​​アジカンが振り返って語る、15年前の激動期。「こんがらがってる俺たち」が、中年になって気づいたこと

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2023年06月16日 17:10  CINRA.NET

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Text by 金子厚武
Text by 山元翔一
Text by 金本凜太朗

ASIAN KUNG-FU GENERATION(以下、アジカン)が2008年に発表した『サーフ ブンガク カマクラ』はバンドの転機ともいうべき重要作であった。

2004年に発表した『ソルファ』がチャート1位を獲得したものの、状況の変化によって生まれたプレッシャーは相当なもので、後藤正文が自身のインナーワールドを描いた『ファンクラブ』(2006年)を経て、バンドは自らのスタジオでさらなる音楽的な高みを目指してセッションを続けた。その成果が2008年発表の傑作『ワールド ワールド ワールド』であり、アウトテイク集の『未だ見ぬ明日に』(2008年)だった。

しかし、濃密なセッションの日々にバンドは疲弊。そんな状況を一旦リセットするべく、自らの原点であるWeezerの“Surf Wax America”をもじり、曲名に江ノ電の駅名をつけてコンセプチュアルにつくられたのが、『サーフ ブンガク カマクラ』だった。

あれから15年のときを経て、オリジナルの10曲を再録し、新曲5曲を追加した『サーフ ブンガク カマクラ (完全版)』は、「最新のパワーポップ」を体現する作品に。「一発録り」を基調にあえてラフにつくられたオリジナルに対し、本作からはこの15年で突き詰められたサウンドメイクに対するこだわりがはっきりと伝わってくる。

「ロックバンドはもう古い」という言説の一方で、パンデミックを経た現在はまた新しい世代のバンドが頭角を現しつつあり、ライブハウスは賑わいを取り戻しはじめた。そんななかでアジカンが「バンドらしさ」を詰め込んだアルバムを発表し、その曲たちを持ってツアーを回るということは、この国の音楽シーンの未来を照らし出すに違いない。

ASIAN KUNG-FU GENERATION(アジアン カンフー ジェネレーション)
左から:喜多建介、後藤正文、山田貴洋、伊地知潔
1996年、大学の音楽サークルにて結成。これまでに10枚のオリジナルフルアルバムをリリースし、2023年7月5日には『サーフ ブンガク カマクラ (完全版)』をリリースする。後藤が描くリアルな焦燥感、絶望さえ推進力に昇華する圧倒的なエモーション、勢いだけにとどまらない「日本語で鳴らすロック」でミュージックシーンを牽引し続け、世代を超えた絶大な支持を得ている。

ーまずは今回『サーフ ブンガク カマクラ』の『完全版』をリリースするに至った経緯を教えてください。

後藤(Vo,Gt):本当は『プラネットフォークス』(2022年)より前にリリースする話もあったんですけど、順序が逆になったんです。なので、3人に『プラネットフォークス』に向けたセッションを進めておいてもらって、僕は今回の新曲を全部書いてからレコーディングに合流しました。

ー『完全版』をリリースするアイデア自体はいつごろからあったんですか?

後藤:ずっと言ってた気がするんですけど、実現可能な時期を見つけるのがすごく難しかったんですよね。いろんな仕事とかツアーに追われたり、フェスがあったり。たまたま上手くパズルがハマったのが去年とか今年だったっていう。

ーそれこそコロナ禍もあったりして、結果的にこのタイミングで実現できて、そこにちょうどリリース15周年みたいなことも紐づいてきたと。

後藤:そうですね。周年みたいなことは特に意識してなくて、そこは本当に偶然なんですけど、この何年かはとにかくいっぱい曲を書きましたね。

後藤正文(ASIAN KUNG-FU GENERATION)

ーオリジナル版をリリースした当時のバンドの状況を振り返っていただきたいと思います。2008年は『ワールド ワールド ワールド』『未だ見ぬ明日に』『サーフ ブンガク カマクラ』の3作をリリースしているわけですが。

後藤:その少し前に自分たちのスタジオ兼倉庫みたいな場所を借りて、自由にリハーサルができる環境を得たんですよね。そのセッションでできたのが『ワールド ワールド ワールド』で、自分たちとしてはすごく身にはなったんだけど、四六時中一緒にいたこともあって、なかなか重苦しい空気になっていて。すごく濃密で緻密なセッションだったから、「これをずっと続けるのはよくないな」って気持ちもあったんです。

当時、みんな練習しすぎちゃって、楽曲を思いついたときのパッションが削がれていくのを感じてて。みんな一度家に持ち帰って、ものすごくフレーズを編み直してくるみたいな感じで、たしかに曲はよくなるんだけど、「本当にやりたいことってこれだったかしら?」みたいな気持ちもあった。ただ、そうなったのは自分のせいでもあって。

後藤:当時は音楽的な進歩をすごく求めていたんですけど、ふと我に返ると「もっと楽しいことやりたいな」みたいな気持ちがあったんですよね。『サーフ ブンガク カマクラ』はそういう作業のある種の反動でもありました。

ーだからこそ自分たちのルーツに戻って、Weezerやパワーポップをキーワードに一旦肩の力を抜いて制作をしようと。

後藤:そうですね。ただそれはみんなと相談して決めたわけじゃなくて、俺が勝手に決めて「やるぞ」って言ったことなので、ほかのメンバーからしたら寝耳に水だったと思います。

『ワールド ワールド ワールド』の制作はすごく民主的で、みんなで話し合って、全員のゴーが出てからアレンジを進めるセッションだったから結構骨が折れたんですよ。

後藤:当時、ソングライターとしてはもどかしさ、まどろっこしさも感じてたから、サクッと自分でデモをつくって、聴かせて、一緒にやるっていう、「主導権握りたい」みたいな意識もちょっとあった気がします。

ー「ほかのメンバーからしたら寝耳に水だったと思う」という話でしたが、実際に後藤さん以外のみなさんは当時どんなことを考えていましたか?

喜多(Gt,Vo):『ワールド ワールド ワールド』はかなり満足いく出来で、最高傑作ができたなと思ったんです。みんなでセッションしてつくるのはたしかに大変な作業ではあったけど、ああいうアルバムはつくれそうでつくれないと思うんですよね。

喜多建介(ASIAN KUNG-FU GENERATION)

喜多:そのアウトテイク集が『未だ見ぬ明日に』になって、そこから「もう1枚やるぞ」みたいなことをゴッチが言って……そのときは「もうとにかくついていこう」みたいな感じで。

後藤:「言い出しちゃった」みたいな感じだよね。

喜多:『ワールド ワールド ワールド』のツアー中に岡山のライブハウスで“稲村ヶ崎ジェーン”のデモを聴いて、「いいじゃん」みたいな話をしたのはすごく覚えてて。だから、もうデモもあるし、一発録りでやるって言ってるし、当時はちゃんとしたオリジナルアルバムって気がしてなくて、「これは箸休めの企画盤なんだ」って言い聞かせながらやってた気がします(笑)。いまはすごく大好きなアルバムなんですけどね。

山田(Ba,Vo):『ワールド ワールド ワールド』のライブハウスツアーは結構な本数をやったんですよ。2005年の『Re:Re:』も48本やって、2006年の『ファンクラブ』のツアー(『Tour2006 「count 4 my 8 beat」』)も38本やって……。

喜多:『ワールド ワールド ワールド』のツアーは2年に渡ってやったからね(※)。

後藤:外タレじゃん(笑)。

山田:だからスケジュール的にはすごくタイトだったとは思います。

山田貴洋(ASIAN KUNG-FU GENERATION)

山田:そんななかで「もう1枚」ってなったときは、建さんも言ったとおり、ついていくのに必死だったかもしれないですね。でも言わんとしていることはわかるというか、バンド的にもカラッとした作品をどこかで欲していたところもあったんですよ。

ーリフレッシュする必要性を感じていたと。

山田:「このスケジュールでどこまでできるだろう?」みたいな思いはあったけど、すでにデモがあったから、それに乗っかれたのが大きかったかな。決して楽につくったわけではなくて、大変ではあったんですけど、『ワールド ワールド ワールド』ツアーの後半、ホールツアーになったときに、『サーフ ブンガク カマクラ』の再現をやったんですよ。

そのときの光景がすごく印象的で、最後に“新しい世界”で大団円を迎えて、あれであのシーズンが締めくくれたみたいな印象があって。そのときにやっと実感したかもしれないです。タイトな時期を乗り越えて、バンドとして大きくなれたなって。

伊地知(Dr):僕もみんなと同じで印象で、『未だ見ぬ明日に』までは1曲つくるためにとてつもない時間がかかったんですよ。とにかく突き詰めて突き詰めて、納得いくまでやるんで、一曲に2、3週間かかるみたいなことも全然あって。だから、最初は「この作業をまたやらなきゃいけないのか」と思ったけど、でもゴッチは「安心してください」って……。

後藤:履いてた?(笑)

伊地知:履いてましたよ(笑)。「一発録りでやるから、あんまり練習してほしくない」って言われて、最初僕たち的にはポカンだったけど、Weezerの1stアルバム(1994年発表の『Weezer』)と2ndアルバム(1996年発表の『Pinkerton』)をモチーフにして、「こういう音像でやってみたい」っていうデモを聴いてみたら、荒々しいけどかっこよかったんですよね。

で、実際にやってみてわかったのは、しっかり組み立てて曲をつくることはできるようになってきていたんだけど、即興的に演奏したものを音源としてリリースできるだけの体力はまだなくて、それをあの制作で学ぶことができたのはよかったなって。

伊地知潔(ASIAN KUNG-FU GENERATION)

後藤:正解を緻密につくるとね、そこから外れたくなくなっちゃって、「あってるか、間違ってるか」みたいなことに執着しちゃう。

潔はもともと「基本的にコードがあっていれば毎回違ってもいいでしょ」みたいなモードでも演奏できる人だったけど、ほかの3人は「演奏してる」っていうよりも、「自分のフレーズや楽譜を追いかけてる」みたいになっちゃってたから、「そういうことじゃないよね」みたいな気持ちがありましたね。

ー『ワールド ワールド ワールド』を緻密につくり込んだのは、当時さまざまなプレッシャーもあったなか、「音楽的な高みを目指したい」という強い気持ちの表れだったわけですよね。

後藤:そうだったと思います。「ナメられたくない」みたいな気持ちもあったと思うし、進歩したい気持ちがあって、『ファンクラブ』からの流れでもっと難しいことをやってやる、みたいに意気込んでた。

それをポップのほうに引き戻して、『ワールド ワールド ワールド』を完成させたつもりだったけど、「それにしてもムズイ」みたいなことをホリエくん(ストレイテナーのホリエアツシ)とかにも言われて。当時そういう自覚はまったくなかったんですよ。

最初“或る街の群青”のセッションで、「これ20分ぐらいにしたい」とか言ったのを潔に止められたりして、だいぶポップのほうに戻したつもりだったけど、それでも「こんがらがってる俺たち」がそこにはあったのかな。

後藤:実際面倒くさいは面倒くさいんですよ、『ワールド ワールド ワールド』の曲をやると。前のツアーで“トラベログ”とかやったけど、1周だけコードが違うとか、なんでここで8分の7拍子になるのかとか意味わかんなくて、「誰に向けてこの変拍子をやってるのか」みたいな(笑)。

ーあははははは。

後藤:当時はそういうちょっとひねくれたり、すかしたりするのを自分たちの成果として認めたり、喜んだりしてたんだけど、ちょっと違うなと思いなおしました。「なんでこんなアレンジにしてんだよ!」みたいな、自分で自分のトラップにやられるっていう、そんなのが多かったですね。

ーもちろんそれによって達成したものも大きかったんだけど、「考えすぎながら演奏するのもどうなんだろう?」というところから『サーフ ブンガク カマクラ』ができて、『未だ見ぬ明日に』を含めた3作を形にしたことでバンドは次に進んでいけたと。

後藤:そうですね。その次は『マジックディスク』(2010年)なので、まただいぶ分裂していくっていうか、また僕の独立心が「もっとやってみたい」って気持ちが上がっていく。「もうセッションはやりきった!」って手応えがあったからDAW(※)を使うようになるんですが、そこからまたバンドとしての可能性が広がっていったんです。

ーそれから15年が経過して、今回『完全版』が完成したわけですが、ソングライティングに関しては当初のコンセプトを踏襲して、パワーポップを意識してつくっていった感じでしょうか。

後藤:そうですね。ただ5曲つくった段階ではこういう並びにするかどうかは未確定で、2枚組にするかもしれないし、昔の曲を録りなおさない選択肢もあったんです。ただ、旧作と混ぜてプレイリストがつくられた場合に、圧倒的な音像の差が生じるから、それは嫌だなと思って、じゃあ録りなおしをしようって。

ーオリジナルは一発録音だったわけですが、今回は?

後藤:普通の録り方をしました。いつもどおりドラムとベースをまず録って、リズムギターは一緒に録ったものもあれば、そのあとリテイクしたものもあり、建ちゃんのギターはほぼダビングで重ねた感じですね。

ーオリジナルと今回の再録を聴き比べると、音像はまったく違います。そこはやはりこの15年のあいだにバンドサウンドを追求してきたからこそですよね。

後藤:オリジナル版のときは湘南のスタジオに機材をセッティングして、そのときは4人でせーので録ることがひとつの目的だったけど、今回はちゃんと音色を考えて、曲にあういい音を捕まえていきました。

前のは一筆書きみたいだったけど、今回はポストプロダクションも含めてしっかり構築して、最新のパワーポップをつくりにいくっていうかね。ドラムひとつにしてもめちゃくちゃいろんな録り方があるから、ドラムテックやエンジニアと相談しながらつくっていきました。

そのなかで「これはやらない」ってことも決めて、たとえば、トリガーで全部キックを差しかえちゃうのはナシだよねとか。ちゃんと俺たちの音を使って、そのうえでどういまっぽいロー感を出せるか考えたりしました。

ーあくまでバンド4人で音を鳴らすことを前提に、そのうえでどう最新にするかを模索した。

後藤:そうなんです。そういう意味ではこれまでいろいろ培ったレコーディングワークの経験を活かしながら、なるべくナチュラルに、オーガニックさを失わないように録っていく作業でしたね。

ードラムのサウンドメイクに関しては、当時との違いをどう感じていますか?

伊地知:オリジナル版のときは、ほとんどの曲でみんなの音がドラムのマイクに被ってしまっていたんですよ。ギターアンプが入っている部屋の扉を開けっ放しにして、なおかつその部屋の隅に置いてある部屋の鳴りを録るマイクをメインでミックスしたので、ドラマーとしては音づくりにこだわったところで、最終的にあんまり意味がなくて。

でも今回はタムの一つひとつの音づくりにもこだわったし、スタジオのロフトみたいなスペースにドラムセットを持って行って録音したら、逆にそこが一番音がよかったり、そういう試行錯誤が楽しかったですね。最終的なマスタリングも上手くいって、とにかくレンジが広くて、めちゃくちゃ分離がいい。まったく別ものができたので、聴き比べていただけたら嬉しいです。

ーギターも厚みが増していたり、ピッキングハーモニクスが目立ってたり、いろいろなポイントがあったかと思いますが、「最新のパワーポップ」という意味ではどんなことを意識しましたか?

喜多:ゴッチのデモにギターを入れて返すときに、当時『Van Weezer』(2021年)をよく聴いてて、だから若干ピッキングハーモニクスが多めなのかもしれない(笑)。

ーそれこそWeezer自体もちゃんと進化していて、現代のパワーポップを鳴らし続けているバンドなわけですよね。

喜多:ギターバンドのサウンドデザインはやっぱり気になります。どういうローが鳴っているんだろうとか、分離はどうかとか、ミックスのときに聴き比べたりはしますね。ちゃんと2023年に出る作品として、トレンドは無視できないなって。

後藤:でもFoo Fightersの新譜(2023年リリースの『But Here We Are』)はめちゃくちゃFoo Fightersだったなあ。だから「トレンドとか気にせずもうこれでいい!」ってときもある。デイヴ・グロールの声がダブルなだけで萌えるっていうかね(笑)。

喜多:あとは“石上ヒルズ”にしろ“柳小路パラレルユニバース”にしろ、今回の新曲がどれもよかったから「再録したい」って気持ちがさらに強くなったのもありましたね。

後藤:よかった〜。ダメな曲だったら断られてたのか。

喜多:『サーフ ブンガク カマクラ』は僕らにとっても大事だし、ファンにとっても大事な作品だと思うので。でも今回「逆に新曲のほうがいいんじゃないか」って言われるぐらいの5曲ができたんじゃないかと思ってます。

アルバムリリースに先駆け、5つの新曲とアルバム未収録の“湘南エレクトロ”をコンパイルした配信EP『サーフ ブンガク カマクラ(半カートン)』を聴く(Apple Musicで聴く / Spotifyで聴く)

ーベースもやはりローの出し方をはじめとしたサウンドの進化がありつつ、プレイ自体はパワーポップらしいというか、ルート弾きの割合が高めで堅実に楽曲の土台を支えていますね。

山田:ここ何年かは「シンプルなフレーズをいい音で録りたい」って気持ちでやってるんですけど、今回はミックスの段階で結構エンジニアさんとやりとりをしました。

ロー感に関しては『ホームタウン』(2018年)のころからゴッチのビジョンに寄り添いつつ、突き詰めてる部分ではあるんですけど、ギターバンドのサウンドのなかでいかに気持ちよくローを出していくかはまだまだ課題を感じてて。でも今回エンジニアさんといろいろ話しながら、かなり気持ちいいところまでたどり着けた感じはありますね。

後藤:今回プラグインも使ってるけど、基本的にはアナログで処理した無理のない出し方で。そのあたりは山ちゃんめちゃくちゃこだわるから、俺らがわからんとこも修正してたよね。

山田:ロー感のさじ加減で「あれ? こんなふうに弾いたっけな?」みたいなのが出てくるとすごく気になっちゃうんですよ。でもちょっとミキシングが変わると全然気にならなくなったりして、そのあたりもこれからの課題というか。ミックスまで見据えて録音する必要があるフェーズになってきていますね。

後藤:おもしろいですよね。みんなキャラが違うから。でもみんな自分のパートにはそういうところがある気がする。僕も歌はすごく気にしちゃうから、結構歌いなおしすることがあるんですけど、今回は山ちゃんが一番粘ってるなって感じでしたね(笑)。

ー歌詞に関してはどんなことを意識しましたか?

後藤:湘南が舞台ではありますけど、やっぱり当時のようには見られないから、ちゃんと年齢を重ねた人間の目線というか、「中年の目線で見た湘南の青春」って感じの歌詞になっていると思うし、それでいいと思ってます。

後藤:駅名が昔の駅名になっているのも(※)、そういう視点のズレがあるからいいんじゃないかってとらえてますね。無理して青春を歌うんじゃなくて、いまこの場所から見る湘南をちゃんと歌えば幅が出るし、作品としていいかたちで着地するんじゃないかと思って書きました。

ー“和田塚ワンダーズ”はまさにその視点が感じられます。

後藤:そうですね。“日坂ダウンヒル”の<坂道を上まで登り切って/肩で息をしてる>とかも自分たちっぽい感じがする。

人間はずっと諸行無常というか、アップダウンがあって、ずっと登り続ける人なんていないわけで。バンドのキャリアとしてももう折り返し、なんて言いたくはないけど、でもやっぱり無限に成長していくプランは不自然じゃないですか。それは資本主義社会を例にとってもそうかもしれないけど、どこかで自分たちの老いや別の豊かさを意識してかなきゃいけないっていうかね。

ー“石上ヒルズ”で<転がる岩ならどこまでも行ける>と歌っているのは、『ワールド ワールド ワールド』に収録されている“転がる岩、君に朝が降る”を連想させる部分で、グッとくるポイントでした。

後藤:ちなみにこれ書いたあとに『ぼっち・ざ・ろっく!』のカバーの話があったんですよ(※)。あれがあったからあえて入れたんじゃなくて……預言になってしまったっていう(笑)。

ー2008年当時に『 ワールド ワールド』と『サーフ ブンガク カマクラ』を連続してつくっていたように、今回も『プラネットフォークス』と『完全版』を連続してつくっていて、それによってバンドを見つめなおした部分もありましたか?

後藤:パンデミックの期間は結果的にめちゃくちゃ曲をつくってたので、たしかに当時と同じぐらいのクリエイティブの爆発はあったかなって感じはします。

喜多:そう考えると、今回のツアーが終わったあとにまた新しい作品が……まだわからないけど。

後藤:うん、いまは想像もつかない。

喜多:でも最近ギターフレーズを考えるのが一層楽しくなってきたというか、まだまだいけるなって感じがあって。「もう1曲、代表曲といえる曲をつくりたいよね」って話もしていたりして、まだまだ転がっていきそうだし、またゴッチが何を言い出すかはわからないけど(笑)、でもそれを楽しもうかなと思ってます。

伊地知:たしかに今回、15年前と一緒というか、一旦リセットをかけるような気持ちで楽しめましたね。今回新しくできた5曲もそんなに練ってつくったものじゃなくて、いまある知識を使っていいものをつくる、みたいな感じだったので。

これまで3桁以上曲をつくっていますけど、その資産だけで生きていきたいとは思ってなくて、「日本人の誰でも知ってる」みたいな曲をつくりたい気持ちはありますね。

山田:今回、建さんのギターを聴いて、すごく能動的に楽しんで弾いてるように感じたんですよ。さっきも「また楽しくなってきた」って言ってたし、実際より楽しんでアレンジしてたんだろうなって。

後藤:建ちゃんノってきてるよね、最近ね。

山田:やっぱりギターサウンドをつき詰めてずっとやってきたわけで。『プラネットフォークス』とこの『完全版』で、よりギターバンドとしていいところまで来てる感じがするし、そこがアジカンをアジカン足らしめている部分だとあらためて思いました。

後藤:「みんなで集まってやったらこうなるよね」みたいな気持ちもあるっていうか。サウンドの流行がどうであろうが、あんまり気にならなくなってきた感じはあるかもしれない。「いまの主流のビートが何か」とかに興味はあるけど、でも別にそれを俺たちがやらなきゃいけない理由はないし。いまって「らしくいる」ほうが難しいと思うんですよ。

これだけ音楽が溢れていて、うっかりしたら何かに似ちゃう時代で、違いを見せるのがめちゃくちゃ難しい。そういうなかで、集まって何かやるだけでアジカンっぽくなるのは、ものすごいアドバンテージだし、なかなか成し遂げられることじゃないなって感じますね。なので、そこを上手に使いながら、「らしさ」を失わずに、新しいこととかおもしろいことを考えていけたらいいんじゃないかなと思いますね。
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