画像はイメージです昨今、早期退職をする会社員が増えている。西田裕之さん(仮名・50代)も、早期退職して夢を追った1人だ。西田さんは上場企業に入社し、営業部長まで昇進。55歳で自分の夢を追うことを決意し、退職した。当時の心境をこう振り返る。
「私は生命保険会社で一貫して営業マンとして働き、気がついたら部長に昇進。とはいえ、所詮は中間管理職ですし、最近は部下に気を使う時代で息苦しく、常々違うことがやりたいと思っていて。早期退職すれば退職金も増えますし、思い切った決断をくだしました」
◆ラーメン屋の開業を目指すも、息子は猛反対…
退職後「やりたいこと」は、ラーメン屋だった。
「営業で全国をまわる際の楽しみのひとつがラーメンの食べ歩き。とある人気店の店主と仲良くなり、スープの秘密や製麺のコツ、苦労や魅力などを聞いたことがあって。『ゼロから始めて人気店にする』というストーリーに魅力を感じ、ラーメン屋を始めることにしました。私が『ラーメン屋を始める』と言うと、息子は『絶対にやめたほうがいい』『ロクに休めないし、利益も出ると思えない』と猛反対。しかし、妻だけは『やらせてあげればいいんじゃない?』と背中を押してくれたんです。結局、半ば強引にラーメン屋の開業を目指すことに決めました」
◆とりあえずマクドナルドのバイトに応募
いざ始めようとすると、わからないことだらけだったそうだ。
「何度か自宅で作ったラーメンの味は抜群でしたから、流行らせる自信はありました。また、麺やスープ、必要な具材の仕入先は決めていました。ですが、とにかく自分には経営ノウハウがなくて、なにをどうしたらいいのかわからなかった。四苦八苦して集めた情報によれば、なにやら予想より多くの開業資金が必要になることが判明。『やめたほうがいいかもしれない』と思いつつも、息子に啖呵を切った手前、引き返すことはできませんでした」
スタート位置についてもいない段階で目を白黒させていたわけだ。見かねた友人から「ある有名焼肉店の創業者がマクドナルドでバイトをして、飲食の経営ノウハウを学んでいた。今はシニアでも採用してくれるので、働いてみてはどうか」とのアドバイスが。
「仕事もなかったし、ダメ元で近所のマックに応募してみたところ、採用になったんです。営業部長にまでなった自分がバイトかよと、もちろん悩みました。ただ、話に聞いた通り、マニュアル化された業務やお客様に対する姿勢など、接客や経営のイロハを学ぶことができました」
◆「55歳のあなたには無理」と突っぱねられるも…
マクドナルドのアルバイト生活は思いのほか充実していたと回想する。
「すべてが新鮮で。若い人とも触れ合えますし、やりがいもあったのですが、ラーメン屋になるために会社を辞めたので、思い悩んでいました。そんなとき、バイトの同僚が『儲かっているラーメン屋で修行してはどうか?』と言うんです。もちろん私も修業に入る道があることは知っていたのですが、自分1人でやりたいという気持ちがあって……。
いろいろ考えましたが、やはり『餅は餅屋』という結論に達して。仲が良かった有名店の店主に、独立を視野に入れた弟子入りを志願しました。『体力がいる。55歳のあなたには無理』『ほかの職を探したほうがいい』と何度も断られたのですが、頭を下げ続けて、なんとか修行を許可してもらいました」
◆1か月で辞めてしまい、貯金を切り崩す日々
修行生活は極めて厳しいものだったという。
「朝の7時から仕込みを初めて、夜の8時まで働くのですが、自分の無力さに愕然としました。注文を間違えてしまう、スープの調合や麺上げのタイミングもなかなか覚えられない。今は昔のように暴力を振るわれるようなことはないけれど、かなり厳しく叱責されたうえに皿洗いばかりで、精神的に参りましたね。また、ずっと立ちっぱなしの仕事がハードすぎて、身体もついていかなくなり、1か月で辞めてしまいました……。情けなくて涙が出ました。
自分が考えたラーメンには今でも自信がありますし、資金もそれなりにあるのですが、とにかく体力がない。修行先の店主からは『独立関係なく、アルバイトとして働いてはどうか』と声をかけてもらっていますが、正直、夢に敗れた感が強く、飲食業界に戻る気に離れないし、なにもやりたくない。貯金を切り崩して生活している状態です。残り5年、定年までしがみつけばよかったと何度後悔したことか」
いくつになっても夢を追うのは素晴らしいこと。しかし、上手くいくとは限らない。心底慎重に行動しなければ、残りの人生が悪夢になってしまうことだろう。
<TEXT/佐藤俊治>
【佐藤俊治】
複数媒体で執筆中のサラリーマンライター。ファミレスでも美味しい鰻を出すライターを目指している。得意分野は社会、スポーツ、将棋など