周りのみんなもビックリしていましたね(笑)。ただ、記録は出たんですけど、故障する前と比べても何かが違う。走っていても手応えをあまり感じられない。その後、MGCに向けても練習を積める期間と、うまくこなせない期間があるなど、パフォーマンスの起伏があったんです。そういう不安を抱えながらMGCを迎えました」
前回2019年のMGCは、スタート直後から設楽悠太(当時Honda、現西鉄)が飛び出し、レースがいきなり動いた。浦野は今回もそういうことがあり得るだろうと頭に入れておいた。レース当日の天気は雨。周囲の選手たちからの「川内(優輝)さん(あいおいニッセイ同和損保)、行くんじゃない」という声が耳に入ってくる。浦野自身にもそんな予感があった。
「そうしたら、いきなり出ていきましたね。大きな驚きはなく、第2集団で行けばいいと冷静でいられました。でも、練習不足のせいか、30km過ぎからキツくなり始めて、32km付近で川内さんを追う集団についていけなくなりました。後半にアップダウンのある(上りに強い)自分に分があるコースで、勝負に加わりたかったのですが、力の差を感じました」
MGCは10位、さらにMGCファイナルチャレンジの対象レースのひとつである2024年3月の東京マラソンでも、設定タイムおよび順位をクリアできず(2時間8分21秒で17位、日本人6位)、パリ五輪への挑戦は終わった。ケガも含めて実力とはいえ、悔しさは残った。
「次こそはという気持ちがいっそう強くなりました」
【レーススピードに余裕を持てるように】
今年2月の大阪マラソンで、浦野は2時間06分41秒のセカンドベストを出して8位、日本人4位で来年10月開催のMGC出場権を獲得した。早い段階でMGCの切符を手にしたことで、練習メニューをはじめ、いろいろなチャレンジができる時間的猶予を得た。すでに現在、MGCで勝つために、従来とは少し異なる取り組みをしている。
「これまでマラソンを7回走り、その"型"はできているので、今は逆にその型を崩す作業に入っています。どちらかといえば、自分は大学時代から(スピードを磨くよりも)走り込みを重視してきて、その延長線上というか"耐久型"でマラソンに臨んでいました。でも、マラソンの高速化がどんどん進んでいる以上、そこから目を背けるわけにはいきません。フィジカル面の強化をしつつ、レーススピードに余裕を持てるような練習に取り組んでいます」
そうした新しい取り組みにはフレッシュな気持ちで臨めているという。今後、スピードという部分をどこまで追求していくのか。その結果、自分がどう変化していくのか。浦野自身も楽しみにしている。
「今年の秋にベルリンマラソンに出たいと思っています。昨年も走って5位に入り(2時間07分35秒)、自信を深められたので、今回もやってきたことに対してしっかりとよい結果が出るといいかなと。昨年のベルリン、今年の大阪マラソンと、最近は暑いなかでのレースが多かったので、条件が整った時に自分がどれだけ走れるのかも確かめられればと思っています」
浦野は大学1年時、箱根駅伝の6区で区間17位に終わった。だが、翌年は1区2位、さらに3年時には5区で区間新記録を更新しての区間賞を獲得し、その悔しさを払拭した。パリ五輪を逃した悔しさは、ロス五輪の切符を手に入れて晴らすつもりだ。
「ロス五輪は、自分の競技人生のひとつの節目になると思います。それが最後になるとは思っていませんが、年齢的(ロス五輪時は30歳)に一番戦えると思うんです。なんとしてもロスに行くぞという覚悟で、MGCをケガなく迎えて、結果を出したいと思っています」
(終わり)
浦野雄平(うらの・ゆうへい)/1997年生まれ、富山県氷見市出身。中学までは野球部で、ポジションはセカンド。富山商業高で本格的に陸上競技に取り組む。國學院大時代には箱根駅伝に4年連続出場し、3年時に5区で区間賞(区間新記録)を獲得。実業団の富士通入社後もトラック、駅伝、マラソンのいずれも高いレベルで安定した結果を残している。マラソンの自己ベストは2時間06分23秒(2025年・東京)。今年2月の大阪マラソンでは2時間06分41秒で8位(日本人4位)となり、MGC(マラソングランドチャンピオンシップ/2028年ロサンゼルス五輪マラソン日本代表選考会、2027年10月3日開催)出場権を獲得した。前回2023年のMGCは10位(2時間10分41秒)。
