ブラをするのはアジア人だけ!? ノーブラ・デーに考える複雑な女心と乳がん

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2017年04月26日 17:00  citrus

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7月9日は、「ナショナル・ノーブラ・デー」らしく、ここ数年ネット界でも「ノーブラ」に反応したスケベな日本人男性たちの間で盛り上がりを見せている。そこで今日はノーブラについて少々真面目に考え、かつ個人的な見解も加えてみた。

 

「ノーブラ・デー」は2011年頃からアメリカのネット界から広がりを見せている。しかし、そもそもなぜこの日付がノーブラの日なのかは謎。ハフィントン・ポストにおいても「誰が何のためにいつ始め、ゴールは何かはっきりしない」と記述されている。

 

 

■アメリカでは、毎日がノーブラ・デー!?

 

もっとも、私がここではっきりさせておきたいのは、私の観測範囲から言えば、そもそも「ノーブラは常識」という点。男性として人格を全否定されるのではないかと言う恐れから、ノーブラ・デーについて聞き及んでからこの方、長らく口をつぐんで来たが、少々熱も冷めてきたようで、炎上するほどの話題でもない…という楽観視から正直に語ると、ブラジャーをしているのは二十世紀末からこの方、東アジア人だけ。いや、まぁ、もう少々余裕を持って独断するとアジア人ぐらいだろう。よって「今日、ノーブラ・デーだよお」とスケベにほくそ笑んでいるのも日本男児ぐらいではないかと思われる。

 

十年近くに及ぶ海外生活の中、個人的にかなり限定されたサンプル数ながら、ブラジャーを常用している女性に会ったことがなかった(都市部に限定されるかどうかはともかく)。つまり、アメリカで生活している限り、毎日がノーブラ・デー。「ウーマン・リブ」と男女平等の概念が強いアメリカにおいては「なぜ、女性だけがブラ?」という反骨心もあり、サイズの大きい女性は「ブラがあったほうが楽」という方も多いようだが、ブラを使用しない傾向は強い。しかも「もうブラをしない15の理由」なんて、まとめサイトがあるぐらいだ。

 

ハリウッド女優を取材する方などはお分かりだろうが、キャンペーンのために来日する多くの女優がノーブラだ。かつて学研という出版社で映画『クライシス2050』(1990年公開)を制作した際、主演のひとりである女優アナベル・スコフィールドを取材。大学卒業間もない筆者が「げ、ノーブラだ」と驚いたのも、今となっては遠い昔。外国女優を取材したのはその時が初めて。会話の内容は記憶にないが、ノーブラだけが記憶に残っている。当時はノーブラに驚いた私も、その後の海外生活でそれを「当然」と見るようになった。(超余談だが、この映画はチャールトン・ヘストンまで出演しているにも関わらず大コケ。先日、筆者が10秒だけ声の出演をしたJ-WAVE TOKYO MORNING RADIOのパーソナリティを務める別所哲也さんが同作でハリウッドデビューを果たした点だけが救い)。

 

そんな社会で、なぜわざわざ「ノーブラ・デー」を声高に掲げるかは、やはり疑問。ノーブラでの生活がメジャーな社会で、7月9日だけ「賛同者はブラを外そう」という運動そのものが眉唾ものだ。

 

 

■ノーブラ・デーと乳がんとの相関関係は…?

 

ノーブラ・デーについて、もっとらしい理由づけは「乳がん検査啓蒙」のためと囁かれている。「ブラジャーと乳がん」という括り方には、根拠があるらしい。1995年にアメリカで発表された書籍『Dressed to Kill』(Soma Grismaijer 、 Syndey Ross Singer)には、ブラジャーを付け続けることにより、リンパの流動が妨げられ、結果それが乳がんの原因となる…とされている。ちなみに「Dressed to Kill」は、映画『殺しのドレス』の原題でもあり、健康的なエロを想起させるブラと死を結びつけるとは、穏やかではないタイトルだ。

 

「ブラジャー⇒乳がん⇒ノーブラ⇒乳がん検査」、この文脈は理解できないこともないが、なぜ7月9日にこそノーブラになる必要性があるかについては、なんらかの記述を見つけるに至らなかった。ご存じの方がいらっしゃれば、一報頂きたい。

 

アメリカにおける乳がんの死亡率については1990年から比較し34%も減少しているとの発表もあり、2010年代に至り差し迫って啓蒙しなければならない必要性が増大しているとは考えにくい。また乳がんとブラジャーの相関関係について、念のため元・国立がんセンター東病院勤務の医師に訊ねたところ、(相関関係があるとは)「聞いたことがない」と一蹴された。どうやら、医学的に確立された説ではないようだ。

 

それでも、胸はやはり女性にとっての存在意義を雄弁に語っている。101歳で大往生した筆者の祖母は、96歳で乳がんを発症。胸筋合併乳房切除術により事なきを経た。当時、アメリカに住んでいた私が見舞いのために帰国したのは、術後退院した後。祖母は孫の顔を見るなり大泣き。孫の顔を見れたから「おら、もう死んでもええ」と泣き出した。だが、ひと通り泣きじゃくり落ち着くと、ミカンを剥きながらこう呟いた。「でもなぁ、女もなぁ、胸がなくなっちゃぁ、おしめえだなぁ」。祖父も先立ってから20年…96歳とは言え、女性にとって胸とはそこまで大切なものかと唖然とした。

 

逆に乳房切除術生還者からすると、ブラジャーはコンプレックスを助長する衣服以外の何物でもない。ブラジャーを装着すると残された胸は良いものの、失ったほうの胸を強く意識させる残忍さを併せ持つと言う。乳がん検査を啓蒙する…という目的があるのであれば、そんな乳がん生還者のために、「ノーブラであることが自然だ」という文脈でノーブラ運動を推進するのは、思いやりも併せ持つことになるので、賛同したい。

 

ちなみに「ブラジャーをしているのは、アジア女性ぐらいである」という私のブラジャー不要論に対し、ある美人はこう解説してくれた。「ゴージャスな下着を付けている日は『今日は私、すっごいお洒落なの!』って言う、見えないからこその究極の自己満足もあるの」とのこと。な、なるほど。や、やはり女心を理解するのは、いくつになっても至難のわざだ。

 

アメリカ在住時代を振り返ると、確かにビクトリア・シークレット的な広告は、女性にとって「勝負服」的文面で登場することが多い。元カノも気合いの入ったパーティなどでは、ビクトリアなアンダーウェアで出かけたもんだ…というアメリカ時代の記憶が蘇る。

 

7月9日とノーブラの間に相関関係はないと結論付けられそうだが、早期発見はがん対策の有力な対応策である点には変わりない。「検査したことがない」、「ご無沙汰している」という方は、ノーブラ・デーをきっかけにがん検診を…と、もっともらしくこの考察を締めくくることにしよう。日本帰国後、ベッドでブラが見当たらないと困惑する女性に対し、「え、ブラなんて必要ないじゃん」と言い放ち、頬をひっぱたかれた逸話を筆者が持つことは、くれぐれも内緒にしておいてもらいたい。

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