『鬼滅の刃』は「マスクの時代」を先取りしていた? 評論家3名が語り合う、コロナ禍における作品の評価

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2020年08月08日 08:01  リアルサウンド

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写真『鬼滅の刃(4)』
『鬼滅の刃(4)』

 近年稀に見る超大ヒットで、一躍時代を代表する少年漫画の一つとなった『鬼滅の刃』について、漫画編集者の島田一志氏、ドラマ評論家の成馬零一氏、書評家の倉本さおり氏が語り合う座談会の後篇。前篇では、最終回への率直な感想や好きなキャラクターについて語ったが、後篇ではその時代背景や“兄弟漫画”としての側面、コロナ禍における作品の評価についてまで話が及んだ。(編集部)


参考:『鬼滅の刃』評論家座談会【前篇】「現代におけるヒーローとヒールをちゃんと描いた」


※以下、ネタバレあり


■戦闘以外のところも楽しい漫画


倉本:『鬼滅の刃』は舞台設定が大正時代というのも上手かったと思います。明治や大正期の物語を読むと、妖(あやかし)的なものに対する恐怖感が現代よりもずっと切実で、だからこそ科学的な説明で乗り越えようとしていたことが見て取れるんです。そうした時代における人々の畏怖や奮闘を、この漫画は気配として上手く活用している印象でした。キャラデザも、まさに現代の人々がイメージする大正浪漫っぽい描き方で。ちなみに吾峠先生は『鬼滅の刃』の前身となった短編『過狩り狩り』について、着物を着た吸血鬼は見たことがないから、明治・大正あたりを舞台にドラキュラものを描こうと思った、と書いていました。


成馬:そういう発想だったんですね。第2巻(第13話)の、無惨と炭治郎が対面する場面で浅草の街並みが登場しますが、おそらく関東大震災以前の風景だったので、どこかのタイミングで地震が起きるのではないかと思ってドキドキしながら読んでいました。無惨は「私に殺されることは大災に遭ったのと同じだと思え」なんて言っていましたし。


島田:高橋留美子先生がいま『週刊少年サンデー』で連載している『MAO』も、同じ大正時代が舞台のダークファンタジーなんですけど、関東大震災が序盤の重要な場面で出てきます。荒俣宏先生の小説『帝都物語』でも、関東大震災は破壊と再生の象徴として描かれていますよね。つまり、あの時代を描いた伝奇物で関東大震災を出すというのはある種の定型です。当然、それは吾峠先生の頭にもあったはずですが、なぜあえて外したのか、興味深いものがありますね。


成馬:昨年、アニメ版『鬼滅の刃』が盛り上がっていた時期に大河ドラマ『いだてん〜東京オリムピック噺』(NHK)も放送されていて、劇中で関東大震災が描かれたのですが、『いだてん』だけでなく、2010年代の朝ドラ(連続テレビ小説)では、関東大震災から戦時下に向かっていく世の中が繰り返し描かれていて、2011年の東日本大震災後の日本と暗に重ねているところがあるんですよね。その意味でも、大正時代を舞台にしたことは、時流に乗っていたと思います。


倉本:大正時代といえば、スペイン風邪が世界を席巻したことも、現在の新型コロナウイルスのパンデミックと通じるところがありますね。


成馬:鬼が疑似家族を形成する那田蜘蛛山編で「絆」という言葉が、ネガティブな意味で使われていたのも、今の気分にフィットしていたと思います。震災直後はポジティブな意味合いで使われていた「絆」という言葉が、だんだんと嫌な響きになっていった過程とすごくリンクしていますよね。


倉本:那田蜘蛛山編は衝撃的でしたね。妖艶で恐ろしい鬼一家の「お母さん」役がまさかの少女だったというのもショッキングで……。『鬼滅の刃』は竈門家をはじめ、家族や兄弟姉妹の絆によってストーリーを駆動させている部分も多いため、この作品が盲目的な家族主義をむやみに強化するのではないかという批判もありますが、こういった擬似家族のエピソードがあることで批評性も生まれていると思います。例えば、那田蜘蛛山編の場合、「お父さん」役の鬼はただDVをするだけの存在で、もともと少女だった鬼はいちばん年下で力が弱いゆえに「お母さん」役に無理やり仕立て上げられ、ちょっとでも上手くできないと普段からボコボコにされている。家父長制の闇を煮詰めて戯画化したような、すごく悲惨な文学的漫画だと感じていました。また、敵にもいろいろな事情があると描く漫画はたくさんありますが、鬼の正体がただ無垢で罪のない子供だった、という展開のいたたまれなさは、『鬼滅の刃』という漫画がここまでの人気を集めた要因のひとつだと思います。復讐のために鬼になったとか、感情的な因果があるわけではなく、単に鬼に襲われたから鬼になったという理不尽さ。


島田:なるべくしてなった鬼もいますけど、それ以外の理不尽な形で鬼になった者をも鬼殺隊は討たなくてはいけないので、そこに悲しみがありますよね。お二人は鬼側で好きなキャラクターはいますか?


成馬:鬼は基本的に全員好きですが、最後の方に出てくる童磨が好きですね。同情できる鬼と同情できない鬼がいるのですが、童磨は完全に後者。もともと悪人だったのが鬼になってさらに最悪になった感じがして、同情の余地がまったくない。でも、吾峠先生はそういう絶対悪を描くときの方がイキイキしている気がします。『鬼滅の刃』は敵をやっつけた後に、「実はこの鬼にはこういう背景があって」とモノローグを描くじゃないですか。で、童磨の場合は人間らしい感情がもともとないことの悲しさを描いている。そういった描写を重ねていった先に、無惨との戦いを描くわけですから、とても難しいことに挑戦した漫画だったと思います。


倉本:一方で、主人公側は男性同士で仲良くわちゃわちゃするような描写がいっぱいあって、近年のグループアイドルを愛でているかのような多幸感もありますよね。


成馬:ああいう感覚は自分の慣れ親しんだ少年漫画にはなかったので、新しさを感じました。「善逸の良いところはこういうところだよ」とお互いに褒め合う関係性は、うらやましいというか見習いたいところですよね。男性同士でこういうコミュニケーションを描くのもアリなんだなと感心しました。


倉本:前述の「隠」の後藤さんが出てくる場面(参照)の続きなんですが、上弦の陸との戦いの後、炭治郎が蝶屋敷のベッドの上で目が覚めると、天井に伊之助が張りついて待ち構えていて、自分のほうが先に目覚めていたことを得意げに報告して褒めてもらう場面がありますよね。その様子がなんかもう、お母さんに一日の出来事を報告しようとする子供みたいで可愛くて可愛くて……(笑)。


成馬:彼らのやりとりを見ていると、少女漫画家の岡田あーみんさんの作品を思い出します。『こいつら100%伝説』という時代劇テイストのギャグ漫画に危脳丸(あぶのうまる)という金髪のキャラクターが出てくるのですが、善逸を見ていると、彼を思い出すんですよね。だから、少女漫画的なギャグのノリを少年漫画でやった作品でもあるのかなと。あのノリが入ることで、すごく読みやすくなっていると思います。


島田:壮絶なバトルが続くなか、たとえば蝶屋敷でみんなが喋ってるだけみたいなシーンは、すごく安心しますもんね。戦闘以外のところも楽しい漫画でした。


成馬:戦闘も心理描写がメインという印象で、ゲーム性のあるバトルを描きたい人ではないのかなと思いました。


■兄弟漫画としての『鬼滅の刃』


成馬:『鬼滅の刃』には多くの兄弟が出てきますよね。炭治郎と禰豆子の関係をはじめ、敵も味方も兄弟がいるキャラクターがやたらと多い。吾峠先生は兄弟というモチーフにこだわりがあるんですかね?


倉本:前述の短編集の中に『文殊史郎兄弟』という殺し屋兄弟をモチーフにした話があるのですが、あまり兄弟愛みたいな側面は強調されていなかったと思います。


島田:この漫画は、禰豆子という妹キャラを重要なポジションにおいたからなのか、主人公にとって恋愛対象となるようなヒロインが不在でしたね。もちろん、カナヲは最後に炭治郎を救うひとりになる、という意味でも無視出来ない存在ではあるのですけど、あまり惚れた腫(は)れたの展開にもっていってはいませんよね。いずれにせよ、恋愛対象としてのヒロイン不在の構造が、兄弟漫画色を強めた要因のひとつかもしれません。


倉本:ヒロイン信仰が希薄というか、そういう恋愛的な要素がストーリーの主軸に絡んでこない点がいいと言う読者が私の周りではすごく多いです。


成馬:炭治郎と禰豆子の距離感って、妹萌えみたいな感じと違って、すごく人としてちゃんと向き合っている感じがするんですよね。愈史郎が禰豆子のことを「醜女」と言ったときに、炭治郎は「町でも評判の美人だったぞ」と言って怒るじゃないですか? あそこで炭治郎が反論するのが、本作の現代性で、ああいった人の尊厳に関わる発言に対して、この漫画はすごく敏感ですよね。あの歳の男の子だと照れ隠しに悪態をついてしまいそうなところで、正面から「美人だ」と言って妹をかばう。こういう美しい関係性は、むしろ恋愛が成立しないからこそ描けるのかもしれないですね。


倉本:ああ、それはあるかも。最終回が駆け足のように感じた人もいたというのは、こまごまとした仲良し関係を最初から「恋愛」の型に落とし込んで描かなかったからこそ、オチが唐突に見えたのかもしれませんね。私自身は、伊之助がアオイちゃんに自分用のつまみ食いセットを用意してもらうシーンがすごく好きでした(笑)。伊之助は赤ん坊の頃に母親を殺されて以来、弱肉強食の山の中でほとんどひとりでサヴァイブしてきたから、「自分のためだけに用意してもらえる食事」があることをそこで知ってじーんとなる。システマティックに恋に落ちるシチュエーションに落とし込んでるんじゃなくて、ちゃんと人として見ているというか、そのキャラクターの背景をしっかり汲み取って場面を描いている点にグッと来ました。


成馬:カナヲの描き方も面白かったですね。綾波レイみたいなクールな戦闘少女かと思いきや、だんだんと人間味が増していって、最終的には内面が理解できる普通の女性になっていく。よく読むとそういう小技というか、これまでの漫画ではあまり見なかった描写がたくさんあるんですよね。


倉本:柱の面々も、最初は何を考えているのかわからなかったのが、最終的にはみんなすごく人間味のあるキャラクターとして登場しますよね。岩柱の悲鳴嶼さんなんか、当初は炭治郎の姿を見るなり数珠を掲げて泣きながら祈りつつ、「生まれてきたこと自体が可哀想だから殺してやろう」なんてむちゃくちゃな暴論をさらっと口にする電波系おじさんだったのに、炭治郎たちに柱稽古をつける頃にはめちゃくちゃ良い人になっている(笑)。これって現実社会にも重ねられることですよね。最初のうちはその人の表面的な部分しかわからないけれど、コミュニケーションを重ねていくと自分の持っているレンズの解像度が上がって、それまで見えていなかった部分がわかってくる。短編集を読んでいると、吾峠先生はそういうことを描きたかったのかなと思えるんです。炭治郎がどんどんみんなの心の扉を開いていくところに注目しても面白いです。


■予想外だった大ヒット


成馬:僕はアニメから入って、単行本を読んで、最後にリアルタイムの連載を追うようになったのですが、連載当初はどのような印象でしたか?


島田:漫画編集者としては、ちょっと戸惑っていた部分もあります。ご存じのように本作は、すごくスロースタートな作品で、ほぼ1巻まるごと炭治郎が剣士として独り立ちするまでの描写に費やしていますよね。普通の週刊連載の漫画なら、2話目で鬼殺隊に入隊するぐらいのスピード感が求められていると思うのですが、『鬼滅の刃』はそこに至るまでをすごく丁寧に描いていた。一方で、いざ炭治郎が鬼殺隊に入ってからは怒涛の勢いで、物語の展開がすごく早くなる。最後の無限城の戦いなんて、いきなり始まりましたし、しかも同時進行でいろんな戦いが描かれていくから、ついていくのも大変で(笑)。無限城での戦いは、その後の無惨との死闘も含めて、たった一晩の話なんですよね。本来、『週刊少年ジャンプ』は人気がなかったら10週で打ち切られる世界だと思うのですが、そういう背景を考えても、この物語全体を貫く時間感覚は、なかなか興味深いものがありました。特に、あまりアンケートの結果を意識していない序盤の丁寧な作りは、『ジャンプ』の漫画の新しいかたちを提示したとさえ言えるかもしれません。


倉本:『ワンピース』の場合は〇〇編というのがたくさんある一方で、構造的にいえばすでに完成されたプロットの繰り返しになっているため、途中から入ってもなんとなくあの世界を共有できる。でも、『鬼滅の刃』はキャラクターの関係性とかもストーリーの進行上どんどん変わっていくから、なかなかそうもいかないんですよね。


成馬:初期から読んでいた読者として、ヒットしたときはどう思いましたか? 近年稀に見るような異常なヒットだったと思いますが。


倉本:単純にびっくりしました。もちろん、アニメのクオリティが高かったとか、サブスクでアニメを観る環境が一般化しつつあるとか、ヒットの理由は複合的だと思うので一概には言えません。ただ、その中で、私がすごく現代的だなと思ったのは、今の視聴者や読者はあまりネタバレを気にしないというか、レビューで高評価だったのをしっかり確認してから鑑賞する人が多いんだなということ。アニメが高評価で、そのレビューを見た人が単行本を買ったりしている。ネタバレよりも失敗したくないということのほうが先にきているのが、今の時代の嗜好性なのかもしれません。


島田:実際、なんであそこまで売れたのか、おそらく集英社もすべてを把握できているわけではないと思います。19巻を買おうとしたとき、どこの書店でも売り切れていてかなり探しましたけど、それはつまり、版元も初刷りの部数が読めていなかったということですよね。さすがに20巻以降は、初版部数がニュースになるくらい刷っていますので、普通に買えますが。余談ですが、単行本がどこの書店にもなくて探しまくったのって、個人的には『デトロイト・メタル・シティ』の1巻以来でしたよ。あの頃、書店をさまよう「DMC難民」なる言葉まで生まれました(笑)。


倉本:私自身が連載当初から読んでいて感じたのは、けっこう読む人を選ぶ絵柄だろうな、ということ。当時の『ジャンプ』って、例えば『食戟のソーマ』が人気だったみたいに、デジタル作画の魅力が浸透しつつある時期だったと思うんですが、ああいう端正でつるんとした印象と違って、吾峠先生の場合は描線のクセがあきらかに強いというか、全体的にどことなくザラついたタッチで、ノイズが多い印象だったんです。登場人物も人の話を聞かないタイプばかりだし(笑)。一方で、だからこそ代替不可能な漫画だとも思いました。


成馬:おそらく編集部も、『ワンピース』や『NARUTO』や『僕のヒーローアカデミア』に続くような王道のヒット作にしようとは思っていなかったですよね。どちらかというと、『ジョジョの奇妙な冒険』や『魔人探偵脳噛ネウロ』の立ち位置というか、『ジャンプ』におけるカルト作品枠を狙っていたと思うんですよね。個人的には完成度の高い『約束のネバーランド』の方が、『ジャンプ』の新しい王道になるんじゃないかと思っていたので、『鬼滅の刃』の人気がどんどん盛り上がっていったときは、戸惑いがありました。


島田:作品として完璧じゃないからこその危うさが、ヒットすることによってむしろ魅力に転じていった部分はあるかもしれませんね。


■「マスクの時代」を先取りしていた?


倉本:禰豆子のキャラクターデザインも、幅広い層のファンを虜にしたポイントなのかなと思います。子どもたちもみんな禰豆子のコスプレをしたがります。これまでに眼帯ヒロインはたくさんいたけれど、竹筒の口輪をかまされている和装の少女の姿は圧倒的に新しかった。


成馬:奇しくもコロナ禍による「マスクの時代」を先取りしていたかのようですよね。無惨と戦う場面はコロナ禍に向かっていく時期だったため、鬼殺隊の姿と医療従事者の方々の姿が重なって見えて、コロナ禍の比喩のように読んでいました。作者はこんな状況になる前から、あの展開を考えていたと思うのですが、結果的に時代とシンクロしてしまったと思うんですよ。第1巻に作者の「感謝の言葉」が掲載されているのですが、「漫画は水や食べ物と違って生きていくために必ず必要なものではなありません。それを買ってもらうということは、とても難しく大変なことです」と、今風に言うと「不要不急のものではない」と書かれていたのが、すごく印象的でした。宮藤官九郎も同じようなことを朝ドラの『あまちゃん』(NHK)で書いていたのですが、この距離感はやはり、震災以降の感覚だと思うんですよね。震災を経て、その時に感じたことをエンタテインメントに昇華したら、後からコロナ禍が来て、多くの人が実感を持って読める作品になったということかもしれませんね。


島田:最後の無惨戦が総力戦の人海戦術だったのも、現代的だったと思います。


成馬:無惨一人に対して全員で挑んでましたからね。昔の漫画ならタイマンじゃないと卑怯だ、みたいな感覚があったと思いますが、『鬼滅の刃』はむしろ組織で戦うことを肯定していて、絶対的な個の永遠性みたいなものは否定している。


倉本:組織の描き方自体にも現代的な感性が感じられましたよね。最終決戦のラストでは無惨がでかい赤ん坊の姿になってゴリ押しで逃げるのを、末端の隊士や隠たちが捨て身で堰き止めようとする。そのときに、新しい当主になった産屋敷輝利哉が「死ぬな一旦下がれ!」「次の手は僕が考えるから!!」って言うんですよ。例えば初期の『機動戦士ガンダム』とかだったら、ああいう場面なら「すまん、組織のために死んでくれ」的なセリフが似合ってしまうんだと思うんですけれど、『鬼滅の刃』の場合はリーダーにちゃんと末端の隊員の命を優先させたところに、令和の価値観を感じました。(松田広宣)


このニュースに関するつぶやき

  • 小学校でも流行っているらしいけど娘には見せない。結構残酷な描写が多いからねえ。中学生になってから見たかったら自分で見れば良いと思う。
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  • とりま、全部読んでみた感想。他の作品を挙げてしか論評できないんなら、評論家の意味はないと思った。
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