“打倒ワークス”を掲げて戦った親子が、2016年第7戦タイで流した涙【スーパーGT名レース集】

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2021年02月12日 12:01  AUTOSPORT web

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GT500参戦6年目で初優勝を飾った坂東正敬監督。チェッカー後に涙を見せた。
日本でもっとも高い動員数を誇るスーパーGT。2019年にはDTMドイツ・ツーリングカー選手権との特別交流戦が行われ、2020年からはGT500クラスにDTMとの共通車両規則『Class1(クラス1)』が導入され、日本のみならず世界中でその人気は高まっている。そんなスーパーGTの全レースから選んだautosport web的ベストレースを不定期で紹介していく。

 連載6回目は2016年シーズンの第7戦タイ。GT500参戦6年目のレーシングプロジェクトバンドウのWedsSport ADVAN RC Fが初のポール・トゥ・ウインを達成した一戦だ。

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 プライベーターとして参戦するレーシングプロジェクトバンドウにとって、GT500クラスでの初ポールポジションは、2012年第7戦オートポリスのとき。前年に主戦場をGT500に移し、2年目にしてようやくつかんだ快挙。このときヨコハマタイヤにとって、じつに9年ぶりのポールポジションであった。

 ポールポジション獲得の興奮覚めやらぬ予選日の夕方、筆者は坂東正敬監督の元を訪れ、取材をしていた。そのとき、フラッとGTアソシエイション代表である父・坂東正明氏が現れ、無言で手を差し出した。

「見てくれた?」と息子は言いながら、父と握手。父は何も語らず、そのまま立ち去ってしまう。息子は、「ねえ! 見てくれた!?」と、後ろ姿に向かって問いかけていたが、父は最後まで言葉を発しなかった。ただ、正明氏特有の、うっすらとした笑みを浮かべていたことは印象に残っている。

 翌日の決勝はコンディションが不安定で、さらにアクシデントに巻き込まれたこともあって、悲願の優勝はならず3位でフィニッシュしている。今度こそ、という思いを胸に戦い続けてそれから4年がたち、そのときがやってきた。

 2016年第7戦タイを迎えるにあたり、マサ監督は、「チャンス」と踏んでいた。なぜなら、それまでの戦況から、ヨコハマが第7戦の舞台であるチャン・インターナショナル・サーキットを得意としていることがわかっていたからだ。

 マシンは走り出しから調子が良く、チームにとってGT500での二度目のポールポジションを獲得することに成功する。予選Q2を担当した関口雄飛にとっては、GT500初ポールポジションであった。

 先頭からスタートしたWedsSport ADVAN RC Fは、ポジションを守ったまま快走し、やがてルーティンのピットのタイミングがやってくる。最後にタイヤを使い切ろうと、関口がペースを上げた次の瞬間、左リヤタイヤにパンクチャーが発生する。

 ようやくつかみかけたチャンスで、まさかのアクシデント。またも初優勝はお預けかと思われたが、ほとんどロスすることなくピットインしてタイヤを交換。国本雄資に交代して、トップのままコースに復帰している。

 じつはこのとき、いくつもラッキーが重なっていた。パンクが発生したのはコースの後半部分であり、すぐピットに入れたこと。ルーティンの予定で、ピットではすでにタイヤ交換の準備ができていたこと。パンクは、この日の午前中のフリー走行でも経験済みだったこと。そのときドライブしていたのも関口だったこと、である。

 パンクチャーを受けて、国本はタイヤのケアをしながらのドライビングを強いられた。「もっと速く走れる」と無線で愚痴をこぼす国本に対して、「知ってるよ。大丈夫だよ。お前のいいところはたくさん出たよ」となだめるマサ監督。国本の、レーシングドライバーとしての本能に逆らう運転のおかげで、無事トップチェッカーをくぐることができた。ついにプライベーターがワークスを破ることに成功したのである。

 勝利直後のインタビューでは、高橋二朗ピットレポーターのマイクを奪い、マサ監督はこう叫んだ。

「勝ちましたー! 今、日本で一番速いですー! イエーイ!」

 続けて、「GT500に参戦して6年目で、マジ、超うれしいですよ。オヤジが成し遂げられなかった……」と語ったところで、なんと父・正明氏が乱入する。ドライバーふたりの背後で、カメラに背を向けて息子を手荒く祝福。そして、その場から去るときの正明氏は、顔をクシャクシャにして涙していた。

「(インタビュー中)あ、来た、と思って。頭抑えつけられながら、『お前、やったなあ。お前、すごいぞ』って。ご存知のとおり、ウチのオヤジはああいう性格で、口調も荒い。だからほめられることはまずない。そんなオヤジが、泣きながら言って来たから、僕も涙が出てしまった。これでちょっとは認めてくれたかな」

 マサ監督がGT500に参戦すると言ったとき、父は反対したという。それを押し切って、父のエントラント時代の夢を叶えた。

 父は、グループAの時代からプライベーターとして参戦し、それはスーパーGTが始まっても変わらず“打倒ワークス”をスローガンに掲げて参戦してきた。父がエントラントからGTA代表となったタイミングでチームを受け継いだ息子だが、同時にその意志も受け継ぎ、ワークスに勝つことを目標に戦ってきた。

 ワークスの強さを知っている父は、息子の苦労を誰よりも理解している。その息子がもうすぐ勝とうかというレース終盤、落ち着きはなくなった。

「どういう感情で見ていればいいのか難しかった。残り6周で、何でてめえのレース以上に手に汗握ってそわそわしなくてはいけないんだと(笑)。ポール・トゥ・ウインをこの世界でやるということは、あいつの人生のなかですごく大きなことをクリアできたことだと思う」

「ひとつ勝っただけなので、まだまだレクサスのなかでは一番下」と手厳しい正明氏だが、息子の偉業の前では、“GTA代表”ではなく、“素の父親”でしかなかった。

 なお、正明氏の乱入劇に対し、関係者からは「(GTA代表という立場の)あなたがそこで行っちゃダメでしょ」と、総ツッコミが入っているが、同時に「おめでとう」という言葉も添えられている。

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