「豪快で繊細な“おっさん”だった」…元南海・立石充男さんが門田博光さんを悼む

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2023年01月26日 06:50  ベースボールキング

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楽天コーチ時代の立石充男さん [写真=北野正樹]
◆ 猛牛ストーリー【第56回:門田博光さん】

 2023年シーズンはリーグ3連覇、そして2年連続の日本一を目指すオリックス。今年も監督・コーチ、選手、スタッフらの思いを「猛牛ストーリー」として随時紹介していきます。

 第56回は、23日に74歳で亡くなったオリックスOBの門田博光さんです。本塁打王3度・打点王2度、40歳で44本塁打を記録するなど歴代3位の567本塁打をマークした左の大砲。南海がダイエー(現・ソフトバンク)に買収され、福岡に移転した1989年から2年間はオリックスに在籍されました。

 南海時代から公私とも親しく、今も「おっさん」と呼ぶ、元楽天コーチの立石充男さん(65)に門田さんへの思いを語っていただきました。


◆ 「すごい打者だと驚きました」

 「本当に驚きました。ショックです」

 門田さんの死去を受けた24日夜、社会人クラブチーム・関メディベースボール学院の野手総合コーチを務める立石さんが声を絞り出した。

 門田さんの入団6年後に大阪・初芝高からドラフト3位で南海入り。1年目の二軍時代に一軍の試合前練習のお手伝いに駆り出され、打撃投手を務めたのが門田さんと親しくなるきっかけだったという。

 「投げる約50球のほとんどがホームラン。すごい打者だと驚きました」と第一印象を語る立石さん。「ストレートだけを投げろ。外角低めには投げるなよ」と指示する門田さんに何とか名前を覚えてもらおうと、ある時、ワンバウンドのフォークボールを投げて空振りの三振を奪ってしまった。

 「お前、面白いヤツやな」。怒るどころかかわいがってくれ、3年目に一軍昇格するとキャンプなどで同室にしてくれた。


 「部屋子」と呼ばれる、先輩の世話係。午前8時に部屋の風呂の湯を張り、自由時間には麻雀卓を一緒に囲んだ。

 酒豪で知られたが、練習でストイックに自分を追い込む門田さんらしく、「遠征先で夜の街に出かけたのは銀座とすすきのの2度しか記憶にありません」と立石さん。

 1988年に南海ホークスと阪急ブレーブスが相次いで球団を売却。門田さんは家族の学業などを理由にダイエーホークスには移らず、オリックスに移籍した。

 「実は、門田さんは『家庭の事情があるので、福岡に行かなくてもいいのなら行きたくない』とある人に伝えていたそうなのです。ところが『福岡に行きたくない』と違った形でマスコミに伝わってしまいました。その時、門田さんは『行きたくないなんて言っていない。でも、報道もされてしまったから仕方がない。オレが悪者になってもいい』と潔かったですね」

 杉浦忠監督以下、福岡に全体移籍をする中で、ただ一人個人的な事情を優先するようにファンからも受け取られたが、言い訳は一切しなかった。

 1991年からは2年間ダイエーでプレーし、23年間のプロ野球人生を「ホークス」で全うしたのは、門田さんらしいけじめのつけ方だったといえる。


◆ 豪快さの裏にあった繊細さ

 「ヒットはいつでも打てる。打ちたいのは本塁打や」

 170センチの小さな体でフルスイングする豪快さの一方で、繊細さも持ち合わせた。

 入団6年目に一軍で62試合に出場するようになった立石さんに、門田さんは冷たく突き放したような態度を取り始めた。

 「寂しく感じましたが、将来を見据え『自分一人で野球に向き合え』と独り立ちをさせてくれたのだと想像していました」

 それがはっきりと分かったのは、約15年後のこと。阪神の二軍コーチを務めていた際、解説の仕事でキャンプ地の高知・安芸を訪れた門田さんから「あの時は悪かったな」と謝られた。

 「豪快な方で、いちいち細かいことをおっしゃる方ではないのですが、私の将来をそこまで考えて下さっていたと聞いて、涙が出そうになりました」と門田さんの細やかな配慮と優しさを懐かしむ。


 南海を現役引退後、ダイエー、中日、台湾の球団、近鉄、阪神、楽天、中日と渡り歩き、2022年1月からは関メディベースボール学院の野手総合コーチとして後進の指導にあたる立石さんの原点は、門田さんの無言の教えにあったと言っても過言ではない。

 直接会ったのは阪神時代が最後だが、その後も門田さんの持病の糖尿病にいいサプリメントなどがあると聞いて自宅に送ったりして交流はあった。


 悔やむのは、門田さんが独りで生活をしていたことを知らなかったことだ。

 「糖尿病にいいものを送ったのですが『自分では作れないんや』と言って、途中で止めてしまったようでした。独り暮らしと知っていれば、自分で作らなくてもいいようにして送ったのに」

 病気と闘い独りで暮らしていることを知られたくないプライドと、心配を掛けたくない思いが門田さんにあったのだろう。

 40歳で本塁打王と打点王に輝き「中年の星」「不惑の大砲」と呼ばれた門田さん。ご冥福をお祈りします。


取材・文=北野正樹(きたの・まさき)

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