紀里谷和明、ハリウッド監督デビューを語る

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2015年11月13日 17:31  ニューズウィーク日本版

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ニューズウィーク日本版

『忠臣蔵』をベースにした物語を、架空の封建国家に舞台を移して描いた映画『ラスト・ナイツ』が11月14日に日本公開される。クライブ・オーウェン、モーガン・フリーマンなどの名優を起用し、権力と腐敗、高潔な主君の死と騎士たちの復讐を重厚なドラマで紡いでみせる。


『CASSHERN』、『GOEMON』に次ぐ3作目で、ハリウッドデビューした紀里谷和明監督に話を聞いた。


――あだ討ちの場面に至るまでの、主君と家来の関係を描いた前半が冗長に感じられた。


 実は、中盤にアクションシーンを1つ挟んでいた。たるいって言われるだろうなと思って。でもそうすると、主人公の気持ちの流れが途切れて見えた。いろいろ議論をした結果、最終的に僕の決断でカットすることになった。


 アメリカではアクション映画として宣伝されていたが、本当は人間ドラマなんです。


――なぜいま『忠臣蔵』なのか。これまでも映画でたびたび描かれてきた題材だが。


 まず『忠臣蔵』ありきではない。脚本を読んだらすごく面白くて、それがたまたま忠臣蔵をベースにした物語だったということ。そこには今の世界、特に先進国が抱える病が映されているように感じた。富と権力がすべてで、いろいろな策略をもって自分たちにそれが集中していくようにする。金融業界をはじめあらゆる組織やシステムがやっていることです。彼らが強大化していけばいくほど、民衆もそちらになびいていく。誰もがもっとモノを持たなくては、もっとお金を稼がなければならないと思い込む。


 あとはそれとは違う価値観の人たち、日本で言う「道義」や心の部分でつながっている人たちがいて、その両方が非常にシンプルに描かれていた。それは『忠臣蔵』だけでなく、世界中のあらゆる物語で語り継がれている一種の王道だと思う。


――完成した脚本があって、「撮りませんか」と話が来た?


 そうです。日本で撮影する英語劇の『忠臣蔵』ということで、登場人物の名前も大石内蔵助、浅野内匠頭、吉良上野介だった。素晴らしい脚本だったので「ぜひやらせてください」とお願いした。


 ただ世界の観客に見せるとなると「切腹」とか「武士道」とか、いわゆる様式美に落とし込まれてしまう危険性があった。そうではなくて作品の本質を際立たせるには、普遍的なものにしなければならないと考えた。であれば、黒澤明監督が『乱』でシェークスピアの「リア王」を翻案したように、置き換えをやってみようと。


――日本で映画を撮るのとハリウッドで撮るのでは、違いを感じたか。 


 ハリウッドのほうがね、食事がすごく豪華(笑)。でもそれくらいで、あまり違いは感じない。もともとPV(プロモーションビデオ)やCMを向こうで撮っていたし、ずっとアメリカで暮らしていたので。カメラがあって、照明があって、役者がいて......と、やっていることは同じだし、みんな同じ映画人だから。


「自分が思い描いていたスケールの作品を可能にしてくれたのがハリウッドだった」と、紀里谷は言う ©2015 Luka Productions


――3作目にしてハリウッドで撮るというのはすごいことのように思えるが、自分の中では特別な感じはなかった?


 特になかったです。ハリウッド映画とはそもそも何かというと、「世界に届けられるチャンネルを持っている」ということ。単純にシステムの話なんです。別にハリウッドで撮っているわけではなくて、世界中のキャストやスタッフたちと世界中で撮っている。


「自分はこういうスケールの作品を撮りたい」と思い描いていたものを、可能にしてくれたのがたまたまハリウッドシステムだった。それが中国だったら中国でもいいし、日本でやらせてもらえるなら日本でやります。


――アメリカなどではアクション映画として宣伝されたというが、観客には「忠義」や「高潔さ」といった部分は伝わったと思う?


 そこが褒めていただけたところだと思う。「Honor」の部分ですよね。


 例えば第二次大戦中のノルマンディー上陸作戦では18歳くらいの子供たちが、真実はどうであれ、自分たちが世界の自由を守る、そのためには命をなくしてもいいという気持ちで戦いに挑んでいった。


 それと同じことだと思う。大切なものを守るために、命を落としてもいいという気持ち。今はモノに執着するあまり、形のないものがないがしろにされている。「それは違う」という考えは中国でも韓国でも中東でも、世界のあらゆるところに存在しますしね。だからこの作品が伝えたいことも伝わるだろうと思っていた。


――自分で街角に立って名刺を配り、作品の宣伝をしている。あなた自身の発案か?


 そうです。『GOEMON』(09年)のときはチラシ配りをしたが、なかなか受け取ってもらえなかった。チラシは大きいからで、名刺なら受け取ってもらえるんじゃないかと思って提案した。


――そうした宣伝活動をする監督は少ないが、なぜそこまでしようと?


 映画が自分の子供だから。子供が病気で死にそうだったら、募金箱を持って外に立ちませんか? もちろん普通の宣伝活動もするし、CMを流したり、テレビに出演したりもする。とにかく1人でも多くの方に見てもらいたいから、自分にできることがあればやりますよ。


――モーガン・フリーマンから言われた一言に感動したそうだが。


 モーガンの撮影最終日だった。僕は撮影があまりに過酷で、肉体的、精神的にものすごく、これ以上ないってくらいに追い詰められていた。これが終わったらもう映画はやめよう、こんな苦しいことをなぜやる必要があるのかと思っていた。そうしたら休み時間に座っていた僕のところに彼がきてくれて、「自分はいろんな監督と仕事をしたことがあるが、君は大丈夫だから」と声を掛けてくれたんです。


 自分はダメだ、指揮官の資格がない、適していないと思って精神的に追い込まれている状態だった。でもモーガンにそう言われて、止めるのを止めよう、もっと続けようと思いましたね。とにかく嬉しかったし、救ってもらった。


 その時、「僕がもっと良い監督になるにはどうしたらいいか」と尋ねたら、「Listen」と。意味を聞き返しても、ただ「Listen」と言って立ち去っていった。いろいろな意味があると思うけど、あれこれ分析するのはやめた。


――かつて日本映画界を批判するような発言をして、映画が撮れなくなるほど立場が難しくなった時期もあった。


 言ってしまえば、個人の話ではないんです。『CASSHERN』の頃からそうだった。


「日本人だから出来ない」っていう言葉が、僕は嫌で仕方がない。外国の人たちが「日本は島国だから」「あいつら島国だから」なんて言うのは聞いたことがないし、もし自分に子供がいたら「おまえは日本人だからできない」なんて口が裂けても言わない。


 最初に僕が映画を撮ろうとしたとき、周りの人たちに「そんな作品を撮るのは日本では無理。ハリウッドじゃないんだからさ」と言われた。「だったら僕がやります」と、日本では言ってはいけないことを言ってしまったんです。


 04年に『CASSHERN』が公開され、アメリカからオファーがいくつも来て、エージェンシーと契約もした。それが今回の『ラスト・ナイツ』につながっている。あの頃から、僕の作品が否定されてもいいけど、こういうやり方でやってみればそんなにお金を使わなくてもいろんなことができるでしょう、という気持ちがあった。僕は映画業界のこと思っていたし、日本のことを思っていた。それは今も同じ。『ラスト・ナイツ』をやることで、日本でもこういうキャストで、こういう作品を作れるんじゃないですかと。少なくとも日本人だから出来ない、というのは違うと証明したつもりです。


 15歳からアメリカで暮らしているから、偏見や差別については分かっているつもり。黒人の友達やゲイの友達、自分も含めて周りの人間がどんな偏見を受けてきたかを分かっている。日本人は、自分で自分に偏見を持っているんだと思う。


 もっと世界に貢献できるのに、「日本人だから」と逃げている気がする。僕が『ラスト・ナイツ』を撮ることによって、その偏見が0.1ミリかもしれないけど変わる可能性があると思っている。


――次回作はどこで撮る?


 海外で。撮影場所はアメリカかカナダです。




大橋希(本誌記者)


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