『ザ・ノンフィクション』アジア系ハーフをめぐる日本的な“序列”「フィリピンパブ嬢の母とボク」

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2019年09月02日 23:12  サイゾーウーマン

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サイゾーウーマン

『ザ・ノンフィクション』(フジテレビ系)公式サイトより

 NHKの金曜夜の人気ドキュメント番組『ドキュメント72時間』に対し、こちらも根強いファンを持つ日曜昼のドキュメント『ザ・ノンフィクション』(フジテレビ系)。9月1日の放送は「母さん 帰ってきてほしいんだ〜フィリピンパブ嬢の母とボク〜」フィリピンパブで働く女性と、その客であった日本人男性の間に生まれた青年二人による漫才コンビ「ぱろぱろ」。同じ境遇の2人が抱えるそれぞれの家族の問題を追った。

あらすじ

 フィリピンパブで働く女性とその日本人客の間に生まれた青年2人が結成した、漫才コンビ「ぱろぱろ」。同じ境遇の2人、和田昭也と大久保健は吉本興業所属で同期の売れっ子にはガンバレルーヤがいる。昭也の両親は仲が悪く、母親は9年前に家を出てしまったが、また家族が一緒に暮らせるよう昭也は両親の仲をなんとか取り持とうとする。一方、ぱろぱろのネタ担当の健は、ネタがフィリピンをバカにしたような内容だと母親から指摘される。番組最後で流れたぱろぱろの単独ライブでは、ネタに改善も見られ、2人の母親も舞台を楽しんでいた。

喧嘩が絶えない両親を、昭也が取り持とうとする理由

 昭也は別居している両親の仲をあれこれ取り持とうとする。父親は清々しいまでの“パチンカス”であり、母親が父親のだらしなさを罵る構図は子どもの頃から変わらない。母親は、このまま父親といたら殺しかねないから家を出たのだと昭也に告げる。そう聞いていながら両親を引き合わせようとするのは、母親の訴えをどこか軽視しているともいえるだろう。家を出て9年たっても怒りが風化していないのだから、もうそっとしておいてあげればいいのにと思った。

 なぜ昭也は、そうまでして「家族一緒に仲良く」にこだわるのだろう。制作側が、番組の盛り上がりを求めて家族関係に触れるよう、昭也に持ち掛けたのかもしれないが、もし本人が「家族一緒に仲良く」を本気で望んでいるとしたら、それはフィリピンの価値観によるものが大きいように思う。

 私は昨年、フィリピンに短期間の語学留学へ行った。語学学校の先生は20代の独身女性が中心だったが、週末の休みに何をするのか聞くと、かなり多くが「実家に帰って家族に会う」と答えた。日本人の独身20代女性に聞いたところで、なかなかこの回答はないだろう。学校はセブ島にあったが、セブには電車がないため交通渋滞がえげつない。それでもバスを乗り継ぎ、何時間もかけ実家に帰り、親や兄弟と過ごしたいというのだ。フィリピンパブで働く女性たちが実家の家族に健気なまでに送金するのも、この「家族愛」という価値観がベースにあるのだろう。そして昭也も健気に両親の仲を取り持とうとするのだ。

 しかし、昭也の母親は家から出て行ってしまっているので、当たり前だが「家族愛」にも個人で濃淡があるだろう。それでも、昭也の母親は子どものそばに親がいることは大事だと話し、帰国しないのも昭也のことを思ってだと言っていた。こうした考えに触れていれば、家族愛が強まっていくのも当然かもしれない。

 一方の健の両親は仲が良く、昭也が抱えているような問題は見えない。しかし健はフィリピンパブで働く母親と、ハーフである自分にコンプレックスを抱えている。一方で高校のときにハーフであることを学校でからかわれたのをギャグで返し教室がどっと沸いたのがお笑いの道を志したきっかけにもなっている。健にとってフィリピンのハーフであることはコンプレックスでありながらも、エンジンにもなっているのだ。

 ただ、健がネタを考える「ぱろぱろ」のフィリピンネタは、健の母親が「(フィリピンを)どっかでバカにしてるなぁという気持ちはありますけどね」 と浮かない顔で話すようなものが多く、健にその思いも伝えていた。

 番組の最後に流れた単独ライブでは「フィリピンを笑いのネタにするのではなくフィリピン人である母と自分の思い出を笑いに変えていました 」とナレーションされており、母親の訴えを受けて何かしらの改善はされていたと思われるが、放送されていたネタの一部は「やーいやーい、お前の母ちゃんフィリピン人」「お前もだろ」 というやりとりで、そこを見る限り「バカにする」視点はさほどなくなっていないように見える。

 しかし、「ハーフ」をネタに日本で笑いを取るならどうしたらいいのだろう。思い浮かぶのはアメリカ、フランスのハーフが、ステレオタイプ的な国民性(アメリカ=ヒーローやリーダー願望、フランス=“おフランス”的な気取った感じ)をネタにする、というものだ。しかし、これの「アジア版」はかなりのハードルを感じる。「お前声でかいわ!」「○○人ですから〜」は炎上必至だ。

 アジアをネタにしづらい理由として、欧米より距離が近く、日本と歴史的しがらみを抱えているというのもあるが、ほかにも少なくない日本人が21世紀の今でも「脱亜入欧魂」を抱えているのもあるのではないか。欧米人のハーフならカッコいいけど、アジア人のハーフは……という暗黙の序列に引っ張られているから、健の同級生は教室でからかったのだろう。そして当人である健も、その序列に縛られている。そして「そういうネタで笑うのは失礼だ」と“良識的に”思う人とて、どこかで縛られている。

「そういう日本人の序列って笑えるよね」と漫才で表現できたら、潜在的な差別意識を説教臭くなく指摘する快挙だと思うが、それを毒蝮三太夫の高齢者いじりが如く「ただただ爆笑してしまう」に昇華させるには、想像を絶するようなスキルやセンスがいるだろう。

石徹白未亜(いとしろ・みあ)
ライター。専門分野はネット依存、同人文化(二次創作)。著書に『節ネット、はじめました。』(CCCメディアハウス)。
HP:いとしろ堂

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