能年玲奈主演で復活『ホットロード』は黒歴史なのか?

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2014年08月16日 21:10  リテラ

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リテラ

『ホットロード OFFICIAL BOOK 能年玲奈&登坂広臣』(集英社)

 女優・能年玲奈が主役を演じることで大きな話題となっている映画『ホットロード』が、8月16日ついに全国ロードショーとなった。原作はマンガ家・紡木たくの代表作であり、1980年代に少女たちから圧倒的な支持を集めた伝説の作品である。しかし、80年代に少女マンガに暴走族を持ち込んだ作品が、30年近くの時を経て2014年のいま実写化されることは、原作ファンに驚きと戸惑いを与えた。とくにリアルタイムで読んでいた30代〜40代には、根強いファンもいる一方、同作にハマった過去をいわば「黒歴史」のように感じ、いまさら見返すのは恥ずかしいという声も多い。しかし、どうして『ホットロード』は、こそばゆい作品になってしまったのだろうか。



 それを読み解いたのが、編集者・ライターの速水健朗氏だ。著書『ケータイ小説的。 "再ヤンキー化"時代の少女たち』(原書房)では、『ホットロード』がケータイ小説の走りだと指摘している。速水氏は、本書のなかでケータイ小説と歌手・浜崎あゆみの密接な関係や世界観の共有を紐解いているのだが、そのルーツを辿ると『ホットロード』にぶつかるという。たとえば次のシーン。



「夜明けの蒼い道



 赤い テイル ランプ



 走ってゆく 細い



 うしろ姿



 もう一度



 あの頃の あの子たちに 遭いたい」



 これは、『ホットロード』の有名な冒頭のポエムだ。登場人物ではない、第三者が未来から回想しているこの詩は、これから始まる物語を予感させる憂いを帯び、多くの読者を一気にその世界観に引き込んだ。速水氏は、『ホットロード』のこの「語り」こそがマンガ家・矢沢あいの大ヒット作『NANA』に引き継がれ、『NANA』と同時期にデビューした浜崎に「そのモードは引き継がれていたのではないか」と指摘している。実際に浜崎が手掛けた歌詞には、それまで重視されていた固有名詞や情景描写は皆無で、「自伝的な『自分語り』」が強く、それが多くの少女の心をとらえた要因とも言われている。



 父親不在の家庭で育った浜崎と、レイプや中絶といった大きな出来事が次々と主人公を襲うケータイ小説。傷を癒やしながら居場所や自分自身を取り戻そうとする物語=「トラウマ回復」こそが浜崎とケータイ小説を結ぶキーワードなのだという。



『ホットロード』に置き換えてみても、恋人との関係を重視するために娘をないがしろにする母親を持つ和希は、癒されない孤独感を持っている。ごく一般的な中学生だったにもかかわらず、友だちの紹介で暴走族と知り合い、彼らと交流することによって、人間の弱さを知り、母親との確執を少しずつ解消していく。こういったストーリーの構成からから見ても、『ホットロード』はケータイ小説のルーツだと言えるのではないだろうか。



『ホットロード』もケータイ小説も、かつては読者の心に寄り添い、慰めていたはずだ。それが今振り返るとこそばゆさを感じるようになってしまったのは、当時抱えていた悩みがリアルではなくなったこと、苦しかった思春期と記憶がリンクしていたたまれない気持ちを抱くからかもしれない。



 加えて、ケータイ小説が「被差別小説」だということも一因だと考えられる。速水氏いわく、ケータイ小説は「文章が拙い、語彙が足らない、乱れた日本語を使っている、ストーリー展開がありふれているなどの理由によって、程度の低いものとして世間に認知」されているという。商業的な存在感はあっても、文化的に黙殺されてきたことが読み手にも伝わり、夢中になっていた過去が「黒歴史」になってしまうのだろう。



 『ホットロード』やケータイ小説、浜崎あゆみを語る時に浮かび上がる、「ヤンキー」「郊外」「少女」といったキーワードは、これまで語られてこなかった分野だ。しかし、いまはマイルドヤンキーといった新たな属性が生まれ、経済的・文化的にも注目されている。その流れで、映画『ホットロード』で改めてヤンキーカルチャーを見つめ直すのも面白いだろう。

(江崎理生)



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