故・松田直樹選手の姉「できるところから、弟の思いを伝えていく」

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2016年02月21日 16:50  週刊女性PRIME

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もしもあのときAEDがあったら、彼は助かったかもしれない……。多くのファン、選手に愛されたサッカー元日本代表・松田直樹の訃報が全国を駆け巡ったのは5年前の夏のこと。悲しみの中、愛する弟の最期を看取った姉は今、ひとりでも多くの命が救われることを願い、自らも新たな1歩を踏み出したーー (人間ドキュメント・松田真紀さん/最終回) ◇   ◇   ◇ 自らアクションを起こし始めた彼女を、松田の仲間たちも応援している。彼が横浜にいたころは週2〜3回ペースで会い、死の前日も一緒に過ごしていたというU─17日本代表時代からの親友・谷本剛(元・町田ゼルビア)はその筆頭だ。今や彼は真紀さんを本当の姉のように「お姉ちゃん」と呼んで慕う。 「直樹は亡くなる直前、松本と横浜を2往復したんですが、僕は倒れる前日の8月1日にも会っています。一緒に食事をして、僕の家で昼寝もして、夜10時には松本へ帰っていきました。直樹は意識の高いアスリートだったんでシーズン中は絶対にアルコールを口にしなかった。あの日もすごく節制してました。だから、翌日に“倒れた”と連絡があったときは、本当にウソだとしか思えなかった。5年近くたったいまも、寂しくてたまりません。 それまでお姉ちゃんには1度しか会ったことがなかったけど、話をするようになってからは、直樹と似て本当にまっすぐな人だなと。“サッカーはビジネスじゃない”“大事なのは金じゃない。仲間や絆だ”ってあいつは口癖のように言ってたけど、お姉ちゃんも自分のやり方で命の大切さをストレートに伝えようとしている。そのがむしゃらな気持ちを、多くの人に知ってほしいと思います」 真紀さんに協力姿勢を見せつつも、まずは自分に与えられた仕事を全うすることで、松田の遺志を継いでいこうというのが佐藤由紀彦だ。彼は目下、所属するFC東京で優れた指導者になることを第一テーマに掲げる。 「自分はFC東京で指導者人生を踏み出したばかり。今は小学生を教えていますが、いずれトップチームで監督として成功することが、17歳から20年近く付き合ってきた直樹へのいちばんの恩返しになるのかなと。俺たちサッカーに携わる人間は、それぞれの持ち場でやるべきことをしっかりやっていくのが肝心だと思います。お姉ちゃんの活動にも時間が許す限り協力したい。AED講習会でサッカースクールを行うとか、僕にできることで手伝えたらうれしいです」 田中隼磨は現役のサッカー選手。しかも'14年から、松田が背負っていた背番号「3」を引き継いだ者として、彼の情熱をピッチ上から力強く発信していくつもりだ。 「マツさんが僕の故郷である松本で練習中に亡くなったこと、今所属する松本山雅というクラブで不幸な出来事が起きたことを、重く受け止めなければいけない。これを2度と繰り返してはいけないし、絶対に忘れちゃいけないと思います。監督のソリ(反町康治)さんも、8月4日の命日には必ずマツさんの写真を掲げて黙禱しています。僕はマツさんとはグラウンドの中で何度も言い合ったし、ケンカもした。勝利に対しての要求は誰よりも強い人だった。そのメンタリティーをピッチ上で示していくのが自分の仕事。もちろんお姉さんの活動も支えていくつもりです」 ◇   ◇   ◇ 松田家の実家にあるアルバムには、松田の笑顔の写真が数多く残されている。温かい家族のもとで、たくさんの愛情を注がれて育った素の姿を知る人たちは、未来永劫、松田直樹の仲間であり続ける。そういう力強い援軍を得た真紀さんだが、 「私はどこまでいっても直樹の姉でしかない。直樹が大事にしてきたものを守るのが私の使命です」 と冷静だ。 「2020年には東京五輪もありますし、子どもたちが笑顔でスポーツに取り組めるような環境づくりの一助になることも、直樹が願っていることだと思います。弟と向き合いながら、自分に何ができるのかをこれからも真剣に模索し、行動に移していきたいと思います」 こう言って、爽やかな笑顔を見せた真紀さん。 日々、奮闘する姉の姿を、松田直樹は天国から見守っていることだろう。この愛する弟に、真紀さんは昔も今も、「ありがとう」という言葉を送り続けている。 (文中敬称略) 取材・文/元川悦子 撮影/高梨俊浩 ※「人間ドキュメント・松田真紀さん」は5回に分けて掲載しました。第1〜4回は関連記事の中にあります。 ※「松田直樹メモリアル」および松田真紀さんへの一時的なお問い合わせは下記へ('16年2月1日現在) ma-matsuda@maebashi.saiseikai.or.jp 〈筆者プロフィール〉 もとかわえつこ。1967年、長野県松本市生まれ。サッカーを中心としたスポーツ取材を主に手がけており、ワールドカップは'94年アメリカ大会から'14年ブラジル大会まで6回連続で現地取材。著書に『黄金世代』(スキージャーナル社)、『僕らがサッカーボーイズだった頃1・2』(カンゼン)、『勝利の街に響け凱歌、松本山雅という奇跡のクラブ』(汐文社)ほか。
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