
今回の投稿者さんは、現役の教員だと言います。クレームばかり言う保護者がいて、学校がイヤになってしまうと嘆きます。
『子どもたちと過ごす時間は楽しいのですが、保護者からのクレームがときに大きな負担で……。心ない言葉が思い出されて、土日もゆっくり休んだ気になれません』教育現場に立つ教員たちの大きな悩みの一つが、いわゆる“モンスターペアレント”の存在です。正当な意見の枠を越え、過剰なクレームや無理難題を学校側に突きつけてくる保護者たち。その言動が、教員の心と時間を蝕んでいるといいます。
ママの周りのモンペたち
「気持ち的には学校に弁護士と警官を常駐させたいくらい」と投稿者さん。ママスタコミュニティで語られる体験談を見てみると、保護者による行き過ぎたクレームの実態は想像以上に深刻な模様です。
『子どもの同級生の親が教師だったけれど、その人自身がモンスター並みにクレームを入れていた。本人は「配慮しない教師が悪い」と真顔で言っていた。みんなドン引きだった』
『帰り道が1人になるから「学校が責任を持って家まで送れ」と要求したママがいた。暇そうなのに、自分で迎えに行かない』
『うちの子の部活の保護者にもいる。練習内容や練習時間にもうるさく口を出す。どちらかと言えば緩い部活なのに。親にも情報を細かく共有してほしいとうるさい』
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実際に、あまりにもひどい保護者には「警察を呼ぶべき」「録音して記録を残すべき」といったママの声も上がっており、学校が本来の教育活動以上の対応を求められている現状が垣間見えます。
なぜ親は“モンペ”になってしまうのか
モンスターペアレントが生まれる背景には、社会の変化や親側のストレス、教育観のずれなど、さまざまな要因が絡み合っているのかもしれません。
『友人は教師だったけれど、モンペは休みの日でも、自分都合で連絡してくると言っていた。子どもが大変なときに、と興奮してキレるのだって。子どもを持った責任から逃げたい親が、クレーマーになるのではないのかな』
『要望が通ってしまうと、親側は“言えば変えられる”と思ってしまう。昔は「何言っているのだ」と止める人がいたけど、今は誰も止めない』昔は特別な存在だった学校の先生。親たちはみな、先生を信頼するところからはじまっていました。でも現代社会では「教師は何でも応えるべき存在」という誤った認識にかわってしまったのかもしれません。ママが子どもを思う気持ちが、いつの間にか攻撃性にかわる前に、互いの立場を尊重し合える関係づくりが必要です。
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“クレーム”か“意見”か、その線引きは?
難しいのは、保護者の声が常に理不尽とは限らない点です。たとえば担任の態度があまりに冷たく、子どもが精神的に追い詰められてしまった場合、保護者がその旨を伝えること自体はごく自然な行為です。ですが、その伝え方によっては「クレーム」として受け取られてしまうケースもあります。
『子どもが落ち込んでいたことを、やんわりと先生に伝えたら、これでもかというくらい「おっしゃる通りでございます。私が悪うございました。今後一切怒りません」とこちらをクレーマー扱いしている過剰な謝罪文が返ってきて驚いた。そのようなつもりではなかったのに』
『義母が教師なのだけれど、保護者の意見をすべて「クレーム」と捉えている。「本当にうるさい。はいはい、あなたが正しいですよと言っておけばいい」と笑いながら言う』このような例を見ると、受け取る側の教師によっても意見が攻撃にすりかわってしまうこともあり、関係がますます悪化してしまう構図が浮かび上がります。たしかに教員側が常に完璧とは限りませんし、ママたちが“おかしい”と感じた対応が、実際に問題を含んでいたケースもあります。もちろん教員側にも、向いていない人がいたり改善すべき対応があったりするのでしょう。しかしそれと「無茶なクレーム」を混同してはいけません。
教師側の「過剰適応」と教員離れ
「モンペ」への過剰な対応が、教員の燃え尽きや精神的な疲弊、さらには教員離れの原因にもなっているとママたちは考えているようです。
『教員志望者が減っている今、悪循環の連続で、まともな教師も続かなくなる』教育という現場の性質上、すべての声に耳を傾けようとする姿勢が教師には求められるのではないでしょうか。でも教師もひとりの人間。あちこちからクレームを入れられては、混乱することもあるでしょう。過去に教師をしていたママは、「保護者の正当な意見も素直に受け入れる先生ってかなり数少ないと思う。注意されたら病んじゃう、辞めちゃう人がいると思う」と現場の様子を教えてくれました。
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クレーマーを生まない仕組みと社会の理解を
解決策の一つとして、学校外の第三者を介入させる仕組みが必要なのではと考えるママたちもいました。
『クレームは学年主任などが立ち会い、録音・記録を残す。保護者のクレームが常識の範囲内か第三者が見分けられるように。その場を録画できる教室で対応すれば、行き過ぎた言動も抑制される』
『民間では、無茶なクレームをはっきり拒否する方向になってきている。学校も、ある程度線を引く必要があると思う』また保護者自身も「子どもを守るため」という目的が、知らず知らずのうちに“攻撃”になっていないかを振り返る必要があります。たしかにすべての教員が素晴らしいわけではないでしょう。けれども、感情に任せて過剰な言動を繰り返せば、追い詰められて辞めてしまう先生が増え、最終的に困るのは子どもたちです。
クレーマーと呼ばれる親たちの背景には、さまざまな思いがあるのでしょう。けれども、教育現場において「対話」が崩壊してしまっては、何も前に進まないのです。誰の尊厳も心も傷つけられることがないよう、社会全体で学校という場への理解と対策が求められているのかもしれません。