テレビを見ていても俳優の名前が出てこない。
必要な書類をどこに置いたのか、思い出せない。
外出先に携帯電話を置き忘れる。
約束を忘れ、ダブルブッキングしてしまう。
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それだけ聞くと、ひとつひとつはたいしたことではないように見える。年をとるにつれて「最近もの忘れがひどくて……」という話題は頻繁に飛び交うようになるし、「お互いいい年になったしね」というあきらめにも似た励ましも耳にする。
しかし、『ボケてたまるか』の著者・山本朋史は“しかたがない”とは考えなかった。山本は新聞記者として39年間に渡って、特ダネを抜いたり抜かれたりしてきた大ベテラン。60歳で定年を迎えた後も、一年ごとの契約更新する記者として取材現場にいる。記憶力には自信があっただけに、取材日程をダブルブッキングした自分にショックを受け、不安のあまり、東京医科大学精神科にある「もの忘れ外来」に駆け込み、「軽度認知障害(MCI)」と診断される。61歳を過ぎた頃のことだ。
本書には著者が経験した「認知症初期治療」の中身がつぶさに描かれている。筋トレに早押しクイズ方式の記憶力テスト、料理、ダンス、音楽といったように認知力アップトレーニングの内容はさまざまだ。認知症の早期治療法として、こんなにもたくさんのトレーニングが考案されているということにまず驚かされる。
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例えば、筋トレ。トレーニングを考案したのはトレーナーの本山輝幸。本山は認知症患者の多くが、筋肉痛や外傷などの痛みをあまり感じないことに着眼した。認知症患者は足の疲れや痛みが脳まで届きにくくなっているからこそ、遠くまで徘徊するのではないかと仮説をたて、どのような運動をすると、感覚神経が脳につながるのかを研究してきた。歩行やダンス、水泳などいくつも試した中で、もっとも効果があったのが、「負荷がかかる強めの筋トレ」だったという。
本書には、筋トレの内容も写真付きで詳しく紹介されている。神奈川県の第24代ボディ−ビルチャンピオンでもある本山は筋骨隆々。胸筋を「左右同時」や「右だけ」など、自由自在に動かせる。感覚神経が脳につながっていため、簡単にできるのだという。本山理論にのっとれば、ボディビルダーはボケ知らず、ということになる。
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前述の朝田医師によると、「本山理論には医学的には未解明な部分も多い。しかし、実際に結果が出ています」という。
著者はさまざまなスタイルの認知力アップトレーニングを重ね、元気と自信を取り戻していく。認知症の検査数値も良くなり、中性脂肪や悪玉コレステロール値、持病のアレルギーの数値まで改善された。行きつけの内科クリニックの主治医に「何か特別なトレーニングをしてますか?」と尋ねられたほどだ。
著者の人柄もあるのだろうが、デイケア仲間とのやりとりは明るく、前向きで読んでいるこちらが励まされる。しかし、ひやりとする話題も登場する。
例えば、車の運転。著者は自動車免許を持っているものの、ハンドルを握らなくなって10年以上経つ。今では免許証の返上も考えている。だが、デイケア仲間の中には、自宅からマイカーで病院に通っている人もいる。認知症と診断された人の家族が情報交換を行う「家族の会」でも、多い相談のひとつだという。
家族の会では、できるだけ運転しない方向でアドバイスするが、無理やり車のキーを取り上げたりすると、逆効果になることもあるため、「よく話し合うこと」が大切だと助言する。
ただ、「大丈夫だ」と言い張る年配の人を説得するのは骨が折れることだろう。不安だからこそ意固地にもなるし、“認めたら最後”という心理も働くはずだ。
じつはうちの実家でも「そろそろ夜に運転するのはやめたら?」という母と、聞く耳を持たない父がよく口論になっている。今は母が60代半ば、父が70代半ばで認知症の兆候もないため、「わからずや!」「うるさい!」とプンスカしあってる程度で済んでいるが、あと数年もすれば、もっと切羽詰まったやりとりになるはずだ。
いざというとき、ひるまずに自分や周囲の加齢に向き合うためにも、本書を読んでおきたい。一進一退の認知症初期治療。しかし、何かしらの“次の一手”が登場することに救われる。現時点で、認知症に完治はない。だが、希望はある。