
「色んなバイトでのミスや習ったことは、役を演じる時に役立っています。体験したことの難しさや楽しさは僕の特性的に忘れないから。諦めの悪い俳優を目指していきたい」
そう語る小籔伸也さんは、軽度知的障害がある。IQは53。落ち着きがない、待てないなどの特性が見られるADHD(注意欠如・多動症)や対人関係やコミュニケーションに困難さがある自閉スペクトラム症でもある。
そうした自身の特性を受け入れ、小籔さんは現在、俳優として日々、演技力を磨く。
重度障害者の母親を支えた幼少期
小籔さんは母子家庭育ちだ。重度の視覚障害者だった母親は、手足や顔などの筋肉が徐々に痩せていく「筋萎縮性側索硬化症(ALS)」でもあった。ヘルパーがいない時、小籔さんは家事をしたり、母親の外出に付き添ったりと献身的なケアをしていたという。
|
|
ただ、発達障害の特性からか、相手の話を最後まで聞かずに自分の話をしたり、思い込みが激しくて誤解を招いたりし、母親とギクシャクすることは多かった。会話が上手く噛み合わず、母親から「人の話聞いてない」や「人としてちゃんとして」など、厳しい指摘を受けることもあったという。
学校は小中高すべて普通学校へ通学。幼少期、小籔さんは自身が知的障害であることを知らなかったからだ。小3の時には数ヶ月、特殊学級に通ったが、しばらくして普通級に戻ることになったという。
「中学校ではほとんど誰とも話さなかったし、修学旅行も体育祭などには参加しないし、今思えば問題児だったかも。当時は障害を自覚していなかったので、サポートやケアを受けるなんて考え方がなかったです」
ただ、高校受験の時には担任に面接の練習を頼んだ。放課後に志望動機を一緒に考えてくれ、勉強も個別で教えてくれた担任の優しさに小籔さんは救われた。
高校生の頃に軽度知的障害が判明して…
自分が知的障害者であることを知ったのは、高校入学後だった。顎の手術を受けるため入院した際、知能テストを受け、診断が下りた。
|
|
小籔さんはまさかの診断結果に驚き、療育手帳を持つことに抵抗を感じた。ただ、幼少期に勉強や運動についていけなかったことやミスが多くてよく怒られたりしたことなど、自分がおかしいのでは…と思ってきた経験が多かったことが腑に落ちたという。
当時、声優を夢見ていた小籔さんは18歳の頃、声優専門学校に通うため上京。ひとり暮らしをスタートさせた。実は知的障害者でひとり暮らしをしている人の割合は非常に少なく、平成25年度の内閣府調査ではわずか4.3%であると報告されている。
小籔さんの場合は軽度知的障害であり、幼少期から家事を行っていたため、ひとり暮らしができたのだろう。
「大変だったのは、お金の管理と自炊。母親の身の回りをサポートしていたことが役に立っていると感じるので、母親に感謝です」
ただ、上京後は働き方に悩んだ。専門学校に通いながら、新聞配達やパン屋、コンビニ、ネットカフェ、料亭など様々なアルバイトを経験したが、どれも上手くいかず。会社にある備品の名前や場所をすぐ覚えられず、思い込みや勘違いでミスをして怒られる日々だった。
|
|
「従業員の名前も覚えられないし、人の話を最後まで聞かないで勝手に作業を始めるので注意されていました」
上手くいかない日々の中で小籔さんは、「健常者を目指すのは諦めよう」と落ち込むようになっていく。
「障害者でも芸能人になってもいい」と気づいて俳優の道へ
そんなある日、未来を変える気づきを得た。テレビを見ていた小籔さんは、ダウン症がありながら女優として活躍する人がいることを知り、衝撃を受けたのだ。
障害があっても芸能人になっていいんだ…。そう思い、すぐさまネットで障害者専門の芸能事務所を検索。興味を惹かれた知的・身体障害者専門アヴニールプロダクションに応募し、見事合格を掴む。
入所後には母親を亡くすという辛い現実に直面したが、なんとか心を立て直し、様々なレッスンを受けたり外部の小劇場に出演したりと精力的に活動。その中で膨らんだのは、俳優業への憧れだった。
「初めて外部の小劇場で軽度知的障害者の役を演じた時には、たっくん(演じた役)の生い立ちや家庭環境や気持ちが見えてきて、初日の本読みで泣いてしまいました」
感情移入し、役に成りきる小籔さんの演技は見る者を引き付け、絶賛の嵐だったという。
その後、小籔さんは舞台や映画に出演。2024年には、TBS金曜ドラマ「ライオンの隠れ家」にゲスト出演をした。
「演じることで大切なことはまだ分かっていませんが、大切にしたいことは言葉に責任を持つことです」
そう話す小籔さんは、似た境遇の人に夢を与える俳優となるはず。今後は、2025年7月4日(金)公開予定の映画「おっさんのパンツがなんだっていいじゃないか!」にも出演する。心まで役に成りきる彼の演技に注目したい。
(まいどなニュース特約・古川 諭香)