限定公開( 1 )
3DCGアニメの歴史のなかで、マイルストーンの1つとなった作品が2014年に公開された「楽園追放-Expelled from Paradise-」だ。フル3DCG表現にまだ抵抗感があった時代に、キャラクターとアクションの魅力に注目が集まり、興行的にも異例のヒットとなった。
【画像を見る】2026年公開の「楽園追放 心のレゾナンス」(全5枚)
その楽園追放の10年ぶりとなる続編制作の発表に驚いた読者も少なく無いはず。なぜ今なのか? 何が描かれるのか? 10年という時間的ギャップをどう乗り越えたのか? 前作に続き指揮を執る水島精二監督をはじめ、プロデューサー、制作スタッフの皆さんに詳しくお話をうかがった。
●10年ぶりの続編制作決定の舞台裏
――まずは「楽園追放 心のレゾナンス」の制作が決まった経緯を教えてください。
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水島:実は前作が完成してすぐ、10年前から続編の話は出ていたんです。試写の評判も上々で、「これは続きを作るしかないのでは」と周囲が期待を持った感じでした。ラストシーンでアンジェラとディンゴがトレーラーの中で笑顔で会話していますが、そこで「アリだな」と思った方は多かったんじゃないでしょうか。ただ、あのカットを入れるか入れないかは、東映アニメーションの野口プロデューサーと最後まで議論になったんですよ。
水島精二:アニメーション監督、音楽プロデューサー
主な監督作品に「鋼の錬金術師」「大江戸ロケット」「機動戦士ガンダム00」「コンクリート・レボルティオ〜超人幻想〜」「D4DJ」など。現在「アイゼンフリューゲル」(総監督)、「楽園追放 心のレゾナンス」(監督)を制作中。
前作は上映館は少なかったんですが、興行成績が好調で、上映期間中に東映アニメーションの野口プロデューサーから「会社としても続編を作るべき」という話が出ていると聞いたんです。ただ、「テレビシリーズで、CGではなく作画で」という案もあり「絵の表現面などディティールのクオリティーのコントロールが難しいので、それは嫌だ!」と(笑)。僕としてはレベルダウンする事なくCGで続編を作りたかったんです。
そこからずっと、続編の話は継続していました。とはいえ、まずはこの企画の根幹である虚淵玄くん(ニトロプラス)の脚本は外せない。彼が行けると確信を持たないと始まらないなと。でも、彼と話していると「一度完結した物語だし、『楽園残響―Godspeed You―』(大樹連司氏による続編小説)もあるし、それをアニメ化したらいいんじゃないか」と言われたりで、彼的には書き切った、と感じている印象でした。
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でも、野口プロデューサーも「どうしても虚淵さんに書いてほしい!」と。そこで僕の方が虚淵くんと別件で連絡を取ったり、プライベートで会ったりする機会に、年1回くらいですが「続編、どうですか?」と打診していたんです。でも、いつも「『楽園追放』以外の話なら思い付くんですが(笑)」という反応で......。それを野口プロデューサーに伝える、みたいなやりとりが長らく続いていました。
何となく企画は続いてますよ......続編とか何かやりましょうという状態で、アニメ業界的には良くある話で、年に1、2回ご飯を食べたりしながら、話は出るんだけど、企画として成立するのかな、という状態にあった、その中の1本という感じですね。
具体的には20年の2月にそういう話が出てきて、ニトロプラスに集まって5月にはプロットが上がっていたので、虚淵さんが「いける!」って思っているなら「そのアイデアに全乗りでしょう」っていうことで始まりました。時間経過を経て作品規模的に前作の3人――まあ、1つはAI搭載ロボットですが(笑)――というシンプルだったキャラクターの配置も膨らませられるし、前作に連なるアンサーもわれわれが引き続き提示したいテーマも示すことができる。3DCGの映画を作る際のボリューム、あらたなファクターを加えつつ、あらゆる面でパワーアップできる、という確信が彼の中でもあったんだと思います。
――26年に公開を控え、まだ具体的にどういった物語か、という点はまだお話頂けないとは思いますが、1つ注目ポイントとして、キャラクターやその拡がりが挙げられるということは伝わってきます。
水島:前作とおなじテーマをキャラクターを置き換えてやるというのは、あまり意味がないとは思っていて、新しくて、それでいながら楽園追放であるというところはしっかり守れるんじゃないかなと――まだ試行錯誤中ですがそんな思いで制作を進めています。
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試行錯誤、という点では、続編制作のティーザーPVや先日(リバイバル上映が開始された24年11月16日〜)公開された特報でも、本編と遜色ないクオリティーを確保しつつ新規キャラクターも二人登場させる中、技術的なトライアルをいろいろやっています。
――キャラクターの魅力も前作の大きな成功要因だったと思います。今作では監督のこだわりなどはありますか?
水島:CGならではの進化という意味では、フェイシャル(表情)に注目してほしいですね。10年の間にツールや手法が進化しているので、前作よりもさらに繊細で豊かな表情を描けるようになっていると感じています。もちろん、アニメーターがどこまでモデルを調整して良い絵に仕上げてくるか、というセンスも重要です。
僕は作画アニメ出身なので、キャラクターの表情は、その子の性格や心理状態に合わせて、丁寧に作り込みたいんです。コミカルなシーンでも、その子の性格に合った表情や動きを大切にしています。ですから、記号化されたありがちな表現はまずしないと思います。そういう意味で10年前の表現から大きく外れることはありません。進化した点は、ツールが洗練されたことで、以前は手作業で調整していた部分が、アニメーターやモデラーがより細かく制御できるようになった事だと思います。短い時間で、より質の高い表現に到達できるようになっているなと。
実は、ルックの方向性を変えるという案もあったんですよ。スタッフ編成を試行錯誤する中「ゲームの『戦場のヴァルキュリア』(08年)みたいなイラスト調の絵もいいんじゃないか」って提案があり、それは面白いかもと僕が乗っかり実際にテストショット的な物も作ったのですが、野口プロデューサーが「うーん......」って悩んだ後、「やっぱり前作と同じで」って(笑)。
その時点の出来で、その方向でブラッシュアップして、海外作品をしのぐルックに行き着けるか、は未知数でしたし、東映アニメーションって、基本的に保守的なんです。大きい会社だから、新しいことに挑戦するよりは、安定した路線を選びたがるんですよね。でも、それはリスク管理を考えれば当たり前で理解できます。続編としてのつながりや、進化した部分を見せるには、前作のセルルックを継承しつつ、質感などをアップデートしていく方が良いと、当たり前の判断したんだと思います。僕が新しい事をしたがるだけで(笑) なので、僕は「分かりました」と。
――アニメーターとキャラクターのフェイシャルを巡って「もう少しこうだろう」となったときに、前作だと細かい表情は3Dで出力した後に手で直していましたが、今作でもその手法そのものは変わらないわけですね。
水島:ええ、その通りです。キャラクターの表情は感情表現として重要なので妥協するつもりはありません。絵コンテで方向性を示しているので、アニメーターたちも、もしフェイシャルデータだけではうまくいかないと感じたら、自発的に修正してくれます
――CGからみる作画の課題は後ほどまた詳しく伺うとして、楽園追放といえばアーハンをはじめとするメカ周りがどうなるのかも気になるところです。ロボットアニメを数多く手掛けられてきた監督は本作ではどのようなところに拘りますか?
水島:一番大きく変わったことについては、まだ言えないですね。メカじゃないところでも、人の手によるものではない「何か」をやっているんです。それもまだ結果が見えていないし......やっぱり言えない(笑)。
主人公側が操るメカ(アーハン)は前作のアーハンを丸ごと使っていますが十年分の技術的進歩が盛り込まれてます。他のメカのデザインも、前作から地続きの世界観を意識した新デザインです。メカの運用方法やアクションに関しても、10年分の技術の進歩を反映させています。前作と同じモデルをそのまま使うのではなく、全てリファインして、最新の技術で動かしています。ただ、アニメーション自体の外連味(けれんみ)は、言ってしまえば変わっていません。登場するメカの数が増えたり、前作ではシナリオ上の要請がなかったので作れなかったシチュエーションを今回はリッチにやっています。
新たな技術を投入しようとしていたりもするのですが、「このままではハマらないんじゃないか?」みたいな話もあったりもして。実はそのあたりは、ずっとテストしてもらっているんですが、最終的には手作業になるのかもね、なんて話も出ています。「でも、もしそうならもうそろそろ決めてもらわないと現場的にやばいよね」みたいなことにもなっています(笑)。
そういった実験はしているけれど、実際にどれくらいフィルムに反映されるかは分からない。ただ、僕たちが過去にやったことのないプロセスで、意外な表現に挑戦したいと思っています。もちろん、物語上それが定着するようにですが。
●楽園追放とアーカイブの活用
筆者は前作ならびに本作でシニアプロデューサーを務める野口光一氏、本作でモデリングスーパーバイザーを務める久目健人氏ならびにメカモデラー/エフェクトスーパーバイザーの橋本豊和氏にもヒアリングを行った。「楽園追放 心のレゾナンス」の制作にあたっては、前作「楽園追放-Expelled from Paradise-」で用いた、キャラクターやメカ、プロップ(小道具)の3DCGデータを一部を変換・加工して用いる手法を採用している。
「楽園追放-Expelled from Paradise-」は米Autodeskの3ds Max(以下Max)で制作されているが、前作のデータをそのまま現在のMaxで開いて用いることは難しいという。その理由は(1)ソフトウェアならびにプラグインのバージョン、(2)データの再現性の2点となる。
言わずもがなだが、ソフトウェアは対応したOS上でなければ正しい動作が期待できない。また3DCGソフトは、ソフトウェア本体の機能だけでなく、プラグインと呼ばれる拡張機能を用いてより豊かな表現を追求することが一般的におこなわれており、「楽園追放 心のレゾナンス」ではセル画表現を可能とするレンダリングプラグイン(Pencil+)が採用されている。こういったプラグインは、ソフトウェアの特定のバージョンにひも付いており、作成したデータも、ソフトウェアとプラグインのバージョンをそろえたうえで制作をすすめなければならない。
「楽園追放 心のレゾナンス」の制作に際し、前作のデータを正しく開くためには、データが保管されているフォルダ構造も含め環境を整える必要があったが、Maxの開発元であるAutodeskは既に当時のバージョンを提供しておらず、これらの条件を満たす環境を保全していた別のスタジオに変換を依頼する必要が生じたという。作画アニメーションでも指摘されている中間成果物の保管や活用が、3DCGの導入が進むアニメ制作の現場で新たな課題となってきていることも見えてくる。
●ティーザー映像からはじまっている挑戦
――本作の技術的なトライアルについてももう少し詳しく教えてください。
水島:今作のバトルフィールドは、作画アニメーションとは全く違うアプローチで制作しています。作画アニメでは「空間把握をレイアウトで作って行く」という手法が一般的ですが、今回は広大な空間を3Dモデルで構築し、その中でキャラクターやメカ、カメラを自由に動かしています。アニメーションスーパーバイザーと相談しながら、距離感を調整し、カットごとに見せたいレイアウトを決めていくんです。
3Dアニメーション映画を作る際に、広大な開けたフィールドの空間全体を3Dで作り込むというのは、日本ではコスト面などの問題からまだあまり例がありません。そこは手がつけられていない領域なんですね。しかし今回は、映画の中に4箇所ほど、そういったシーンが登場します。
実は、野口プロデューサーから、「日本の3Dアニメーションはキャラクターの動きをつけるのはうまくなったけど、本来3Dでやるなら空間全体を表現すべきだ」という話があったんです(参考:野口Pが手掛けた「正解するカド」についてのインタビュー記事)。彼はもともとVFX出身なので、コストの問題はあるけれど全部3Dでやりたい、という夢があったんだと思います。
つまり、日本のアニメは3DCGで背景を作るのが苦手なんじゃないか、と。だから今回のプロジェクトでは、全部じゃなくていいから、何箇所かで3DCGの背景に挑戦したい、ということになったんです。屋内を3DCGで作るのは、他の作品でもよくやられています。でも、野口プロデューサーは、もっと広大な空間を3DCGで表現してほしい、と言っていました。
最初のティーザーPVのラストカットを思いだして欲しいのですが、カメラがクレーンアップしていくと、広い空間が広がっていて、奥の方に大きな穴が空いているシーンがあります。実は、僕の最初の絵コンテでは、最後はガブリエルのアップで終わっていたんです。でも、野口さんが「3DCGで広大な背景を作りたい」と言い出して、「えー!?」って思いながらも、1カット描き足しました(笑)。
そこにさらに、モデル制作中に野口さんから「イチから背景モデルを作るのではなく、実写の映像を撮って、それを加工するプロセスはどうか?」というアイデアが出て、ロケハンで撮った風景に加工を加え馴染ませる方法論と一から背景モデルを作る2つの方法を試す実験的なシーンになりました。野口さんが実写経験が豊富なのでその手のロケハンはお手の物だったので、すぐに八ヶ岳に映像を撮りに行くことにもなったんですよ。
――確認なのですが、監督ご自身が作画アニメや従来の3DCGアニメでの作り方(カメラレイアウトに応じて必要な箇所だけ作りこむ手法)に、否定的というわけではないのですよね?
水島:いえいえ、そんなことはありませんよ。そういう作り方も散々やってきましたから。むしろ、広いところを全部、同じクオリティーで、例えば街1つをガッツリ作って、その中でキャラクターの配置などをどんどん決めていって撮ると、絶対にうそはないんです。絵作りについても、意外とレンズの選択で何とかなっていくというのは、過去にいろいろ作ったアニメの経験からいえることです。
仮に狙ったレイアウトにならないとしても、実写だって実際にモノの位置をずらしたりしますよね。つまり、自然に見えればいいんです。うそに「見えない」絵を作ればいい。3Dであろうと作画であろうと、それは可能なんです。
ただ、作画の場合はレイアウトを取る人の画力に左右されますよね。3Dだとモノはそこに全部あるので、レンズの選択とカメラの位置をグリグリ動かしていれば、そのうち気に入る絵が見つかる、ということもあります。散々作画で「難しいな」と思ってきた僕たちからすると、意外と3Dで取りたいレイアウトが取れるぞ、と感じますね。前作の「楽園追放 -Expelled from Paradise-」でも、それは特に感じました。
作画は画力が高い人ならすごい絵になるのですが、今は人材が不足していて、なかなか難しい状況です。
――庵野秀明監督の「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」(21年)の制作風景も思い起こされます。実際に役者さん(モーションアクター)たちに演技してもらいながら、カメラの位置、レイアウトに非常に拘っていました。水島監督もかつてエヴァでご一緒されたご経歴をお持ちですが、影響がなんらかあったりはしますか?
水島:「新世紀エヴァンゲリオン」(95年)のときに庵野さんと一緒に仕事をして、演出家としての在り方を学びました。庵野さんに食事に連れて行ってもらって、いろいろ話を聞いたことは、今でも僕のベースになっていますね。
(参考:水島精二(3) 監督の仕事を見た『新世紀エヴァンゲリオン』 | Febri)
庵野さんがいなかったら、僕は間違いなく監督になっていません。その時に話してくれた「全てに関わるか、全て関わらないかの二者択一だ」という話は特に印象に残っています。庵野さんは全てに関わっていて、「それはそれで大変」なんて話もしていましたが(笑)。「大半の監督は下に預けるみたいな形になるわけだけど、そういうもんなんだよ水島君」と言われたのをよく覚えています。
庵野さんがエヴァをやっているのを見て、自分もそうありたいと思い、初監督作品の「ジェネレイターガウル」(98年)のときは、とにかく自分が全てに関わろうとしました。その後も何本も作品を作っていったり、各話演出で入ったりする中で、自分がコントロールした方がいいところと、信頼できるスタッフに任せた方がいいところが、自分なりに見えてきました。そうなってくると、信頼できるスタッフをいかに自分で集めるか、という考え方にシフトしていきましたね。
だからアニメーターともそれまで以上に仲良くするし、同世代の演出家同士で「面白いな」と思う人には会った事がなくてもなんとかコンタクトを取って参加を呼びかけたり、自分がやりたいとお願いして参加したりとか、そういうやりとりをして仲間を増やしていきました。
――そういった監督のキャリアのなかで、今作のチャレンジはどういう位置付けになりそうでしょうか。
水島:これまでお話してきたように、今回は実験的な要素が大きいですね。3DCG背景もそうです。前作でも実はそういったチャレンジをしたかったんですが、十分にできなかったんです。今作も結果的に空間全部をハイポリゴンで作るのは時間的にもコスト的にも難しいと判断して、4シーンに絞ってローポリゴンモデルでフィールド全体をまず作って、絵コンテと照らし合わせてカメラワークを決定し、実際に映像になる部分をハイポリゴンモデルに作り込む方法を採用しています。完成画面に近いモデルを用いてカメラワークをいろいろ試せるといいのですが、時間とコストの壁は厚く......100%理想通りにいく、というところまでは到達しないので、そこは今後の課題ですね。
とはいえ、理想がかなったとして、そのやり方はスケール感、つまり自分が空想していた空間的な広がりを、実際の縮尺で確認し表現できる、という3DCGならではのうそのない画を検証している面があります。その方法でできた画が一番大事かと言うと、そうではありません。結局、そこに外連味を足すためにアレコレうそをつく事もあるので。要は、正確な尺度の検証ができるという、そこを分かった上でより効果的な映像を作れる安心感、その保険を手に入れたくらいの感覚なんです。
では、作画アニメではこういうことができないかというと、そんなことはありません。リアリティーの担保の話でもあるので、例えばもし中村豊くん(立体空間でのアクションを数多く手掛ける名アニメーター)がまるッと全部やってくれるんだったら、僕のプランなんて放っておいて、演出意図を守ってくれるなら全部任せますよ! 「すごい絵にしてね」って。作画アニメーターはそんな個人技に優れた方が多くいて、運良く僕はそういう人たちと知り合えたのは大きな財産です。
若い頃からそういうスーパーアニメーターたちと仕事をして、彼ら一人一人の持つ個性あふれるすごいアクション、それを支える空間把握能力、カットの連続性といったものを目の当たりにしてきました。だから、正確性を担保できる3DCGとセンスオブワンダーなすごい作画アニメは別物だという考え方に思い至っています。
どうしても、3DCGで外連味のあるアクションを作ろうとすると、2Dアニメのアクションを参考に追いかけていくことになってしまいます。でも、3DCGならではの良さというものに、もっと目を向けていきたい。そして、自分が頭の中でふんわり思い描いているアクションをどう言語化し、アニメーターを刺激し、良い映像を作っていけるかいつも考えています。
3DCGで空間を作っておけば、レンズの選択とキャラクターの動きでリアリティーと説得力を担保できます。だから最初のレイアウトチェックの段階で、レンズ選択とカメラ位置、つまりオブジェクトの配置に気を遣いますね。そこでカット単位で漠然とカメラを置いてしまうと、「絵コンテで指定された芝居の間合いだと、ここでのこのパーツがこっちを向いているから、カメラはもう少し下じゃないと意図が伝わりづらいしね、と。更に次のカットのつながりもぼんやりして分かりずらいね」といった具合で、シーンで捉えた時に、後々細かいリテイクがものすごい数出てしまうんです。
もちろん、絵としては正確な方がいい。でも、本当に大事なのは、構図やキャラクターのシルエット、そして動きがもたらす印象です。最初にレイアウトを作ったときに漠然とレイアウトをとっていると、「それっぽい」絵にはなるんですが、そのまま詰めていくと、絵コンテの意図やカットの「決まり」------例えば、その決めのカットに向けて気持ちよい流れを作れているかどうか------といったところが追い付いていかなくなるんです。
情報としては全部そろってから判断した方が楽なのは確かです。でも、途中経過でちゃんと注意しておかないと、90%出来上がった後で「ごめん、カメラアングル違うわ」なんてことになったら、修正が大変になってしまう。だから、経験上、早い段階で五月蠅く思われても、意図をなるべくアニメーターに伝えて直してもらうようにしています。今まさに、その作業を始めているところです。
●CGアニメが浮き彫りにするアニメ業界の人材問題
――作画アニメではレイアウトを描ける人が足りないというのはよく聞きます。業界全体の課題ですね。
水島:特に最近は、3Dを使える人が増えてきて、レイアウトも補助的に3Dで作るようになってきています。そうなると、作画担当者がレイアウトを描かなくても済んでしまうケースも増えます。すると、そういった作画担当者はレイアウトを描く能力がどんどん低下していってしまう。
アニメーターの中でも、「キャラクターを描きたい」という人も多いんです。だから、3Dでレイアウトを用意してもらえると楽なんです。でも、本当は空間把握のセンスを身につけないと、味気なかったり、まとまっていないひずんだ絵になってしまう。そこの技術やセンスを身につけないと、説得力のある作画には結び付かないんです。
そういうスキルを学ぶには、良い師匠につくとか、周りにうまい人がいて、その技を盗んでいくしかない。最終的には独自のセンスに因るので、教えられるものではないんですよ。僕もこうやって口では偉そうなことを言ってますけど、実際の絵としては全然描けません(笑)。でも、ありがたい事にうまい人の作り出す映像とそのプロセスをたくさん見て来れたから、うまい絵と下手な絵は見分けがついちゃう。
だからと言って、僕自身が下手な人をコントロールしてうまい人のレベルまで近づけられるかというと、それは無理です。
つまり、演出をしていると、常に「うまい人にどうやって参加してもらうか」というジレンマに直面するんです。昔は同世代の優秀なスタッフがたくさんいて、みんなでワイワイ言いながらガーッと勢いで作品を作っていました。でも、彼らはもうベテランになってしまってメインスタッフとしてそれぞれの現場を引っ張る立場にある、僕自身もキャリアを積んでしまったので、若い人たちは僕に遠慮してしまうこともあるでしょう。そうなると前と同じ感覚では作れなくなったなと実感します。だから若い人たちだけで新しいと感じる面白い作品を作っているのを見ると、うらやましいし輝いて見えます。その映像のアプローチにも、世代間ギャップを感じますね。
キャリアを積む中で制作がだんだん難しくなっているな、と思っていました。でも、楽園追放で3DCGを使ったときに、レイアウトやキャラクターの演技などを分業制で制作することで、逆にコントロールしやすくなることに気づいたんです。3DCGでの制作は、僕に向いているやり方なのかもしれない、と当時思いましたね。
――レイアウトという観点だといかがでしょうか? 庵野監督がモーションアクターやスタッフの方にいろんなカメラアングルを試してもらっていたのが印象的だったのですが
水島:庵野さんはあのやり方を試したかったんだろうなあ、と感じました。その徹底っぷりにここまでやるのか!」と驚きました。庵野さんのこだわりを見ていて、庵野さんはもう自分で思い付くアニメ的なレイアウトは全部やり尽くしたんだな、と感じました。アニメとしての外連味とか、レンズの使い方とか、全てを極めたんだと思います。
アニメーションならではのダイナミズムって、正確に数値化できるものではないんですよね。やはり個人の生み出すセンスの塊なんです。そういったセンスあふれるアニメーターが挙(こぞ)ってこそできることなんです。
庵野さんはご自身でカラーを立ち上げて自分の作品を作っているわけですし、エヴァンゲリヲンですから、これまでとは違ったアプローチで新しいことに挑戦しなければならない気持ちがあったんだと思います。それにしたったあの方法論はすごいですよ。僕には逆立ちしても思い至りません。しかも「すごいな、これで映画を作るんだ!」とメイキングを見て思っていたら、結局ほとんど使っていないと聞いて更に驚きました(笑)。それでも、あれを実際にやったということが庵野さんにとっては重要で、そこから何かが生まれたのは間違いないと思います。
本当に僕ら凡人には到底思い付きもしないし、かかる予算を考えたら...(アニメなのに)あの規模のミニチュアを作っていましたからね。本当にすごいです。
(参考:「EVANGELIONミニ人類補完計画」in スモールワールズのプレスリリース)
――3Dレイアウトについては、最近SNS上で「正確すぎて良くないのではないか」という意見も見られるようになりました。
水島:そこもセンスですね。レイアウトの決め方、極端な例だと、レンズのひずみを意識した加工ができるかどうか、とか。楽園追放は3DCGでレイアウトを作っていますが、「レイアウトがきつい」なんて言われていません。SNSでよく話題になるのは、カメラの置き方、アングル、レンズ、つまりは幾万とある実写映像や人の見た主観のイメージを把握せず、漠然と絵面を作っていくと中途半端な絵になってしまうということです。それはレイアウトを決める人のセンスの問題なんです。
――カメラの知識を備えた作画担当者が減っているということでしょうか?
水島:というか、普段自分が見ているものに対する意識が薄いんだと思います。演出に限って言えば、アニメーター上がりの演出家や監督は、その意識を持っている人も多く、必要な絵作りの為のアングルやレンズは安定しています。そういう人が管理していれば大きな問題にはならないですが、それでもキャラしか興味がないと散々です。更に最近は、テレビシリーズでも3Dレイアウトを使うことが多くなっていて。3Dレイアウトはうそがないですからね。漠然と配置しても何となくそれっぽさは出せます。そうなるとレイアウトを決める演出のセンスに左右されて、その演出にセンスがないと、微妙な、おかしな絵になってしまう。
つまり、良い作画スタッフが育っていないのと同様に、演出も育っていないんです。作画もそうですが、演出もレイアウトを切れない人が山ほどいます。良いアニメーターと一緒に仕事をするとか、自分なりに「この人のレイアウトかっこいいなあ」というところからセンスを磨いていかないと、絵心がないままフワッと演出になってしまったりするんです。それでも結果的に良い作品になっているとしたら、それは(演出ではなく)だいたい作画監督の力です。
アニメ業界って、人を育てるプロセスが欠落していると感じます。レイアウトに限らず必要なスキルを身につける力を育てるような教育がしないまま、いきなり実戦投入されてしまっている。センス以前にそう行った必要なスキルを身につける為に、「先達の背中を見て盗め!」という根性論ではなく、統計立てて育成するシステムをスタジオ単位ではなく業界全体が考えないといけないですし、その方向には進んでいるとは感じます。が、作品数が増える中でなかなか追い付いていないのが実情。
制作的には慢性的な人材不足が叫ばれる一方で、海外配信の影響もあって日本のアニメーションへの注目は高まる一方で、ビジネスサイドではスポンサーを集め、企画を成立させる力を持つ企画プロデューサーはたくさん育っていて、受け皿である制作スタジオを常に探している。そのビジネスに乗って小さな会社が野心を持ってその仕事を受けたり、その為に新しい会社が設立され、結果、作品数が増える。別に業界全体で横のつながりが強い訳ではないので、蓋を開けてみると思った以上に人が集まらない。でも作らないといけないのでチャンスを与えるという大義名分で多少スキルに不安があってもどんどん起用する。監督、キャラクターデザインに限らず、各話の作画監督や演出といった作品の要のスタッフもそうなってます。
僕から見ても「え? あの人が? 大丈夫なの......?」と思っている人が、あるときポンッと要職になって、作品を見てみたら散々なものになってしまっていたり、一緒の作品を作った人で、この人ならすごいフィルムが見られそうだと期待していた人が現場に恵まれず心が折れたり病んでしまったり。コロナの影響や世代感ギャップもあり過渡期だと思いますが、スタッフの確保や労働環境整備、クオリティー管理は難しくなっていると思います。
10年くらい前に、僕が「アニメの本数を半分にすればいいのに」とTwitterで呟いたことがありますが、今でも何年かごとに引用RTなどで話題になりますからね。
――先ほど、CGだと工程が比較的整理されていて、リテイクも効率的に行えるというお話がありました。作品数が増えた中で、CGで作ることの意味は10年前に比較してもさらに重くなっているように感じます。
水島:作画の場合はアニメーターの個人スキルに依るところが大きくて、上がってきた内容に対して、自分が思っていたプランに合わない場合は「うーん??」と解釈を曲げながら、シークエンスで意図的に納得できる形に調整していくようなアレンジ、そんな頓知のような作業が多いんです。
――頓知、ですか(笑)
水島:はい(笑)。さも最初からそう思っていたかのように、調整してしまうんです。でも、どうやってもそこで描くべきこちらの意図に合わない場合は、リテイクとしてアニメーターに戻します。あるいは、作画監督に「助けて!」と泣きついて、ラフを入れてもらうこともままあります。絵コンテからの読み取り能力や、アニメーターがそれを理解して描いているかどうかで、結果は全然違ってきますね。
一番の問題は、時間なんです。そもそも、アニメーターにリテイクを出すのを制作が嫌がったりもしますから。そこを演出がキチンとコントロールしないと、作画監督が絵コンテから独自に読み取った情報を元にその人のセンスでなんとかするしかない、ということになります。皆が見るのはその結果の映像ですから、そのプロセスを知らずに出来上がった作品を何度か見ると、「この演出、いいじゃん!」なんてことになってしまう。いや、その演出、何もやってないんですけどね!(笑)
逆もあって、演出がめちゃくちゃいい絵を入れて、しかも作画上がりの人だったりすると、作画監督修正みたいなものも入っていたりする。すると、作画監督がただそれをなぞるだけだったりしてほぼ仕事をしていないのに、「あの作画監督、すごいな」ということになってしまう。
――CGだと、工程と役割分担が比較的明確ですよね。
水島:そうなんです。CGアニメーションの制作はシステマチックというか、ファクトリー化されている。皆が同じモデルを使い、同じツールで絵作りをするので個人技によらない部分が大きい。ですので作業に於ける責任の所在が明確なんです。だから、分かってくるとやりやすいですね。
●「心のレゾナンス」では何が描かれるのか?
――クリエイティブのお話から、業界の課題までいろいろと伺ってきましたが、最後に本作のテーマについて聞かせてください。
水島:基本的には前作同様、「人を人たらしめているものとは?」という大きなテーマを扱っています。虚淵くんが続編を書ける、と言った突破口も、そこにあるんだと思います。前作で提示したものを、さらに掘り下げていくような形になります。
今、AIに注目が集まっていますが、AI自体を悪く捉えたり、AIが人の仕事を奪うといった視点で、「AIが人とどう違うのか」みたいなところに触れていこうとすると、それは前作と同じ話になってしまうし、AIについてあれこれ言うのは今はやめておいた方がいい、という風潮すらありますよね。短絡的にアンチAIに結び付けてしまう人がいるのは間違いないので。
――そういった先入観や短絡的な捉え方とは対照的に、映画は時間を掛けて集中して、テーマを掘り下げてもらえるのが良い面でもありますよね。
水島:そうですね。まあ、SFでいえば手垢の付きまくったテーマではありますが(笑)。何か新しいかというと実はそうではなくて、めちゃくちゃ普遍的なテーマなんです。10年たってテクノロジーも進化したし、実際AIも進化した。そういう中で「AIと人間、その差はどこにあるのか?」というテーマをど真ん中に据えた「BEATLESS」(原作:長谷敏司)というアニメも作りました。何か、僕がやりたいと言っているわけじゃなくて、そういうテーマの作品が僕のところに来るんだな、と(笑)。延々とこのテーマを扱っている感じがしますね。「機動戦士ガンダム00」のティエリア・アーデもそうでしたし。
――(笑)。
水島:「人間とは何か?」というのは、僕の永遠のテーマというよりは、ずっとついて回るテーマですね。「人間一人一人はそれぞれ個性があって、全く違うものだけれども、何だか『身体』っていう器には入っている」。極端にいうとじゃあ、動物が人の言葉を理解していて、人と同じ言葉を喋ったら、それは動物というよりも人間なんじゃないか? ということと同じなんです。
今、介護ロボットとかいろいろ出てきていますが、AIを搭載してどんどん賢くなり、アルゴリズムによって人に近い反応をするようになってきていますよね。その延長線上に、SF的にはとっくの昔に人と全く同じだけど機械、という存在はいました。「銀河鉄道999」だって、機械の体を手に入れるために999に乗って、機械伯爵が出てくるわけです。
連綿と続くそういった物語の中で、今、僕たちが何を描き出すのか。虚淵くんは、先人とは違う形でそのテーマを掘り下げることができるんじゃないか、という確信があったんだと思います。それが今回のストーリーになっていると、僕は理解しています。
――確かに、AIは手垢のついたテーマでありつつ、これまでSFの世界で描かれてきたような生成AIが実用化されたことで、物語に新たな要素が加わるのではないか、という期待があります。
水島:はい。ただ、それは結局「器」が違うだけで、中身は人間と変わらないわけです。この作品で言うところの「マテリアルボディ」に人工のデータを入れて、人間と同じ振る舞いができたら、それを人間と見分けることはできません。人間がずっと恐れているのは、人間とよく似たものに社会全体を乗っ取られることです。
時代の空気に合わせて物語の方向性を決めるという意味では、世の中がディストピアを描く方向に振れているのであれば、逆にユートピア、つまり機械と人間が共存できる世界をカウンター的に描くという選択肢もあると思います。作り手として、バランスをどう取るのか、ということは常に考えていますね。
ゼロベースで新しいものを作るというのは、よほどの天才じゃない限り難しいでしょう。虚淵くんのようにブレークスルーを見つけられる人が新しい物語を思い付いて、僕らが驚くような何かを提示してくれることを期待しています。
――ディストピアかユートピアか、という観点から見ると、本作はどちらの方向になりますか?
水島:タイトルが楽園追放であるように、「楽園とは何か?」という問いを突き詰めていくと、前作同様「人によって価値観は異なる」という結論に至るでしょう。険しい道であっても、本当に自由でいられるのか? 自分で選択できるのか? あるいは、管理された社会で、安全と生活が保障されている空間で生きていくのか? どちらが幸せか、どちらがあなたにとっての楽園か? という問いは、本作でも重要なテーマです。
ディストピア側は、さらに権力が強まっています。しかし、そこで自分が(社会的に)上の立場になることで、優位な立場を得たいと考える人たちも当然います。そして、実際にそれが可能な世界でもあります。でも、それは今の社会でも、同じことがいえるのではないでしょうか。
――それをディストピアととるか、ユートピアと採るかはまさにそれぞれの価値観なのですが、それらがまさに分断されていて、互いに分かり合えない、というのも現実と地続きの話でもあるように思えます。
水島:現実の世界では、まさにその対立構造を煽っている人たちがいます。そして、その対立構造を作ることで利益を得ている人たちがいるのも事実です。それは、時間の経過も関係しているかもしれません。
――少しポストモダン的な話になりますが、本来は議会制民主主義のように、社会をうまく回すためのシステムがあるはずです。しかし、そのシステムをうまく活用しようとし続けた結果、逆方向にシステムが暴走したり、ほころびてしまっているのかもしれません。
水島:本当の意味での「バランス感覚」を失ってしまった人が多くなってしまったと感じます。そして、それをカリスマ性や権威で抑え込んでいた人たちが亡くなってしまい、崩壊がすごい勢いで始まってしまった。でも、当事者たちはそれに気づいていない。僕たちが描く物語よりも、現実の方が茶番劇のようになってしまっていると感じますね。
――「中の人がそれに気付かない。ある種の身体性というか、現場感覚が喪失してしまっている」というのは、まさに楽園追放で描かれたことでもあり、私たちの現実にも通じるものがあります。だからこそ、この物語には重要な意味があると感じます。
水島:そうですね。描くべきテーマだと思います。自分自身もこういう作品を作るようになるとは想像していませんでしたが、作品自体が時代を映す鏡のようなところがあります。一緒に作品作りをする仲間や友人と話していく中で、自分が持っていなかった視点を手に入れることができたのかもしれません。社会において、どういう立場にいて、何を見て、何を判断しているのか、ということも含めて、作品に生かさないといけないと思っています。「機動戦士ガンダム00」のときにもインタビューで同じようなことを答えましたね。
戦争を描くことを考えたときに、戦争が起こるメカニズムを理解する必要がありました。自分よりもはるかに頭が良くて、世の中を知っている竹田青滋(青は旧字体)さん(毎日放送エグゼクティブプロデューサー)たちと話をする中で、どういうスタンスで自分が戦争と政治を語り、作品に落とし込んでいくのかを考えました。庶民である自分が得られる情報は限られていますが、そこから見て、政治や社会、戦争というものを、自分が学べる範囲で理解しようと努めました。
「戦争の中で若い男女が引き裂かれて...みたいなのは、もう『ガンダムSEED』でやったから、同じことをやってもな」と(笑)。アニメには珍しい報道出身で、現実とフィクションの境界線を予定調和にしない竹田さんに鋼の錬金術師に続き呼ばれたということは、戦争をちゃんと描けということだな、と覚悟を決めて、社会を見る目を更に養おうとしたんです。
楽園追放の話をもらったときも、最初に楽園にあたるサイバーワールドをどう描くか、地上との対比をどうするか、といったことを虚淵くんとよく話していました。最初はもっとサイバーワールド寄りの話になるかな、と思っていたら、すぐに地上に降りていたのでびっくりしました。それは、当時の3DCG制作のリソースの問題に起因していて、野口プロデューサーからキャラクター数の制限などの話が出ていたからでした。そもそも当時は珍しいオールCG制作を目指したチャレンジな企画でしたし、そこまで潤沢な予算感ではなく、OVAブランドの予算で制作していたので、リスクの大きい、大人数やスケールの大きなシチュエーションはできなかったんですね。それで絞り込んでシンプルにした結果が、前作のパッケージでした。今回は劇場版の予算ですし、経験は積めているので、スケールアップしています。
そういう中で描いた社会性というのは、僕自身にもすごくあっていて。
――楽しみですね!
水島:前作から何十年もたっていて、アンジェラが起こした行動がディーバにも地上にも影響を与えている...そんな世界のお話です。先ほど言ったように、テーマは引き継ぎつつ深掘りしていくようなアイデアを虚淵くんが考え出してくれました。そして、活劇としても前作よりスケールアップしたものを描いています。それが今回の作品です。
――うまくまとめて頂いてありがとうございます(笑)。本日は貴重なお話をありがとうございました。26年の公開を心待ちにしています!
(C)東映アニメーション・ニトロプラス/楽園追放ソサイエティ2
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