連載:千街晶之のミステリ新旧対比書評 第3回 多岐川恭『異郷の帆』×霜月流『遊廓島心中譚』

0

2025年01月19日 16:00  リアルサウンド

  • チェックする
  • つぶやく
  • 日記を書く

リアルサウンド

(左から)多岐川恭『濡れた心/異郷の帆』(講談社大衆文学館)と、霜月流『遊廓島心中譚』(講談社)
■多作な小説家、多岐川恭の傑作


 1958年に『濡れた心』で第4回江戸川乱歩賞を受賞した多岐川恭は、ミステリと時代小説を中心としてエネルギッシュに活躍した多作な小説家だったが、最高傑作はどれかと問われた時に、『異郷の帆』を挙げるひとは多いのではないか。著者の1961年の作品であり、著者が亡くなってから3年後の1997年に、『濡れた心』と合本で講談社大衆文学館から刊行されたのが最新版ということになる(現在は電子書籍で読める)。なお、講談社大衆文学館版の表紙のあらすじ紹介では「幕末日本」という言葉が使われているが、これは明白に誤りである。



  江戸時代、幕府は長崎に出島という人工島を造り、貿易のため訪日したオランダ人などの外国人をそこから外に出さないようにした。江戸中期の元禄4年(1691年)、その出島で、ヘトル(次席商館員)のファン・ウェルフが胸を刺されて殺害された。凶器は薄い刃物らしいが、出島のどこからも発見されず、沿岸の海底の捜索も無駄に終わる。


  主人公は、小通詞を務める若き幕臣の浦恒助である。彼は、先例と規則で縛られ、威張り返った者が多い武士の世界にうんざりしており、日本を出て万国を巡ってみたいという夢を抱いている。だが、かといって彼には西洋の医学や語学を修めようというほどの向学心はないし、そもそも鎖国政策下のその時代、彼の志は所詮は叶わぬ夢でしかない。一方、浦の同僚で、元ポルトガル人の宣教師ながら棄教して日本名を名乗っている西山久兵衛は、日本はそう悪くないと嘯きつつ、日本人からもオランダ人からも軽蔑される立場のため、内心には屈折した感情を滾らせているようだ。


  他にも、浦の想い人でオランダ人と日本人遊女のあいだに生まれた孤児のお幸、日本に憧れて渡来したが牢獄のような出島の現実に幻滅しているオランダ人少年のピーテル、浦やお幸に親切に振る舞うが腹の底が読めない乙名(町役人の次席)の吉田儀右衛門など、この物語の主要登場人物は皆、その立場と本心とに引き裂かれている。出島という閉鎖的空間でそれらの想いが渦巻き、ぶつかり合った結果として起きたのが、ヘトル殺しに始まる一連の惨劇だったのだ。著者は本作で出島を密室に見立てているが、主人公である浦の心情と、ラストにおける彼の選択からは、出島どころか、鎖国状態の日本そのものが世界から見れば密室であるというもうひとつのメッセージが本作に籠められているように読み取れる。


■物語の舞台は1つの島が遊廓の場所、霜月流『遊廓島心中譚』

 『異郷の帆』では、長崎の丸山遊廓に「出島行」と呼ばれる遊女がおり、オランダ人の孤閨を慰めるために出島に出入りしていたことが語られているけれども、霜月流の第70回江戸川乱歩賞受賞作『遊廓島心中譚』(2024年、講談社)は、1つの島が丸ごと遊廓となっている場所が物語の舞台に選ばれている。時代背景は、『異郷の帆』の元禄期から百数十年経った幕末だ。


  安政6年(1859年)に横浜が開港され、諸外国の人々が横浜の外国人居留地に住みはじめたが、やがて彼ら専用の遊廓が設けられることになった。それが港崎(みよざき)遊廓であり、遊廓島という通称が示す通り、巨大な沼に浮かぶ島となっている。


  現在放送中のNHK大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』では、江戸で唯一の公営遊廓だった吉原が、お歯黒どぶと呼ばれる堀によって四方を囲まれているという説明があった。港崎遊廓が島に造営されたのも、当然吉原の作りに倣ったものである。出入り口が大門(おおもん)1カ所だけなのも、中央に仲之町通りというメインストリートがあるのも吉原同様だ。


  江戸の深川に住む少女・伊佐は、人殺しの嫌疑をかけられたまま死んだ父の無実を証明しょうとする。父の亡骸は鑑札らしき板切れを手にしていたが、そこには「岩亀楼 潮騒」と記してあった。岩亀楼とは遊廓島で最も大きな妓楼である。潮騒とはそこにいる遊女の名だろうか。伊佐は、潮騒に接触して情報を手に入れようと遊廓島に潜入する。


  一方、本作にはもう1人、江戸で易者をしている鏡(きょう)という娘が登場する。彼女は姉が心中に失敗して無残な最期を遂げたのを機に、男女の「信実の愛」を確認したいと願うようになっていた。そんな鏡の前に現れた役人を称する男は、彼女に「そなた、横浜で、易者ではなく綿羊娘(らしゃめん)に扮してみる気はないか」と声をかける。綿羊娘とは、洋妾、つまり外国人の妾のことだ。男は、外国人の本音を聞き出すために、鏡に色仕掛けを弄する間者(スパイ)になれと言い渡す。鏡は、間者の任に乗じて「信実の愛」を確認できれば、姉の死について納得できるのではないかと考え、男の勧誘に乗る。こうして、伊佐と鏡、2人のヒロインの物語が並行して進んでゆくが、それらが交錯した瞬間に明かされる事実はあまりに哀しく衝撃的だ。


  島を密室に見立てるのは『異郷の帆』同様ながら、こちらでは終盤、思いがけない事態によって、遊廓島が文字通りクローズドサークル状態に陥り、事件関係者たちは島から出られなくなってしまう。そうなる原因といい、真犯人が弄したトリックといい、この時期の横浜でなければ成立しない必然性が用意されていて舌を巻くが、更に感心させられるのは、事件の真相の奇抜にして壮大な構図だ。本格ミステリ・歴史小説・恋愛小説という3つのジャンルを重ね合わせることでしか成立しない異形の真相と言える。


  出島という密室を内包しつつ日本そのものが密室でもあった時代が舞台の『異郷の帆』と、日本が密室であったことに日本人が否応なく自覚せざるを得なくなった時代が舞台の『遊廓島心中譚』。いずれも、時代設定が謎解きと密接に融合した歴史ミステリに仕上がっている。




    前日のランキングへ

    ニュース設定