「味の素」がペルーやナイジェリアでも人気になった背景とは ノンフィクション作家・黒木亮インタビュー

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2023年12月02日 12:11  リアルサウンド

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 誰もが知るうま味調味料の「味の素」。海外でも広く使われている日本発の製品の一つだが、その普及の過程には、味の素株式会社(以下、味の素)の現地法人による独特の販売戦略があった。チームはグリーンベレーと呼ばれ、米国陸軍特殊部隊と同じ異名をとる。グリーンベレーの活躍によって、味の素は世界中で愛される商品になった。


 味の素の現地法人は、文化も、味覚も、宗教も異なる海外の市場をいかにして攻略してきたのだろうか。それを群像劇によって克明に描き出したノンフィクションが、黒木亮による『地球行商人 味の素グリーンベレー』(中央公論新社)である。世界各国での活動に焦点を当てた異色の企業小説は、どのように執筆されたのか。単独インタビューで明らかにした。(山内貴範)



ユニークな販売戦略をとる味の素

――味の素を舞台に企業小説を書こうと思ったきっかけはなんでしょうか。


黒木:私は証券会社の事務所長としてベトナムのハノイに駐在したことがありますが、その頃に、味の素が海外で面白いことをやっていると聞きました。それから20年近くたって、別件でエジプトに行ったときに、味の素の現地法人社長の宇治弘晃さんから詳しく話を聞かせてもらい、ああ、これは作品にしたら面白いなと確信しました。宇治さんはサービス精神が旺盛で、行商に連れて行ってもらえる機会もあり、その中で取材を重ねていきました。味の素の人たちは同じように金融機関でずっと現場の仕事をやっていた私に親近感を持っていろんな話を聞かせてくれたので、取材も順調に進みましたね。


――今回の作品の魅力は、群像劇として描いている点にあると思います。


黒木:そうですね。1人だけに焦点を当てると物語として弱いので、世界各国の現地法人の社員を何人か紹介してもらい、群像劇として、味の素のグリーンベレーの姿を描きました。実際、1人でできる仕事なんて作家ぐらいのもので(笑)、企業のビジネスには多くの関係者がいますからね。また、国によって文化が異なるので、営業や研究開発の手法も違いますし、日本では想定できないようないろんなことが起きるのです。僕も取材中、目から鱗が落ちる経験をたくさんさせてもらいました。


――特に興味深かったエピソードを挙げるとすれば、なんでしょうか。


黒木:ナイジェリアにある味の素の現地法人、ウエスト・アフリカン・シーズニング社の技術担当取締役の小林健一さんは手品を使って現地の人に溶け込もうとするなど、現地密着型で仕事をしようと努力してきました。ところが、いまだに呪術や魔術信仰の強いナイジェリアで、手品を披露したら本当の魔術だと思われて、「小額紙幣を高額紙幣に変えてくれ!」と迫られたとか、エピソードひとつとっても興味深いものがあるのです。こういうエピソードを丁寧に拾いあげて、物語を紡いでいきました。


――それにしても、現地法人の社員のモチベーションは相当なものだと思います。解決不可能と思われる難題に、みんなで頑張ってぶつかっていく。この団結力はどこから生まれているのでしょう。


黒木:海外に赴任したら、味の素に限らず、その国では会社の代表みたいなものですから。私自身も、国際ビジネスの現場にいたときは文化と文化の衝突はたくさん見てきました。味の素の社員たちが、必死に解決策を見つけようと汗を流す姿が印象的でしたね。


現地の人の味覚を研究していく

――文化という意味では、味の素の販路を拡大するうえで重要な“味覚”を例に挙げても、国によって異なりますよね。


黒木:研究者である小林さんによると、現地法人に赴任した人は、自分の舌を現地の人と同じ味覚に変えないといけないそうです。よく、海外には寿司や天ぷらなどの“なんちゃって日本食”がありますよね。あれらは我々から見て違う点が多いのですが、現地の人はおいしいと感じているわけです。現地の味覚を知ることで、自社製品の課題もそうだし、売り方もわかっていく。これはあらゆる企業で有効な手段だと思います。


――味の素を使うと、日本人には美味しくなったと思えても、現地の人には必ずしも好まれない例が紹介されています。


黒木:インド人が日本でインドカレーを食べると、甘すぎると感じるのと同じでしょう。こうした味覚の違いは大きくて、赴任から6ヶ月くらい経て、ようやく現地の味覚がわかってくるそうです。また、小林さんは今、ペルーでラーメン店に卸す生麵を作っているのですが、日本で受けるいわゆる縮れ麺は現地で受けないため、太麺が中心だそうです。本だって、読者が読みたいと思うものを書かないといけませんよね。求められるもののストライクゾーンに投げ込むことは、商売をやる上で世界共通の課題だと思います。


――現地の人たちが信仰する宗教によっても、求めるものが違ってきますよね。


黒木:イスラム教の信者が多い国は特に難しいそうです。それは、日本のように、食べ物に関する戒律がない国だと驚天動地でしょう。また、味の素は貧しい大衆からの支持も大きいので、現地の貧困問題と向き合いながら仕事をすることも多いといいます。


――味の素がそこまで現地の多様な文化に理解を進め、販売戦略を立てていることに改めて驚かされます。ファストフードなどの多国籍企業が、基本的に世界共通の味を提供しているのとは対照的です。


黒木:マクドナルドやコカ・コーラは、自分たちの作るものは世界共通で美味いと思ってもらえるのだ、と考えて売っているのでしょう(笑)。対して、味の素は調味料ですから、現地のどんな料理に合わせるのかがカギになります。何しろ、「何でもおいしくする味の素」の魅力を伝えなければいけないので、現地法人の社員は自分たちで食べ歩いて、ぴったりな料理を探していくそうです。


――黒木さんも、現地の社員と交流する中で、いろいろな食文化に触れる機会があったのではないでしょうか。


黒木:ナイジェリアでは、現地の人たちと食事に行きました。現地の食堂の客は、みんな味の素をかけて食べていましたね。また、北部のカノという町の道端で食べた醤油風カレー味の鶏がすごく美味しくて印象的でした。あと、エジプトの大衆食堂ではコシャリ(注:エジプトのピラフ)が美味しかったです。私がカイロに留学していた1980年代は、屋台で1杯50円くらいで売っていて、食べるとかなりの確率でアメーバ赤痢になるような代物でしたが、今はだいぶマシになりました。ガーナの巨大カタツムリの煮込みを食べる機会はありませんでしたが。


味の素がもつ独特の企業風土

――味の素を発明した池田菊苗は、“うま味”という新しい味覚の概念を広めました。日本人には慣れ親しんでいる味覚ですが、海外ではどのように感じるのでしょうか。


黒木:ペルーや東南アジアでは既に定着して久しいですね。味の素はレストランなどに大量に卸され、うま味調味料として使われています。私も現地で料理を食べると、あっ、これは味の素を使っているな、とわかるようになりました。現地法人を設立する際も決して闇雲にやっているわけではなく、普及しそうな下地がある国をリサーチしているそうです。例えば、魚の出汁を料理に使っている国は、味の素が受け入れられる素地があるそうです。


――日本の企業が海外で販路を開拓する際には、現地の商社や問屋と組んで行うケースが多いですよね。黒木さんの著書を読むと、味の素は直販にこだわったのが勝因だったのではないかと思います。


黒木:ベトナムは宇治弘晃さんがいた1990年代は管理部門の社員を入れても全部で150人くらいでやっていたのが、今は営業スタッフだけで1000人以上いるそうです。利益は小さいけれどたくさん売れれば儲かると考え、ちょっとずつ根付かせていって大きな商流にしていく。食品はそういう商売の仕方が有効なのかもしれません。


――しかし、国内でも商品を普及させるには一苦労なのに、文化も宗教も味覚も違う国々で、ここまで根気強く続けられた原動力はどこにあったのでしょう。


黒木:宗教のような信念で続けたのが大きいんじゃないかな。現地法人の取材をする中で、社員は誰もが好奇心旺盛で、仕事だけでなく、現地の暮らしも興味を持って楽しんでいると思いました。私も様々な業界を取材してきましたが、社員が楽しむ心の余裕を持って取り組んでいるビジネスは広がっていくし、商売もずっと残っている印象を受けます。それは作家にも同じことが言えるでしょう。取材して歩くのは、半分趣味の世界の延長線のようなものですから。


――味の素の企業風土も影響しているのでしょうか。


黒木:積極的に面白いことをやってみよう、と挑戦する企業風土は確かにあると感じます。今回の本にしても会社に頼まれて書いたわけではなく、社員がしゃべったことを勝手に本にしているわけです。それに対し、本社がクレームを言ってくるようなことがないっていうのは、凄いことですよね。小林さんも宇治さんもその他の人たちも、技術面の機密事項は別として、営業の手法については事細かに話してくれた。本当に驚きだと思います。


――営業のノウハウも機密事項にしている企業もたくさんあるわけで、あまりにオープンな企業風土に驚きです。


黒木:やれるならやってみろ、という自信を持っているのだと思います。グリーンベレーはいわば指導者のチームなので、実際に売るのは現地で採用された社員たちです。今もアンデスの山中でペルー人社員たちが味の素を売っているし、ナイジェリアの奥地でもナイジェリア人社員たちが1点1点売り歩いている。この仕組みを20〜30年かけて構築してきたわけですから、一朝一夕で真似できるものではないという自信はあるのでしょう。


海外に出たい若者にもヒントになる

――味の素のように、日本の製品でまだまだ海外に受け入れられそうなものはたくさんありそうです。


黒木:時間はかかるかもしれないけれど、日本の製品で海外にもっていけばいいだろうなというものはたくさんありますよね。例えば、この20年くらいで日本食は世界中に認知されるようになったし、私が住むロンドンにも寿司屋がものすごく多くなりました。海外の宅配便も、昔は一日中待っていないといけなかったのが、今では時間指定ができるようになったりと、日本的なサービスの概念を受け入れて進化しています。大衆が消費する製品やサービスのニーズは、世界共通だと思います。そのことに気づき、いかに現地に根付かせるかがポイントでしょうね。


――味の素の挑戦は、他の企業にとっても参考になりそうですね。


黒木:私はこの本を多くの人に手に取ってもらいたいし、若い人にも読んでほしいと思っています。世界はこんなに違うし、日本に閉塞感を感じるなら、海外で働くという選択肢もあるのだよと訴えたい。ただ、海外で働くなら、第一に仕事が面白いと思えなければ難しいとも思いますが。


――本文でコロナ禍以降のことも触れられています。食文化に関しても変化は見られましたか。


黒木:食に関しては、情勢はある程度変わったと思います。外食の機会が減り、巣籠もり需要で味の素はますます使われるようになり、株価も3倍近くまで上昇しています。海外に進出している食品メーカーは経営状態が良い会社が多い感じがします。


――長期にわたる取材で本を書き上げた黒木さんの、今後の活動も気になります。


黒木:僕は昔から深田祐介さんの『商人シリーズ』のような国際経済小説が好きで、政治経済の激動に巻き込まれた日本人ビジネスマンが、奮闘したり悲劇的な最期を遂げる物語を読んできました。『地球行商人 味の素グリーンベレー』は、まさに自分が長年読み親しんできたテーマで書けて、本当に良かったと思います。国際経済小説の需要は潜在的にあるはずなので、今後も現地の政治情勢の中で翻弄されつつも、奮闘していく日本人駐在員の生きざまを書きたいと思っています。


■書籍情報
『地球行商人 味の素グリーンベレー』
著者:黒木亮
価格:¥2,420
発売日:2023年10月10日
出版社:中央公論新社


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