「夫と娘を残して死にたくない」がんで余命1か月を宣告された女性が、家族へ伝えたい言葉

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2024年01月12日 10:30  週刊女性PRIME

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彩乃さん

「夫と娘を残して死にたくない」

 そう語るのは、昨年8月23日に女の子を出産した首藤彩乃さん(33)。彼女は今、念願の我が子を出産したばかりだというのに、ある病気と闘っている。

 不妊治療の末、ようやく女児を出産した彼女は産後、自身がステージIVのがんであることを知る。出産後退院するもがんによってまた入院。余命宣告を受けるもがんと闘う彼女。自身のSNSでは、新しい治療はないかと自ら情報を集めて闘い続けている。その姿を追った。

出産後にステージIVのがん宣告、余命1か月の母の心境

「娘のりずを授かる前に、私は2回流産していて、不妊治療専門のクリニックを受診し、やっとの思いで娘を授かりました。妊活中は、生活リズムを整えたり、有酸素運動を取り入れたり、食生活では妊活に必要な栄養を積極的に食べるようにしていました。不安はもちろんあったのですが、夫婦2人だけの妊活期間は、今となっては楽しくて、かけがえのない時間でもありました」

 そんな彼女が、身体の異変に気づいたのは妊娠発覚から、7か月ほど経ってから。

「右のみぞおちの胃のあたりが痛いなぁと感じるようになったのはその頃からです。担当してくださった産婦人科医には、妊娠中の胃痛だろうと、胃薬や点滴で対応してもらっていました。

 しかし、妊娠後期になると、ときおり背中を貫通するような激しい痛みが走ることもありました。初めての妊娠ということもあって、その時はそのまま過ごしていたんです。その後、陣痛促進剤で予定日より1週間早く娘を出産しました」

 念願の妊娠。初産ということもあり、彼女はその時の痛みを気に留めなかったそうだ。そうして出会えた我が子。初めて対面したときのことを彼女はこう語る。

「娘が産まれた時は、“え?私が本当に産んだの?”と、実感が湧かなかったです(笑)。でも、隣で、夫が“産まれたよ!よく頑張ったね!ありがとう!”と声をかけてくれて、娘を抱いた時、“あー私が本当にこの子を産んだんだ……”と、実感しました。よく見ると、夫に似ているところもあって、小さな手がとても力強く、そしてかわいい手でした」

 お腹を痛めて生まれた我が子と対面した時間はかえがえのないものだったと話す。そんな彩乃さんの体調が悪化し始めたのは、出産を終えてからだ。

「産後は、食欲もなくベッドから起き上がれない日が続きました。そうして、一気に体調を崩し、救急車で総合病院のERに運ばれることに。そこで私の身体の詳しい検査を初めて受けたんです」

 産後の異変から緊急入院。検査が終わったあと、彼女は医師から病名を告げられる。

「横行結腸がん 多発性肝臓転移ステージIV(※)でした。医師からは“余命は生命力が人それぞれなので、細かい事は言えません。がんを切除することが難しく、手術が出来ないため、治療することもここでは出来ない。なので、緩和ケア病棟に転棟​して下さい”と言われました」(※大腸がんの一種。そこから肝臓にも転移している状態)

 がんを宣告された当時の気持ちを彩乃さんはこう語る。

「“え?私は死ぬんですか?”と、ただ唖然としました。たった5日前に娘を産んだばかりだというのに、手術も治療も出来ず、ただ死ぬのを待つだけなの……」

 把握できない感情の中、彼女がただ思えたこと。

「死にたくない、夫と娘を残して死にたくない、ずっと一緒に居たい」

 それだけだった。

新たな治療、家族を思って決意した手術

 死を待つだけなのかと絶望している中、彩乃さんは、医師からとある提案を受ける。

“人工肛門をつけて、ご飯が食べれる様になって体力が戻ったら、ダメ元で抗がん剤治療してみますか?”と提案されました」

 人工肛門への戸惑い。ダメ元と言われながらも試す抗がん剤治療。しかし、彼女は手術をすることで病気を治す手段につながるのならと手術を決意する。

「人工肛門になって体力が戻ったとしても、抗がん剤が、効くかわからない。もしかしたら、逆に命を縮めるかもしれない。不安ばかりで押し潰されそうでした。でも、何もしないで死を待つのは嫌。できることがあるのなら、なんでもしたいと思いました。夫と娘と離れたくない。その想いが私を強くしてくれました」

 横行結腸がんのため、食事をとることが難しく、体力の回復が見込めないため、人工肛門への切り替えを提案された彩乃さん。まだ生きたい、家族でもっと一緒の時間を過ごしたい一心で、手術を決意し、人工肛門の手術を終える。すると徐々に体力が回復し、抗がん剤治療を始められるまでに復調した。

「当初は寝たきりで、歩けなかったのが、リハビリで無事歩けるまで回復しました。抗がん剤も3クール目まで順調に進むことができました。でも4クール目で抗がん剤が効かなくなったんです」

 つらい抗がん剤治療を乗り越えるも、肝臓のがんが拡大し、閉塞性胆嚢炎《※》も発症。そこで、閉塞性胆嚢炎の手術をする事になる。《※右上腹部痛や心窩部痛、あるいは右背部痛などに加え、悪寒戦慄、発熱などがある。黄疽を呈することが多い。なかには、急にショック症状や乏尿や腎障害、さらに意識障害を呈するものもある(東京都立病院機構より引用)》

「術後、医師から話されたのは、“このまま、黄疸の数値が高ければ、抗がん剤治療が出来ない”ということでした。

 どうにか生き残ることはできないのか、その思いで病気を調べていくと、黄疸の数値が下がったら分子標的治療《※》があることわかりました。

 私はすぐにでも分子標的治療をはじめたかったので、専門の病院へと転院し、セカンドオピニオンをすることにしました。しかし、セカンドオピニオンの結果は“分子標的治療の効果がでなければ、余命1か月”という宣告でした」

《※分子標的治療とは、がん遺伝子により産生されるタンパク質などを標的として、その働きを抑えたり、「がん周囲の環境を整える因子」を標的にして、がん細胞が増殖しにくい環境を整える治療法(特定非営利活動法人日本肺癌学会より引用)》

 しかし、余命1か月を宣告されても彼女は今、前向きに治療を続けている。

「黄疸の数値が少し下がったので、このまま下がる事を期待しながら、分子標的治療を開始しました。

 分子標的治療の副作用は、下痢、脱毛、脱力感などたくさんありますが特に肌の荒れを感じます。肌を清潔に保ち、保湿をしっかりしないと、すぐに荒れてしまう。副作用はつらいけれど、家族と会えなくなってしまうことの方がもっとつらいので、諦めずに続けています」

母親として私はこの子に何も出来ていない」

 つらい状況の中でも、彩乃さんの声色は決して暗くない。なぜなら彼女には“心の救い”があるからだ。

「治療をするにあたり、心の救いは、夫と娘とのテレビ電話でした。面会が一切ダメという環境で、精神的にもつらくなるなか、毎日のテレビ電話が唯一の楽しみでした。この手で娘と夫を抱きしめたい。成長する娘を夫と一緒にそばで見守っていきたいと思えたんです」

 今は数日間の入院と退院を繰り返しながら分子標的治療をしている彼女。家に帰ってきたときに少しずつ成長している娘を見て、ふと思うことがある。

「“母親として私はこの子に何も出来ていない……。私は、ただ、抱きしめたり、遊べる時は遊んで、ママはりずの事、大好きだよ愛してる”って、毎日伝える事しか出来ません」

 無力感に苛まれることもあると話す彩乃さんだが、彼女は生きることを諦めない。力強くこう話した。

「最初はいっぱい考えました、何故、私が……? やっと子どもを授かって、今からやりたい事、いっぱい思い出も作って、辛いことも悲しいことも幸せと思える毎日が待っていると思ってました。病気が発覚して、生活が一気に変わってしまった。でも、とにかく出きる事・治療法があるならば、私はなんでもする。少しでも長く生きて家族との時間を過ごしたい。そのためにいろんな情報を得て、できることはなんでも試したいんです」

 最後に、彼女から記事を通して伝えたいこと記す。

《つらい副作用も、メンタルが弱ってる時も、夫と娘の存在、家族、応援してくれる友達が頑張る力をくれます。選択に迷った時は、後悔がないように、生きていきたい。そして、ほんとに毎日、夫がサポートしてくれる事が私の支えです。ほんとにありがとう、ほんとに愛しています!》

首藤彩乃さん●1990年生まれ。沖縄県出身。2023年に女児を出産。産後ステージIVの横行結腸癌 多発性肝臓転移が発覚。新しい治療法や病院を現在も探しながら、闘病生活をSNSで発信している。Instagram(

@a19900914

(取材・文/佐々木一城)

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  • 緩和ケアって、出産後に死の宣告…。体温を上げて笑って過ごしていただければと思います。
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