志村けんさんの“町中華”のような笑い マキタスポーツが語るその圧倒的「尊さ」

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2020年04月07日 11:30  AERA dot.

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写真撮影当時55歳。すでにお笑い界の“重鎮”だったが、朝日新聞の取材で自身を代表するギャグ「アイーン」ポーズを見せてくれた (c)朝日新聞社
撮影当時55歳。すでにお笑い界の“重鎮”だったが、朝日新聞の取材で自身を代表するギャグ「アイーン」ポーズを見せてくれた (c)朝日新聞社
 志村けんさんの訃報は、多くの人に衝撃を与えた。お笑い芸人で俳優、ミュージシャンとしても活躍するマキタスポーツさんも、その一人。AERA 2020年4月13日号では、志村さんのお笑いの影響を多分に受けてきたというマキタスポーツさんが、その存在の「尊さ」を語った。

【写真】マキタスポーツさんはこちら

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 気がついたら僕の記憶の中には、股間に白鳥の首をつけ、バレリーナに扮し、「イッチョメ、イッチョメ、ワーオ」と合いの手を入れながら踊る志村けんさんがいた。僕はドリフが大好きだった。志村さんが登場する前、加藤茶さんが一発ギャグで人気者になったのも知っている。子どもだったので荒井注さんをおもしろいと思ったことはなかった。「8時だョ!全員集合」を毎週楽しみに見ていた。

 しかし、「オレたちひょうきん族」がスタートすると、つい浮気をしてしまう。ドリフの志村さんは最高だったけど、ビートたけしさんの登場で、僕の中にお笑いの地殻変動が起きた。当時、「オレたちひょうきん族」を見ていないと学校で友達の会話についていけなかった。時代はバブル景気の真っ只中。社会にはお金と余裕があり、みんないい意味で浮かれていた。テレビの制作現場も自由にドラスティックに、あらゆることを笑いに変えてやろうという空気で満ち溢れていたと聞く。

 そんな時代のテレビを、僕はまるでお笑いの革命を見ているような気持ちで眺めていた。そして、お笑いの真似事をやって高校の同級生を笑わしていた。つまり、僕はテレビの中の革命を、ある種、野次馬的に見ながら、山梨の田舎から東京のテレビのど真ん中に向けて、石を投げてその革命に参加している気分になっていた。大人ぶりたい気持ちもあって、子どもでも分かる、あの、バカバカしい志村さんのお笑いと、距離をとってしまっていたのだ。

 当時のお笑い界は、経済と並行して右肩上がりの急成長を遂げていた。そして、1990年代の前半だろうか。お笑い芸人が使う業界用語。例えば、「ボケ」「ツッコミ」「噛む」「スベる」が一般の人にも浸透。お笑いの知識やルールが一般化し、社会のお笑いリテラシーが急激に向上する。吉本興業が東京に進出、大阪でカリスマ的人気を誇っていたダウンタウンが全国区となり、ハイコンテクストな笑いを追求する時代が到来する。こうして、ドリフに代表される「ビジュアルで視覚的に魅せる芸」から、漫才、フリートークに代表される「言葉の芸」がテレビの主流となってゆく。

 言葉の芸は、演者同士の関係値、笑いの文脈が分かっていないとちっとも面白くない。この頃から、日本の笑いの内需だけが拡大し、子どもや外国人には通用しない笑いが、テレビで量産された。それはそれで、最高に面白かったけど。

 今、志村さんがいなくなって、じゃあ、どっちのお笑いが普遍的で面白いかと立ち止まって考えてみると、それは志村さんが確立した今や「古典」とさえ言われるロジカルなお笑いに決まっている。

 僕は今のお笑い界はラーメン業界とよく似ていると思っている。いつの頃からか、ラーメンはどの店もおいしくなった。過当競争の末のサービス合戦。炙りチャーシューがどうの、ダブルスープがどうの。もう、ありとあらゆる種類のラーメンが登場して、みんな食べる前からお腹いっぱい。そんな気分だ。

 だからこそ、町中華の何気ない醤油ラーメンが、懐かしく、しみじみおいしいって思うことがある。志村さんという稀代のコメディアンを失って初めて、その普遍的な存在の「尊さ」に僕は圧倒されるのだった。

(構成/編集部・中原一歩)

※AERA 2020年4月13日号

このニュースに関するつぶやき

  • わかりやすいタイトルだけど、時代の空気感まで解説した名文ですねえ。特に「ひょうきん族」を観ることを「お笑いの革命に参加している気分」と表したところとか。。
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  • マキタスポーツって誰?電動工具のマキタ関係者?
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