「雪塩さんど」大ヒットの舞台裏 調味料から菓子事業にかじを切った、その理由とは?

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2025年05月21日 12:31  ITmedia ビジネスオンライン

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宮古島の雪塩・西里長治社長

 2024年の観光客数は966万8800人(前年比17%増)と、コロナ禍前の水準までほぼ戻ってきた沖縄県。近年、その沖縄のお土産事情に変化が起きている。


【写真4枚】宮古島の雪塩による大ヒット商品「雪塩さんど」


 長らく「ちんすこう」や「紅いもタルト」が沖縄土産の定番だったが、それに取って代わるかのように、いつの間にか高い知名度を獲得したのが、「雪塩さんど」だ。コーンフレークを練り込んだミルク風味のエアチョコをクッキーではさんだ、“甘じょっぱさ”がクセになるお菓子である。


 鮮やかなブルーの紙袋を持つ観光客の姿は、今や沖縄ではすっかりおなじみの光景となった。


 製造・販売元は、宮古島の雪塩(沖縄県宮古島市)。調味料の「雪塩」で知られる企業である。2018年に発売された雪塩さんどは、コロナ禍を経て、近年売り上げが急速に伸びている。現在の年間販売額は約20億円と、ここ1年ほどで倍増。押しも押されもせぬ同社の看板商品となっている。


 今回は、この大ヒット商品を生み出した同社の西里長治社長をインタビュー。ブランド戦略と商品開発の舞台裏に迫った。


●ギネス世界記録にも認定された塩


 宮古島の雪塩は、1994年7月にパラダイスプランとして創業。「みやこパラダイス」という蝶々園を運営するなど、観光関連事業でスタートし、2000年8月に製塩事業を立ち上げた。この時に生まれたのが「雪塩」だ。


 雪塩は、宮古島の地下にある海水を原料に作られる。サンゴ礁が隆起してできた琉球石灰岩の地層を通して自然ろ過された地下海水をくみ上げ、特殊な製法で瞬時に水分を蒸発させて製造する。この製法により、通常は取り除かれるマグネシウムなどのニガリ分までを含んだ、ミネラル豊富な塩が生まれる。製塩機からサラサラと落ちてくる塩の様子が、まるで粉雪のようだったことから雪塩と名付けられた。


 この独自の製品は、世界で最も多い種類(18種類)のミネラル成分がある塩として、ギネス世界記録に認定された。その後、調味料としての高い品質が評価され、モンドセレクションでも最高金賞を受賞した。まろやかな味わいと雪のような細かい粒子が特徴で、素材のうまみを引き出す塩として愛用者を増やしていった。


 雪塩の魅力を広く伝えるため、同社は2004年に塩の専門店「塩屋(まーすやー)」をオープン。国内外から集めた750種類以上の塩を取り扱い、独自の「ソルトソムリエ」制度も設け、塩の魅力を伝えるというビジネスモデルを構築した。宮古島には「雪塩ミュージアム」を製塩所に併設し、製造工程の見学や関連商品の販売を行っている。調味料メーカーとして確固たる地位を築き上げてきた。


 そして2024年10月、創業30周年を機に現在の社名に変更したのである。


●海外からの観光客には通用しなかった……


 実は、雪塩さんどが誕生した背景にあったのは、こうした既存ビジネスの行き詰まり感だった。西里社長は、「時代の変化とともに、自宅で料理する人が減りました。また、塩の専門店というのは、塩の魅力を言語化してお客さまに伝え、興味を持ってもらうというプロセスが必要なため、日本人による、日本人のための、日本のサービスだったのです」と、当時の状況を振り返る。


 日本における塩のマーケット縮小に加えて、海外からの観光客の増加が新たな課題として浮かび上がってきた。


 「せっかく塩の楽しさ、おもしろさを言語化して体系化していったのに、言葉が通じない、食文化が違う、そもそも興味を持ってないというお客さんが増えていきました」


 試行錯誤の末、西里社長が行き着いた答えが、「言葉がいらない商品・サービス」開発の必要性だった。


 「お菓子なら万国共通で、おいしければ売れる。キャッチーなパッケージで販売し、味が本当に納得いくものだったらいけるはず」


 こうして同社は、菓子メーカーとしての新たな一面を強化する方向へとかじを切ったのである。


 もともと菓子も製造・販売していたものの、主力はあくまでも調味料としての雪塩だった。その中で、菓子事業をブラッシュアップし、その目玉として開発したのが、雪塩さんどだった。


●“理想の味”に向かって組み立てる


 では、雪塩サンドはどのような着想から生まれたのだろうか。


 サンドというアイデア自体は、以前から菓子事業で協業していた寿製菓(鳥取県米子市)からの提案だった。しかし、味に関しては、西里社長のこだわりが強く反映された。


 「私たちが作る菓子には“理想の味”があります。ボリュームがあり、濃厚かつリッチな味わいを持たせつつも、後味はすっきりと切れのいい感じに。一般的にリッチな味というのはすごく余韻が残るのですが、それを塩で切るイメージです」


 そうした理想型があり、そこから逆算して味を組み立てていったという。


 「『売れるためには、こういう味でなければならない』というイメージが、私たちにはある。その味に近くなると、売れるんです」と力を込める。


 雪塩さんどの開発には半年以上の歳月をかけ、毎週のように試食。具材を入れてみたり、食感を変えてみたり、味を変えてみたりと、工夫を重ねた。


 最終的なジャッジをするのは、西里社長自身だった。


 「ゴーサインを出すには、当然食べないとダメ。セブン−イレブンの鈴木(敏文元会長兼CEO)さんの話ではないですが、やはり食べなければ分からない。最終判断は、他人に任せてはいけないと思っています」


 この哲学と徹底が、雪塩さんどをはじめとする同社のヒット商品を支えている。


●勝負をかけるはずだった2020年夏


 雪塩さんどは2018年の発売後、じわじわと人気を集めていった。当時は直営店のみでの販売だったが、気が付くとリピーターが増えていた。その頃の様子を、西里社長はこう語る。


 「発売直後は目立ちませんでしたが、感触は良かったんです。そして、ある時からぐんぐん伸びました。特にプロモーションしたわけでもないのに、リピート買いが好調でした」


 西里社長は、雪塩さんどの売れ方が、2005年に発売したヒット商品「雪塩ちんすこう」と似ていると感じていた。順調な滑り出しとなった雪塩さんどは、発売から約1年後には強い手応えを感じるまでに成長していた。


 そして2020年、大きな勝負に出ようとした矢先に、新型コロナウイルスの感染拡大が起きた。


 「商品の売れ行きは好調だったので、2020年の夏に勝負をかけようとしたんです。ただ、ここで一気に攻めようと思った時に、コロナが……。大量の在庫を余らせて、大変な思いをしました」


 ECなどでさばこうとしたものの、限度があった。会社の業績も赤字に転落した。


 しかし、「良い商品なので、コロナが明ければ売れるだろう」と信じた。そして、コロナ禍を乗り切ったタイミングで、販売戦略を変えていった。


 「引き合いが増えてきたので、卸売りを始めました。2022年は、ドン・キホーテのような、大量に仕入れて専用コーナーを作ってくれる店舗で限定的に販売していましたが、2023年から本格的に販路を広げていきました」


 また、コロナ禍で塩の専門店をいくつか閉じるとともに、一部を業態転換した。その1つが2023年10月に開業した「雪塩さんど 国際通り本店」だ。この専門ショップの開設が、雪塩さんどの人気爆発のきっかけとなった。現在は宮古空港や石垣島にも雪塩さんどのショップを設けている。


●国際通りをブルーでジャック!


 雪塩さんどの成功には、ブランディング戦略も大きく貢献している。特徴的なのは、「雪塩ブルー」と呼ばれる鮮やかな青のパッケージデザインだ。


 今でこそ定着したものの、デザイナーから最初にデザイン案が上がってきた時は、西里社長も腰を抜かしたという。


 「青は食べ物がおいしそうに見えない色なので、お菓子のイメージと結び付きづらいんです」


 そのため、最初は社内でも「鮮やかすぎるのでは」と賛否両論があったという。


 しかし、この目を引くブルーのパッケージを前面に押し出したブランディングが、シリーズ商品全体の相乗効果を生み出した。


 「紙袋も、売り場の展開も、商品開発も、すべてブルーの色調で統一しています。それにより、お客さまには同じシリーズのお菓子として認知していただいています」


 雪塩さんどでは、これまで実施してこなかった革新的なマーケティング戦略も展開した。その1つが、動画でのプロモーションだ。


 「ただCMを作るのではなく、CMに合わせて踊ってみたらおもしろいだろうと思い、『雪塩さんどDEダンス』という参加型の企画も実施しました。このように、販売促進のために、かなり新しいことに取り組みました」と話す。


 もう1つは、2024年に那覇の中心街である国際通りを、雪塩ブルーに染める施策だ。


 「国際通りを雪塩ブルーでジャックするべく、商品を買っていない方にも紙袋を配るようにしました。そういった仕掛けや仕込みが、かなり効いていると思います。今でも飛行機に乗る時は、何人が袋を持っているのか数えてしまいます」


 こうしたビジュアル戦略は、紙袋という観光客にとっての実用的な価値と、広告効果という2つの側面で成功を収めている。デザイナーのアイデアと西里社長の決断力が、ブランドの視認性と認知度を高めることに貢献しているのだ。


●営業利益率は30%超え


 菓子事業にかじを切った際に西里社長が意識したのは、「一本足打法」からの脱却だった。沖縄の菓子メーカーの中には、1つのヒット商品に依存する企業が少なくない。しかし、西里社長はそれを危険視している。


 「ちんすこうや紅いもタルトは人気ですが、それぞれの会社は一本足打法で、その次の商品がありません。そうした状況を、他山の石として見ていました」


 その考え方から、雪塩さんどに続くシリーズ商品として「雪塩ふぃなん」(フィナンシェ)や「雪塩ぱりん」(ゴーフレット)などを手掛け、2025年夏にはこれまで限定販売だった「雪塩らんぐ」(ラングドシャ)もレギュラー化していくという。さらに「雪塩ザクザク」と名付けたポテトスナックも、新たに発売したばかりだ。


 「私たちは次々にシリーズ商品を投入し、面で売っています。決して雪塩さんどだけで勝負しているわけではありません。ただ、雪塩さんどという主力商品があるおかげで、裾野が広がっているのは確かです。そこを逃さず、2番手、3番手を投入しています」


 この戦略を、西里社長は相撲に例える。土俵際まで行った時に初めて頑張るのではなく、まだ余裕がある段階で次の勝負を仕掛け、複数の主力商品を育てることが重要だというのだ。


 その多角的な戦略が奏功し、2025年3月期の売上高は51億7000万円、営業利益率は34.5%という、同社初の驚異的な数字を達成する見込みだ。上述したように、2024年には社名もパラダイスプランから宮古島の雪塩へと変更し、新たなステージに向けて歩みを進めている。


著者プロフィール


伏見学(ふしみ まなぶ)


フリーランス記者。1979年生まれ。神奈川県出身。専門テーマは「地方創生」「働き方/生き方」。慶應義塾大学環境情報学部卒業、同大学院政策・メディア研究科修了。ニュースサイト「ITmedia」を経て、社会課題解決メディア「Renews」の立ち上げに参画。



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