
2025年は、立川勇次郎の没後100年にあたる。京急のみならず、東芝の源流となった企業にも名を連ねるなど、明治〜大正期の実業界に多くの足跡を残した立川勇次郎とはどのような人物だったのか。以下、『かながわ鉄道廃線紀行』(森川天喜 著、2024年10月神奈川新聞社 刊)の内容を抜粋して紹介しよう。
明治から大正にかけて活躍した実業家

新橋―横浜間に我が国ではじめて鉄道が走ったことに加え、鉄道に関して神奈川県が誇るべき、もう1つ大きな歴史的事実がある。それは、関東で最初の電気鉄道(電車運転の鉄道)が開業したのが、県内の川崎市を走る大師電気鉄道(現・京急大師線)だったことである。
大師線がなぜ関東初の電気鉄道として開業したのか、その経緯をひもといてみよう。大師電気鉄道は、京急電鉄の創業路線と位置づけられており、その設立者である立川勇次郎が京急電鉄の実質的な創業者とされている。
しかし、他の関東の大手鉄道グループの創業者である西武の堤康次郎、東武の根津嘉一郎、東急の五島慶太らと比べると、その名は一般にはほとんど知られていない。立川勇次郎とは、いったいどのような人物だったのだろうか。
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江戸時代末の1862(文久2)年に現在の岐阜県西部の大垣で誕生した勇次郎は、24歳で東京に出て代言人(弁護士)として開業。上京3年後の1889(明治22)年に、東京市内において「蓄電池式電気鉄道」の敷設を出願している。
このときの事情について、勇次郎本人は「私が電気のことに明るい為にやった訳ではありません」(『工学博士藤岡市助伝』)と語っている。
電気鉄道の敷設を計画していた人物から「法律家を頼まなくては、出願することが出来ないといふので」(同前)出願の手続きを依頼され、法律家として関与。このことが、後に電気鉄道計画に携わるきっかけになったのだ。
大師電鉄開業までの経緯
結局、この計画は時期尚早として却下されたが、1890(明治23)年4月〜7月に東京上野公園で開催された第3回内国勧業博覧会で、後に「日本のエジソン」とも呼ばれる電気工学者の藤岡市助博士(後に大師電気鉄道の技術顧問に就任)らによって電車の試運転が成功し、「軌道条例」が制定されると、世間に電気鉄道敷設の機運が高まっていく。
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そこで、東京市外で「関東ニ於ケル電気鉄道ノ標本ヲ実験」(『京浜急行八十年史』)し、企業としての電気鉄道事業の成功例を示そうということで、1899(明治32)年1月に六郷橋―大師間の営業距離約2kmで開業したのが、大師電気鉄道だった。
その後、勇次郎は大師電気鉄道から名称変更した京浜電鉄の専務取締役(現在の社長に相当)を1903(明治36)年12月まで務めたほか、藤岡博士らが設立した東京白熱電燈球製造(後に東京電気。東芝の源流の1つ)取締役や東京市街鉄道(都電の前身の1つ)常務取締役にも就任。
さらに、実現には至らなかったものの、私鉄版新幹線計画ともいうべき東京大阪間高速電気鉄道計画(東京―大阪間を6時間で結ぶ)でも主導的役割を果たしている。
このように東京での事業を成功させた後、晩年には郷里の西濃地方で養老鉄道(後に近鉄養老線。現・近鉄グループの養老鉄道)や、揖斐川電力(現・イビデン)の社長に就任し、交通・産業基盤の形成に努めた。
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開業当時の大師線の面影を辿って
それでは、明治から大正時代にかけての大師線の面影を辿ってみよう。開業時(1899年)の始発駅である六郷橋駅は、官営鉄道(現・JR)の川崎駅から、およそ800mも離れた、多摩川に架かる六郷橋のたもとに設置された。川崎大師への参詣客を運ぶ人力車夫たちが、「お客を取られる」と電車敷設に猛反対したのが、不便な場所に駅が設置された理由だった。川崎駅から六郷橋までは人力車、六郷橋から大師は電車というように営業のすみ分けが図られたのである。
こうした経緯があったものの、開業3年後の1902(明治35)年9月には現在の京急川崎駅―六郷橋間の営業を開始。当時は、京急川崎駅を出た後、現在の「ラーメン二郎京急川崎店」付近で進路を変え、本町交差点から旧東海道上を進む路面電車だった。

※サムネイル画像:六郷橋―大師間の桜並木を行く大師電気鉄道の電車(1899年1月22日撮影=提供:京急電鉄)
――編集部より――
書籍『かながわ鉄道廃線紀行』では、時代によって路線の延伸・廃止を繰り返した大師線の歴史を紹介するとともに、開業時の大師線の路線跡や、大正から昭和の初めにかけて川崎大師と鶴見の總持寺の間を結んでいた海岸電気軌道の廃線跡を歩き、駅の遺構などを調査・紹介しています。
森川天喜 プロフィール
神奈川県観光協会理事、鎌倉ペンクラブ会員。旅行、鉄道、ホテル、都市開発など幅広いジャンルの取材記事を雑誌、オンライン問わず寄稿。メディア出演、連載多数。近著に『湘南モノレール50年の軌跡』(2023年5月 神奈川新聞社刊)、『かながわ鉄道廃線紀行』(2024年10月 神奈川新聞社刊)など(文:森川天喜)