軍歌は国をあげてのエンタメだった!? 新たな史観を提示する新書『日本の軍歌』を読む

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2014年10月29日 17:10  リアルサウンド

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辻田真佐憲『日本の軍歌 国民的音楽の歴史』(幻冬舎新書)

 大阪の私立幼稚園が、園児に教育勅語や五箇条の御誓文を暗唱させ、君が代や軍歌を合唱させるといった極めて保守的な愛国教育を施していることが話題になっている。個人的には右も左も極度に偏向したイデオロギーにはゲンナリなのだが、それはひとまず措き、どんな軍歌が選ばれているのか見てみよう。


 YouTubeにアップロードされている動画では、「同期の桜」「日の丸行進曲」「愛国行進曲」などが歌われていた。その他行進には「ラデツキー行進曲」が使われていた。また、ジャニーズの忍者が1993年にリリースした「日本」(秋元康作詞、三木たかし作曲)も歌われていた。春夏秋冬、季節のごとの自然や風物を賛美して「ああ日本、ああ日本、この国に生まれてよかった」と歌うたわいない曲だ。


参考:『親のための新しい音楽の教科書』は教科書にふさわしいか 先生、西洋音楽ってイケナイものなの?


■官民がしのぎを削った軍歌ビジネス


「同期の桜」は実は替え歌である。そもそもは1938(昭和13)年に『少女倶楽部』(講談社)に発表された「二輪の桜(戦友の唄)」という、西条八十作詞、大村能章作曲の女子向け軍歌(!)だったものが、海軍で替え歌にされ広まり定着した。「二輪の桜」では「君と僕とは 二輪の桜」というBLチックだった歌詞が、「貴様と俺とは 同期の桜」と変えて歌われたのである。軍歌にはこれ以外にも替え歌が多い。


「日の丸行進曲」は大阪毎日新聞と東京日日新聞が同じく1938年に公募した懸賞歌。「愛国行進曲」は1937年、内閣情報部が詞曲ともに公募した「国民精神総動員運動」のためのキャンペーンソングである。


 軍歌の歌詞公募は日清戦争の頃に始まったが、日中戦争から第二次世界大戦にかけての時代、メディアと国が公募合戦にしのぎを削り、ヒット曲を生み出すことに血道を上げる最盛期を迎えた。この時期の軍歌の特徴は、著者によれば、民間メディア主導(「露営の歌」など)、官庁主導(「愛国行進曲」など)、放送局(今のNHK)主導(「海ゆかば」など)の3タイプを機軸に作られたことだという。


 従来の史観では、日中戦争からの軍歌ブームは、「検閲制度や軍部の暴走など「上から」の統制強化で説明されてきた」が、そうではないのではないか。「メディアやレコード会社の時局便乗、音楽評論家・作詞家・作曲家たちの生き残り戦略、娯楽を求める国民の欲望など、様々な当事者の複雑な利害関係」が一致したところで生じた現象だったのではないか。


 軍歌は、日本国中、官民あげて入れ込んでいたエンターテインメント・ビジネスだったというのが著者の見方だ。件の幼稚園について著者はTwitterで「軍歌というのは商品であって(…)別に文化でもなんでもないです。この幼稚園も宣伝のために軍歌を使っているという意味では、軍歌は「愛国」を看板に掲げたビジネスと相変わらず馴染みがいいんだと思います」と述べている。


■軍歌はグローバルな音楽


 本書は軍歌の歴史を扱ったものだが、独特な視点が二つある。一つはいま触れた「軍歌は政治的エンタメビジネスだった」という視点、もう一つは、グローバルな観点から日本の軍歌を考えるという視点だ。


 1885(明治18)年の、そのタイトルも「軍歌」が日本初の軍歌として据えられているのは、この第二の視点ゆえだ。「軍歌」の作詞はのちに東京帝国大学総長、文部大臣となる外山正一、作曲は文部省音楽取調掛長でやがて東京音楽学校(現在の東京芸大)校長となる伊澤修二。バリバリのエリートたちによって作られたものだったわけだが、外山がこのとき規範としたのは、フランスの「ラ・マルセイエーズ」とドイツの「ラインの護り」だった。どちらも国民統合のために作られた軍歌であり、これらを参照して、「国民」というアイデンティティをまだ持つにいたっていなかった日本人を、戦うという意識において統べるべく作られたものが「軍歌」だったのである。


 前回取り上げた若尾裕『親のための新しい音楽の教科書』とも関係するが、伊澤修二は、音楽教育に西洋音楽の導入を推し進めた当の人物であり、西洋音楽は、日本人に「国家と国民」という意識を植え付けることを主な目的とするツールだった。唱歌と軍歌はどちらも国民統合を目的としていた点で似たものであって、事実、唱歌には軍歌が少なからず含まれていた。


 逆に、日本の軍歌が他国へ流出して根付いた例も紹介されている。日清・日露戦争後、日本の軍歌は、植民地となった朝鮮ほか東アジアに広まっていった。北朝鮮では現在も、当時伝わった「日本海軍」の替え歌が、金日成の作詞作曲した不朽の古典的名作として残っているという。


「北朝鮮だけではなく、韓国や中国にも、同じような替え歌が少なくない。日本発の音楽が、ここまで影響力を持ったことはかつてなかっただろう」
「軍歌は民族精神の結晶などではなく、グローバルな規模で流通し消費される創作物だった」


 日本帝国時代、東アジアには日本の流行歌が流布していったが、軍歌もまた同様の、あるいはそれ以上の流行歌だったということだろう。


■軍歌を「エンタメ」として解放する


「政治的エンタメビジネスとしての軍歌」「グローバル音楽としての軍歌」、この二つの視点を軸にして、1885年の日本初の軍歌である「軍歌」の誕生から、日清・日露戦争時の第一次軍歌ブーム、大衆文化が盛んになり下火になった昭和初年前後、日中戦争から第二次世界大戦へと差し掛かるとき再び一大エンターテインメントに返り咲いた第二次軍歌ブーム、そして終戦を前についに命脈を終える栄枯盛衰の歴史を、楽曲それぞれや時勢に付随したエピソードをふんだんに盛り込みながら描き出したのが本書ということになる。


 詳述される歴史的事実を見ている分には、一風変わってはいるものの、軍歌の通史を概説した新書だし、そういう理解でも別に構わないといえばいえるのだが、それに留まることを拒むようなメッセージが全編を通じて強調されている点に特徴がある。


 著者は、いま軍歌を取り上げる意義についてこう述べる。


「今日もし「軍歌」なるものを取り上げることに意味があるとすれば、それは現代社会の問題と接続することでしかあり得ないのではないか」
「「エンタメ」と捉え直すことで、軍歌は床屋政談や音楽史研究の一隅から解放され、眼前の「政治とエンタメ」の関係を考える上で豊かな先例となってくれるだろう」


 つまり、アニメや漫画などと同列の趣味に並べてしまうことで、軍歌にまつわる政治性を解体し、イデオロギー争いの具であることから引きずり下ろすこと。あるいは、先の幼稚園のような今日の政治的エンタメ利用に対し、歴史を踏まえた適切なリテラシーを備えることが、軍歌の歴史を描く理由として前面に出されているわけだ。


 たとえば仮に、あくまで仮にだが、右傾化が憂慮される安倍政権が、AKB48やEXILEを使って新しい「軍歌」を歌わせたとき、われわれはどう対峙すればいいかというようなことである。


■「ただの軍歌史ではない」ことのリスク


 著者の辻田真佐憲は1984年生まれだから現在30歳、執筆の時点ではまだぎりぎり20代、その年齢で軍歌歴20年というから相当なマニアあるいはオタクだ。軍歌を相対化して現在に繋げるというこの論理にはやや後付けな感じがしないでもないのだが、それでも好きが高じた果てで辿り着いた結論であることに間違いはないのだろう。


 ただ、ちょっと諸刃の剣かな、という気がするのだ。


 仮に安倍ちゃんがニュー軍歌制作に邁進しだした場合、往時のような国を挙げての熱狂に突き進むのを避けるにはどうすればいいか、といったことに関して、具体的な処方を示すまでにはいたっていない。本書の論調を展開すれば、そのあたりを詰めることが課題となっていかざるをえまい。


 今後懸念されるかもしれない事態に対する抑止力となることをこうまで強調する以上、「で、実際のところどうすればいいわけ?」という突っ込みに、それ相応の回答を用意する必要が、遅かれ早かれ出てくるだろうということだ。


 現実的に考えれば、イデオロギーに突き動かされた熱狂というのは、論理などでたやすく制御できるような質のものでない。歴史を振り返るまでもなく、今日でも周囲を見回せば例はいくらも転がっている。


「ただの軍歌史ではない」と付加価値をつけることは、そういうリスクを裏腹にはらむのではないかという懸念が湧いてしまったということだが、まあ、深読みではあるし、言論にそこまで実際的なパワーを求めることもまた現実的な話ではないといえばそれまでの話だ。


 そういった若干の引っかかりはあるものの、何しろ20年分の蓄積を存分にぶちまけた一冊であり、コンパクトな概説書がなかった分野なので、読んで損をするということはないはずである。(栗原裕一郎)



このニュースに関するつぶやき

  • 記事にある大阪の私立幼稚園にせよ、嫌中韓ネタに明け暮れるメディアにせよ、時局ビジネスという意味では同じですね。それにしてもこの私立幼稚園は酷いです。
    • イイネ!8
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