「初めての相手は父親」16歳で“実父の子”を妊娠、流産… 7人の子を持つ母となった性虐待サバイバーの告白

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2025年03月23日 09:01  日刊SPA!

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塚原たえさん(53歳)
「私がX(旧Twitter)で実父からの性虐待を告発すると、多くの女性から『私もやられた』というコメントがつきました。昔は、表立って言えるような時代ではなかった。時代は変化しましたね」
そう語るのは、埼玉県ふじみ野市に住む、一般社団法人PCASA JAPAN 代表の塚原たえさん(53歳)だ。現在は、17歳の時に入籍した夫との間に、7人の子に恵まれ、19人の孫がいる。初潮の頃に始まった、実父からの性虐待を週刊誌で実名告発してから約1年半。今、彼女が思うことを聞いた。

◆「和寛は死んでも構わない。たえちゃんはヤダよ」弟の自死に無関心な鬼のような父

塚原さんは2023年11月に『文春オンライン』で、実父からの性虐待を実名告発した。きっかけは、2021年10月末に、20年関係を断っていた実父から、遺産相続の意思確認の手紙がきたことだった。

「父に住所がバレて、『子どもの相続意思を確認したく連絡をとりたい。人でなしの親のせいで困窮し、皆、気が狂っていました。皆、深い傷を負いました。皆、よく生きてくれました』と手紙が来ました。だいぶ経ってから、遺産はいらないと電話をしました。その時に、やはり幼少期から、父からの性虐待に遭っていた弟の和寛の自死を伝えると、『和寛は死んでも構わない。たえちゃんはヤダよ』と言われたことで、“この人は鬼だ” と涙が止まりませんでした」

塚原さんは3人姉弟の長女として産まれるが、11ヶ月下の弟も、父に幼少期から肛門性交されるなどの性虐待に遭っており、四国の山奥で練炭自殺した。

「弟の顔を思い浮かべても、苦しんでいる顔しか思い出せません。男の子だった彼は、父からの性虐待を誰にも言えず、29歳で自死しました。その無念が私に乗り移った気がし、夫がいなければ後を追っていたかもしれません。生きていれば、私のように戦えたかもしれないと思うと、涙がこぼれます」

塚原さんが父を実名告発したのは、和寛さんのためでもある。

◆小6で初潮がきた日に、父にレイプされる

塚原さんは、幼少期から持続的に両親らの虐待に遭い続け、重度の複雑性PTSDを患い、記憶が飛び飛びだ。小学校2〜3年生の頃から、弟と共に、ネグレクトや風呂に首を突っ込まれ窒息されかけるなどの虐待に遭い「このまま死ねたら」と思っていたという。

母はスーパーで彼女を忘れて帰ってしまうような、自分のことしか考えていない女性だった。

両親は、塚原さんが小学校3年生の時に、児童扶養手当受給目当てで離婚した。父は運送会社のトラック運転手で、母は父からのDVもあり、家出を繰り返し男の元を転々としていた。

父から初めて性虐待を受けたのは、小3の時だった。父は、彼女の膣に異物を入れ、弄んだ。

「性的な知識がなく、何をされているか分かりませんでした。痛い、気持ち悪いと思いました」

小6で初潮がきた日から、父によるレイプが始まり、母は助けるどころか笑うだけだった。それ以降、母の有無に関わらず性虐待が続いた。16歳の時には、妹と並べられ、同時にレイプされた。

「私は、それまで自分さえ我慢すれば弟や妹を守れると耐えていましたが、その希望も崩れました」

それが、セックスだと分かったのは、中学校2年の時だった。

◆「私の初めての相手は父親だ」と知り決壊した心

「中学校2年くらいになると、“彼氏とCしちゃった”という性体験の話を同級生がするようになりました。『私の初めての相手は父親だ』と分かった時は、心がガラガラと音を立てて壊れた気がしました」

中3で母が蒸発し、暴力と性虐待は日常化した。

「よく性被害に遭った時に『声を上げて逃げられるんじゃないか』と言われますが、怖い・嫌なことを前にして、ただ体が固まってしまいました。周囲の無理解に苦しみました」

そんな彼女は、16歳の時に、自立援助ホームに入所することになった。

「妹もやられたんだと知った時、妹を連れて逃げようと決心しました。警視庁本部少年係に駆け込んで保護を求めました」

姉弟3人、施設に保護されることになった。警視庁から聞かれた父は、「性教育のためにやった」と呆れた言い訳をし、「たえを返せ!」と児相に迫った。

◆16歳で父の子を妊娠・流産

夫とは、自立援助ホームに遊びに来ていた先輩の知人として知り合い、間もなく付き合うことになった。しかし、児童相談所から漏れた情報を頼りに、父は車中泊しながら彼女を施設前で見張るようになった。

「分かった時は、しゃがみこんで、腰が立たない状態になりました。殺されると思いました」と当時を振り返る。

当時は恋人だった夫は塚原さんを連れ、「もう帰らなくていい」と言い、施設から一緒に逃げ、彼女を守った。その後も父は執拗に彼女の居場所を見つけてはやってきた。転々と逃げ回ったが、塚原さんは彼がいない間にラブホテルに拉致されてしまう。

生理が遅れた時、彼は「俺、パパになれる!」と喜んだ。

「病院で妊娠を告げられた時、夫の子どもなのか、父親の子どもなのか、悩み苦しみました。医師から、流産した子は父の可能性が高いと言われ、衝撃を受けました 」

そんな身を割かれるような出来事があったものの、17歳の時に、彼の子を妊娠し、2人は入籍する。

◆虐待を恐れながらの育児

「子どもがたくさん欲しいというのは、私の希望でした。味方が欲しい、大事な存在が欲しいと思ったからです。好きな人の子を育てるなんて、こんな幸せなことはない。子どもが産まれるたび、父との子の流産で傷ついた体が浄化される気がしました。でも、あの人の血が流れていると思うと、自分も子を虐待するのではないかと恐れ、今でも体を切り刻みたい衝動に駆られることがあります」

49歳の時、父を訴える裁判の証言を母と性虐待を受けた妹に頼んだが、「今さら何だ」と責められた。母に「私は恥ずかしい人間なのか」と問うと、「そうだ。この恥さらし」と返され、その言葉に深く傷ついた。夫は「まだ虐待に遭っている」と彼女を支えた。時効などの問題で裁判は諦めた。

そんな彼女も今では、19人の孫に囲まれ、フラッシュバックに苦しみながらも、幸せな生活を送っている。

◆トラウマはついて回るが「あなたは1人じゃない」

「今でも夫には、『父親に使い古された汚い体でごめんね』と言ってしまいます。お風呂でのトラウマが今も残り、浴槽に入るのが怖いです」

子育てがひと段落した50歳からは、夫の勧めもあり、精神科病院に通院している。

「重度の複雑性PTSDと診断されました。今でも、心因性の高熱を出すことがあります」

だが、Xや各種メディアでカミングアウトしたことで、性虐待について話せるようになり、救われたという。

「性虐待の被害者はたくさんいて、相談のメールがきます。必ず最後に『1人じゃないよ』と書くようにしています」

◆被害者にも加害者にもしない教育をしたい

彼女が今後、取り組んでいきたいことを聞いた。

「私もそうでしたが、子どもの頃に性虐待されると、時効になって証明するのが難しいです。一般社団法人では、時効の撤廃や、厳罰化を訴えていきたい」

また、性被害性虐待に遭った場合の専門部署は、警視庁にしかなく、所轄警察には生活安全課しかない。

「よく性被害に遭ったら、そのままの状態で、警察に駆け込めと言いますが、被害にあってすぐ行動に移せる人は少ない。多くの被害者は、汚されてしまった自分の体を洗い流したいとシャワーを浴びてしまいます。そのための対策を伝えていきたい」

塚原さんは、加害者の精液などDNA鑑定につながる証拠を脱脂綿等でふき取り、ビニール袋に保管し、落ち着いた頃に警察に行けるよう、自分でキットを作ることを推奨している。

「こういった方法は、泣き寝入りを防げるし、加害者への抑止力にもなるので、広めていきたいです」

そう語る彼女の瞳には、未来への希望の光が宿っていた。

<取材・文/田口ゆう 撮影/星 亘>

【田口ゆう】
立教大学卒経済学部経営学科卒。「あいである広場」の編集長兼ライターとして、主に介護・障害福祉・医療・少数民族など、社会的マイノリティの当事者・支援者の取材記事を執筆。現在、介護・福祉メディアで連載や集英社オンラインに寄稿している。X(旧ツイッター):@Thepowerofdive1

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  • うちでも預かったよ。驚く程あっけらかんと話す。きっとこの子は、取るに足らない事だと思い込まなきゃ生きていけないんだろうなと思った。酷い事だよ。
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