大引啓次がプロ野球選手として体験したお金のリアル 年俸の理想的な上がり方と下がり方

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2023年11月20日 10:11  webスポルティーバ

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「プロ野球で1億円稼いだ男のお金の話」 大引啓次(前編)

 昭和のプロ野球では、一流の基準として「1000万円プレーヤー」という言葉があった。現在、一軍選手の最低年俸が1600万円に設定されていることを考えれば、そのハードルは5000万円、いや、1億円くらいまで上がっているかもしれない。NPBでランキング50位に入るためには、1億5000万円を稼がなければいけない。

 3年〜5年活躍すれば年俸が1億円の大台に乗る、そんな選手も珍しくなくなった。しかし、プロ野球選手には寿命がある。どんなにすばらしいスターも衰えとは無縁ではない。もう戦力にならないと判断された時は、すぐに働き場所を奪われる。そうなれば年俸はゼロ、無収入になってしまうのだ。「天国と地獄」を経験した元プロ野球選手に登場してもらい、お金にまつわるさまざまな話を聞いていこう。

 今回ご登場いただいたのは、オリックス、日本ハム、ヤクルトで13年間プレーした大引啓次氏。現役時代は好守・巧打のプレーヤーとしてオールスターにも3度出場。球界を代表する選手として活躍した大引氏に、プロ野球の世界について語ってもらった。

【理想的な年俸の上がり方】

── 大引さんは2002年春、浪速高校(大阪)2年生の時にセンバツ出場。その後、法政大学に進学してすぐにレギュラーポジションをつかみ、4年間で通算121安打(歴代4位)を放ちました(打率.331)。首位打者を2回獲得し、ベストナインは5度受賞しています。2006年ドラフト会議でオリックス・バファローズから3巡目指名を受けて入団。契約金は8000万円、年俸は1200万円でした。契約金を実家の神須牟地(かみすむぢ)神社に寄進したことが話題になりましたね。

大引 そういう報道になりましたけど、それまで育ててもらった感謝の意味で、契約金を親に預けたということですね。移動のためのクルマは購入しましたが、それ以外はすべて任せました。神社への寄進は親がやってくれたんだと思います。通帳に何千万円という数字が並んでいるのを見た時にはひっくり返るかと思いました。契約金の数字を見て震えた覚えがあります。ここから翌年の税金を払うことになるのは知っていましたし、いわば退職金代わりのものですから、簡単に使えるものではありません。

── プロ1年目の2007年開幕戦、スターティングラインナップに名を連ね、新人にとって難しいとされるショートのポジションを1年間守り抜きました。126試合に出場し、規定打席には2だけ足りなかったものの、打率.274という好成績を残しました。

大引 プロに入ってから思ったのは、「一軍の選手はあまりお金を使う機会がないな」ということです。球場までの行き帰りのガソリン代くらい。遠征に行けば、ホテルで食事が出るし、外食する時には先輩が払ってくれることも多い。だから、普通にしておけば勝手に貯まっていきます。

 二軍の選手は練習が夕方に終わるので時間を持て余して、遊びに行くことが多いようですね。口に出したことはありませんが、「遊びに行く時間があったらバットを振れよ」と思っていました。プロ野球は、頑張れば年俸が2倍にも3倍にもなる世界です。そんな仕事はほかにはあまりありません。

── 大引さんの年俸は1200万円から2800万円に上がりました。2008年は88試合に出場して打率.258という成績で2800万円から3100万円に。2009年は打率.278(107試合出場)で3100万円から4500万円になり、2010年のシーズンオフには年俸が5000万円を超えました(5800万円)。

大引 私は大卒なので2年で寮を出ないといけなかったんですけど、「どれだけ金を貯めるんや」と言われても、4年間バファローズの寮にいました。食事は好きなだけ食べられるし、練習の環境も整っています。24時間お風呂にも入れます。やろうと思えば、いつでも、いくらでも練習できます。年俸が低い育成契約の選手でも、生活する分には支障はありません。日本のファームの設備、システムはすばらしいですよ。逆に、恵まれ過ぎているのかもしれません。

── プロ5年目の2011年は127試合に出場して、初めて規定打席に到達しました(打率.244)。つなぎ役に徹して、自己最多の42犠打を記録しています。翌年も110試合に出場しています(打率.224)。

大引 プロ入り後、早い段階から年俸が上がり、それなりに裕福な生活をさせていただきました。プロ野球選手としては理想的な年俸の上がり方、保ち方だったかもしれません。1年だけたくさんもらっても、税金を考えれば手元にはあまり残りませんから。

【電撃トレード、FAを経験】

── 2013年の春季キャンプの直前、日本ハムへの電撃トレードが決まりました(北海道日本ハムファイターズの主力選手だった糸井嘉男、サウスポーの八木智哉と木佐貫洋、赤田将吾との2対3のトレード)。この年、2度目の規定打席に到達、32犠打、13盗塁も記録しています(年俸は5600万円→7000万円に)。

大引 この年、初めてオールスターゲームに出ることができました。2014年にはキャプテンを任されて、いい成績も残せました(自己最多の132試合に出場し、打率.245、キャリアハイとなる21盗塁を記録した)。

── そのシーズンオフに国内FA宣言を行ない、3年契約(3年総額3億円)を結んで、スワローズに加わることになりました。

大引 脇腹を痛めたこともあって、2015年は96試合にしか出場できませんでした。でも、スワローズの14年ぶりのリーグ優勝に少しは貢献できたと思います。

── しかし、出場機会は減っていきます(2016年は100試合、2017年は80試合、2018年は47試合)、2018年の契約更改では25%の減額制限を大幅に超える40パーセントのダウンを飲み6000万円→3600万円)、2019年限りでユニホームを脱ぐことになりました。

大引 私は年俸2億、3億と稼ぐことはできませんでしたが、落ち方が緩やかだったのでプロ13年間で多少の貯蓄をすることができました。もしかしたら余裕があるように思われるかもしれませんけど、一生遊んで暮らせるほどではありません。

後編につづく>>


大引啓次(おおびき・けいじ)/1984年6月29日、大阪府生まれ。浪速高2年時に春のセンバツ大会に出場。法政大では首位打者2回、ベストナイン5回を獲得し、2006年の大学・社会人ドラフトでオリックスに3位指名を受け入団。好守・巧打の内野手として活躍。13年1月にトレードで日本ハムに移籍し2年間プレー。14年オフにFA権を行使してヤクルトに移籍。19年に現役を引退した。20年に学生野球資格回復の認定を受け、翌年には日本体育大学大学院に入学。コーチングを学びながら同校の硬式野球部臨時コーチに就任し、学生の指導を行なっている

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