大橋悠依が現役引退後に「スポーツ栄養学」を学び始めた理由:トップアスリートのセカンドキャリア

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2025年06月18日 07:20  webスポルティーバ

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前編:大橋悠依(東京五輪競泳2冠)インタビュー

2021年の東京五輪で競泳200m、400m個人メドレーを制し、女子アスリートとして夏季オリンピック日本史上初となる同一大会2冠を達成した大橋悠依さん。パリ五輪出場を果たした2024年シーズンを最後に第一線を退き、現在は現役時代の所属先であるイトマンスイミングスクールの経営母体・株式会社ナガセに勤務しながら、2025年4月からは東洋大学大学院(健康スポーツ科学研究科・栄養科学専攻)でスポーツ栄養学を学んでいる。

トップアスリートの現役引退後の人生は、「セカンドキャリア」という呼ばれ方で注目を集めるが、大橋さんは引退後についてどのように考え、現在の生活を選択したのか。話をうかがった。

【大学院生として課題に追われる日々】

 5月下旬、高層ビルが立ち並ぶ東京・新宿駅西口周辺の街路樹は新緑に覆われ、初夏を思わせる季節になっていた。ビジネスマンや学生、インバウンドの観光客が歩道を行き交うなか、上品なベージュのパンツコーデに身を包んだ大橋さんが、小走りにやって来た。

「よろしくお願いします」

 約束の時間までは余裕があるのに、撮影場所にいるロケ班を見て、思わず駆け寄ってきてくれたのだろう。

 真面目で爽やかな佇まいは変わらず。五輪金メダリストに失礼かもしれないが、大橋さんの「小走り」は現役時代から垣間見られていた「普通の人」らしさを感じさせるものだった。

――2024年の誕生日(10月18日)に引退されて、新しい生活を送っていますが、あらためて現在の日常について、説明していただけますか。

大橋 今はイトマンの経営母体である株式会社ナガセの正社員の立場で、イトマンの特別コーチとして各校のイベント、また社外の講演会に足を運んでいます。ほかに現役時代からサポートをいただいているセイコーさんのセイコースマイルアンバサダーとしてイベント等に出席したりしていますが、そうした活動と並行して今年の4月からは学生として東洋大学の大学院に通い、スポーツ栄養学を学んでいます。

――講演会や人前で話すことには、慣れていますよね。

大橋 話す対象者がそれぞれのイベントや講演会で違いますが、まずまずできるようになりました。

――取材では、いつもわかりやすい、具体的な言葉で話す印象がありました。

大橋 やった!(笑) ただ、講演会は引退から半年くらいは多かったのですが、今はそれほどでもありません。というか、今は大学での生活が中心です。基本は大学院生として、課題に追われています。大学を卒業してそのまま大学院に進学する生徒が多いので、いろいろ話していると、自分よりも5歳下の先輩がいたりもします(笑)。

 加えて非常勤講師として大学の水泳の授業に入ったり、大学の栄養科学科の学生の調理実習授業のアシスタントとして、アルバイトの立場で入っています。その実習は、栄養士の資格を取得するうえで参考になると勧められたものです。

――簡単に1週間の流れを教えていただけますか。

大橋 大学院の授業は1日1〜2コマが基本で、月曜、火曜には調理実習の事前準備と実習、水曜は水泳の授業2コマに入って、そのあとに自分の栄養学の授業が6限にあるので出席、木曜も2コマ授業があり、それが終わったら水曜の6限の課題を夜まで学校でこなしています。金曜は比較的フリーな時間ですが、隔週で夕方にオンライン授業を受けています。土日はイベントなどが入れば足を運び、なければ課題をこなしたり、休めるときは休む感じです。

――1日の生活サイクルはいかがですか。競泳選手は朝早かったと思いますが(朝練習は5時や6時から開始)、現在も朝は早いのですか?

大橋 いや、全然早くないです(笑)。朝7時半くらいに起床することが多いです。水泳の授業があるときは10時前くらいにプールに行って、水泳部の学生やコーチたちと話をしたり、少し体を動かしたりします。

 平日は、金曜以外は学校にいる時間が長いですね。授業以外は図書館にいるので、だいたい18時とか19時くらいに学校を出る感じです。

――自炊はされていますか。

大橋 結構していますね。赤羽のキャンパスなので、その近辺で何か食べたりするのかなと思っていたんですけど、そのまま帰宅して、ちゃちゃっと作っちゃうことが多いです。

――授業に関連して、やってみようということですか。

大橋 確かにそれはあるかもしれません。調理実習で先生が作ったものを食べられるんですが、それを見て実際に作り直したりしています。

【「私は結構、普通の思考なんです」】

 大橋さんは中学、高校時代から全国大会で上位に入る成績を収めていたが、決してトップクラスの選手ではなかった。ただ、数々の名スイマーを育ててきた平井伯昌コーチに、水の抵抗の少ないフォームに伸びしろを見出され、東洋大に進学。もっとも最初の2年間はケガやコンディション不良などで、思うような結果を残せずにいた。大学2年時(2015年)の日本選手権200m個人メドレーでは予選に出場した全選手の中で、最下位に終わったこともあった。

 その頃、自身の不調の原因を探ると貧血体質であることが判明し、食事面も含めた体質の改善に着手。その成果は徐々に表われ、2016年の日本選手権ではリオ五輪代表にあと一歩及ばなかったが、最終学年の2017年日本選手権では200m、400m個人メドレーで2冠を達成。その2種目で自身初の日本代表となり、夏の世界水泳選手権に出場した。

 それ以降、引退する2024年まで日本代表に入り続け(コロナ禍の2020年は除く)、オリンピックに2度、世界選手権にも4度出場して、都合4回、世界の表彰台に登ってきた。

 現在、大学院でスポーツ栄養学を学んでいることは、そうした現役時代の経験に起因している部分もあるが、本人はそれ以前から興味を持っていた分野だったという。

――スポーツ栄養学に興味を持ったのはいつごろですか。

大橋 もともとで言えば、大学に入学する前、高校2、3年の頃から興味を持っていました。

 大学進学の際も平井先生にその意向を伝えたんですが、当時は栄養関係の学部のキャンパスが群馬県にあり、選手として活動するうえでの物理的な問題で、国際観光学部(国際観光学科)に進みました。

 大学4年生で日本代表に入り、卒業後も競技を続ける道が見えてきた時にも、大学院で勉強することを検討しました。今、大学院のゼミでお世話になっている先生は2017年頃から水泳部に来ていただいた方で、いろいろ相談もさせていただきましたが、毎年、夏の国際大会でも長期合宿で日本を離れることも多かったですし、なかなか踏みきれずにいました。

 本格的には引退する前年くらいから大学院進学を前提に動き始めた感じです。

――とはいえ選手を辞めて大学院に通うとなると、経済的な問題が出てくると思います。そのあたりはどのような準備をしていたのでしょうか。

大橋 自分が大学院に行きたい意向は引退の2年前ぐらいから(株式会社ナガセの)社長にお伝えして、理解をいただきながら、準備を進めてきました。ただ、給料はいただいていますが、自分がどういうふうに会社に(見合った)貢献していくのかはまだ模索中です。

――でも、特別コーチやイベント等で役割を果たしているのでは?

大橋 自分のなかではまだまだ、です。ここ2カ月は生活環境がガラッと変わったので、ペースがつかめなくて十分に働けてない気持ちが強いです。

――大学を卒業する際、女子個人メドレーの第一人者となりイトマン東進の所属選手として活動することを発表した時も、自分がいわゆるプロ的な形で競技を続けることに戸惑いがある、みたいな話をされていました。

大橋 私は結構、普通の思考なんです。泳ぐことで所属先からお金をいただくので、それが仕事だと言われればそうなのですが、水泳以外の同い歳の人たちとは、どんどん社会経験の面で差が開いていってしまう。こういうやり方でいいんだろうか、その責任を負えるんだろうかみたいなことはすごく考えていました。

――取材を通して感じていたのは、大橋さんはトップアスリートではあるけど、一般の社会人的な考え方を持っている方だなということでした。随所にそういう意味合いのコメントを発していたように思います。

大橋 謎ですよね(笑)、それは私自身も思います。自分の気持ちと、自分がやっていること(競技)の乖離に悩むときがあったというか。ずっと(記録が)伸びていけばもちろんいいですけど、つらいときも多かったので、そういう時には特に悩んでいました。

つづく

Profile
おおはし・ゆい/1995年10月18日生まれ、滋賀県出身。彦根東中―草津東高―東洋大―イトマン東進。幼少期にイトマンスイミングスクールで水泳を始める。小〜高校時代まで全国大会に出場し続け、東洋大進学後にトップレベルのスイマーとして台頭。2017年の日本選手権では200m、400m個人メドレー二冠を果たし、初の日本代表入り。以降、毎年主要国際大会に出場し、世界選手権では2017年ブダペスト大会200m個人メドレーで銀、2019年光州大会は400m個人メドレーで銅メダルを獲得。2021年の東京五輪では個人メドレー2冠を達成し、夏季五輪では日本史上初の同一大会で二つの金メダルを獲得した女子選手となった。パリ五輪出場を果たした2024年シーズンを最後に現役引退。現在は株式会社ナガセに勤務する一方、東洋大大学院でスポーツ栄養学を学んでいる。地元・彦根への愛着から、ひこにゃんファンクラブ名誉会長も務める。

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