歓喜と悪夢から一夜明けたブラジルは、悲壮感に包まれていた。
テレビでは、前夜にネイマールが病院に搬送される映像が繰り返し流され、ソーシャルメディアでの激励のメッセージを募っていた。腰椎骨折で大会から去ることを余儀なくされた自国のヒーローに訪れた悲運に、誰もが心を痛めていた。
17歳で名門サントスとプロ契約を結び、18歳で代表デビューを飾ったネイマールのサッカー人生は順風満帆そのものに見えた。ところが、彼の経歴を紐解くと、挫折や試練は決して少なくない。
4年前、有望株だったネイマールを代表メンバーに入れるべく、ブラジル国内では待望論が巻き起こった。しかし、当時のドゥンガ監督は経験不足を理由に、ネイマールの名前を招集リストに記すことは最後までなかった。
ワールドカップ後、代表デビューを果たしたネイマールは、翌2011年にアルゼンチンで行われたコパ・アメリカに新生ブラジルの象徴として臨むが、チームはベスト8で敗退。自身も2得点のみに終わった。勝利に導けずに、対戦国のサポーターから嘲笑のようなブーイングを浴びてむざむざと途中交代を命じられる姿からは、エースの雰囲気は微塵も感じられず、期待の若手という域を脱していなかった。
2012年には王国初の金メダルを獲得すべくロンドン・オリンピックに出場したが、結果は準優勝。昨年はコンフェデレーションズカップで優勝に導き、4ゴールを挙げた自身もMVPに輝いた。ワールドカップ前年に、満を持して欧州移籍も果たした。ところが、バルセロナの主役はあくまでリオネル・メッシ。自由を制限されたネイマールは、けがも重なって存分に力を発揮したとは言い難く、バルサも6年ぶりの無冠に終わった。
早熟の天才。エリート。神童。
ネイマールを形容しようと思えば、いくらでも言葉は出てくるが、完全に言い表すことはなかなか難しい。彼は幾多の挫折や試練を乗り越えることで、王国のエースの座を掴んできたのだ。
とは言え、今回の負傷離脱は起伏のある彼のサッカー人生の中でも、最大級の衝撃だったであろう。
おそらく、現役生活最初で最後の母国でのワールドカップ。想像を絶するプレッシャーを受けながらも、王国の背番号10に恥じないプレーでチームをけん引してきただけに、志半ばで離脱を余儀なくされた胸中はまさに絶望という思いだったかもしれない。
それでも、ネイマールは気丈だった。
負傷翌日の5日には、ブラジルサッカー連盟の公式HPを通じてファンにメッセージを伝えている。公開された動画では、瞳に涙をためながら、懸命に思いを絞り出すネイマールの姿が映されていた。
「なるべく早くピッチに帰ってくると伝えたい。みんなからのメッセージとともに贈られた愛情とサポートに感謝したい」
「僕の夢はまだ終わっていない。まだ生きている。チャンピオンになるという夢を仲間たちが叶えてくれると確信している。ワールドカップの決勝でプレーするという別の夢を持っていたけど、それは今、不可能になってしまった。だけど、仲間が勝利し、僕やブラジルのみんなとともにチャンピオンとなり、その結果を祝福することになると強く思っているよ」
6度目のワールドカップ制覇を狙うブラジルは、世界一まであと2勝と迫っている。結果は神のみぞ知るところだが、ネイマールの夢は苦楽を共にしてきた仲間に託された。
そして、挫折や試練を経て、加速度的に成長を遂げてきた彼である。悲運からも這い上がることができれば、プレーの凄みはより増していくはずだ。
かつてのあどけなさは消え、精悍な顔つきとなったが、まだ22歳。更なる夢を書き込む余白は残されている。
文=小谷紘友