千街晶之のミステリ新旧対比書評・第8回 松本清張『神々の乱心』×奥泉光『雪の階』

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2025年05月28日 18:00  リアルサウンド

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(左から)松本清張『神々の乱心』(文春文庫、上巻)奥泉光『雪の階』(中公文庫、上巻)
 
■松本清張の絶筆『神々の乱心』

 『点と線』『ゼロの焦点』(ともに新潮文庫)などの作品で社会派推理小説ブームを巻き起こした松本清張の絶筆となった未完の長篇が『神々の乱心』である。1990年から1992年まで「週刊文春」に連載されたが、著者の逝去により中絶、1997年に文藝春秋から刊行された。現在は上下巻の文春文庫版で読める。


  昭和8年、埼玉県特高警察の吉屋謙介警部は、比企郡にある月辰会研究所の存在を知った。地元の警察署長の話では、神がかりの状態による予言の研究団体なのだという。吉屋は、そこから出てきた若い女性を訊問するが、身分証明書によると、彼女は宮内省皇后宮職、すなわち皇室に仕える女官の北村幸子であり、月辰会から深町女官なる人物への封書を所持していた。その後、吉屋のもとに、幸子が入水自殺したという報せが届く。また、深町女官こと萩園彰子の弟・泰之も、幸子の兄の依頼で事件を探りはじめる。やがて、皇居では皇室を呪詛するかのような怪事件が起き、一方では、かつて大連で起きた事件の関係者たちが関東で次々と殺害される。


  宮中と宗教団体の関係という、極めてスキャンダラスな題材を扱った小説だが、女官が関与した降霊術騒動は実際にあった。島津久光の孫にあたる島津ハル(治子)は、昭和天皇即位に伴い皇后宮職女官長になった女性だが、職を辞した後、降霊術によって昭和天皇の早期崩御を予言し、皇弟の高松宮を擁立すべきと主張した……という不敬罪で昭和11年に逮捕された。この件について、清張は『昭和史発掘』(文春文庫)で言及している。


  しかし、戦前の皇室そのものもファナティシズムに侵されていた。『神々の乱心』では皇后派と大宮派の女官同士の対立が説明されており、萩園彰子は大宮派という設定だが、ここで言及される「大宮さま」とは、大正天皇の皇后にして昭和天皇の生母の貞明皇后(九条節子)のことである。宮中祭祀を重視し、神功皇后のイメージを自らに重ね、帝都が激しい空襲に見舞われるようになっても勝ち戦にこだわり続けた彼女の神がかり的な信念は、イギリス王室を範とした昭和天皇とは相容れぬものであり、母子のあいだには深刻な確執が終生わだかまり続けた。


  清張はこうした史実をもとに『神々の乱心』を構想したと思しいが、残念ながら自身の死により未完となった(作中の犯罪は一応解明されている)。ただし、下巻の巻末に付された編集部の註などから、清張が考えていたその後の展開を想像する余地はある。それによると、本物の三種の神器は自分が持っていると主張する月辰会の教祖は、悪天候をついて大宮御所(貞明皇后の住居)に乗り込むも、その時轟いた雷鳴により錯乱して死に至る……という展開だったらしい。清張らしからぬ大時代ぶりではあるが、昭和末期の世紀末ブームに嫌悪感を示していたという彼は、その背景となるオカルティズムを掘り下げなければ気が済まなかったのだろう。そこに、以前からの清張の昭和史に対する関心が不思議なかたちで合体したのが『神々の乱心』だと言えそうだ。



■オカルト的要素の継承的作品『雪の階』

 『神々の乱心』には、安倍晴明の末裔による陰陽道の降霊術、奈良時代の呪詛事件、月辰会の教義のもとになった中国の占い……等々のオカルト的要素がふんだんに盛り込まれている。それを意識し継承したのが、二・二六事件に至る時代を背景とする奥泉光の歴史ミステリ『雪の階』だ。2018年に中央公論新社から刊行され、同年に第31回柴田錬三郎賞と第72回毎日出版文化賞をダブル受賞、現在は上下巻の中公文庫で読める。


  華族の令嬢・笹宮惟佐子を主人公とする本作が、武田泰淳の『貴族の階段』の本歌取りであることは明らかだ(『貴族の階段』の現行の中公文庫版解説は奥泉が執筆している)。また、『雪の階』中公文庫版の解説で加藤陽子が指摘しているように、作中のある人物の運命は、二・二六事件を背景とした三島由紀夫の短篇「憂国」(『花ざかりの森・憂国』所収、新潮文庫)を想起させる。『雪の階』の文体も、三島を意識したような印象だ。


  だが、この作品からは、松本清張作品へのオマージュも散見される。笹宮惟佐子は、親友の宇田川寿子が陸軍士官の久慈中尉とともに富士の樹海で死体となって発見されたと知り、死の真相を探りはじめるが、一見心中のように見える男女の死体発見は、言うまでもなく『点と線』へのオマージュだ。本書のもう1人の探偵役である写真家の牧村千代子と、新聞記者の蔵原誠治のコンビによる探索はトラベル・ミステリの趣がある。また、千代子がある人物を目撃する場所が日光中宮祠の駐車場なのは、清張の短篇「日光中宮祠事件」(角川文庫『日光中宮祠事件』所収)を想起させる。


  しかし、『雪の階』と最も近い距離にある清張作品は『神々の乱心』だ。寿子と久慈の変死に始まる一連の事件の背後では、さまざまな勢力の思惑が交錯しており、それらは少なからずオカルトの色合いを帯びている。例えば、惟佐子の伯父・白雉博光が属しているベルリンの心霊音楽協会は、ナチスの意向に従って芸術文化の再構築を目的とする団体であり、博光は神に近い人種——ゴットメンシュ(神人)がアーリア人種と日本人種の共通の祖先だという奇説を唱えている。彼の著書には、大陸から渡ってきた天皇家の祖先はユダヤ人であり、神人ではないから廃すべきである——という途方もない「不敬」な思想が記されている。また後半に登場する尼寺の庵主は、霊能力を持つと称し、陸軍にも人脈を拡げている。


 惟佐子は冒頭から、一種の幻視者であるかのように描かれている。そんな彼女が、後半、ある人物と夢うつつのうちに問答を交わすくだりは幻想小説的な筆致だ。血族の驚くべき秘密に戸惑わされる惟佐子だが、最後はその妄執と狂信を断ち切る。この結末において、奥泉は晩年の三島のファナティシズムではなく清張の現実主義と歩調を合わせているが、それを三島調の耽美的な文体でやってのけたところに感嘆させられる。






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