遠藤保仁らしい幕引き――「引退するまでは伏せていたい」知られざる戦い「ケガも友だち」

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2024年01月15日 10:51  webスポルティーバ

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遠藤保仁――知られざる"戦い"の軌跡(前編)

 遠藤保仁は、いかにも彼らしく、ふわりとスパイクを脱いだ。

 Jリーグひと筋で戦い抜いたプロサッカー選手としてのキャリアは、歩んできた人生の約半分にあたる26年。そのなかで、J1リーグ出場は歴代最多の672試合。日本代表としても、同じく歴代最多の152試合出場を数える。さらに、J2リーグやカップ戦、AFCチャンピオンズリーグを含めると、1100試合を超える公式戦に出場するなど、日本サッカー史に残る数々の偉業を達成してきた彼が、だ。

 本人の意向により、記者会見や引退試合は行なわないという。

「オフはオフなので、オフをとことん満喫したい」

 現役時代のオフシーズンにも繰り返し聞いたその言葉を、引退という節目にもサラリと口にし、新たなキャリア、古巣・ガンバ大阪でのコーチ業に向かう。

 自身のYouTube上で口にした、ともに戦った仲間やサポーターへの最後の挨拶は、まったく感傷に浸る様子もなく、笑顔で「バイバイ!」。現役時代から個人の記録にまったくと言っていいほど興味を示さなかった彼らしい幕引きだ。

 結果的に選手としてプレーした最後の舞台は12月16日、慣れ親しんだパナソニックスタジアム吹田での橋本英郎の引退試合と、12月17日の中村俊輔の引退試合のふたつ。その際は、かつての盟友たちとの再会を懐かしみ、楽しそうにボールを蹴る姿が見受けられたが、彼にとってはそうした仲間との時間こそが、最高の"ラスト"だったのかもしれない。

「懐かしい選手たちにも会えて、いろんな会話もできたし、一緒にプレーもできて楽しかった。いい思い出になりました。みんな老けたな、とは思いましたけど(笑)」

 彼がキャリアのなかで口にしてきた言葉の数々を思い出しても、そんな思いが強くなる。遠藤が戦い抜いた26年間を振り返る時、決まって蘇るのは、そのプレーはもちろん、彼が愚直に自身やサッカーと向き合ってきた姿だ。 

 その身に纏う、のんびりした空気、どんな状況にも動じない落ち着きもあってか、どことなくゆっくりと、涼しい顔でプレーしているように映ることの多い遠藤だが、彼に限らず、厳しい競争の世界に身を置くトップアスリートに、才能だけに甘んじて、そのキャリアを積み上げている選手はいない。

 彼も例に漏れず、自分が思うプレーを表現するため、チームを勝ちに導くために、何よりサッカーを楽しむために日々、真摯に自分と向き合ってきた。

「練習での取り組みは、ちゃんとプレーに出る。プロはそれで評価されればいい。必死に戦うとか、チームのために全力を尽くすのは当たり前として、ピッチの上で勝つための仕事をするのが、僕のすべて。パフォーマンス以外のことで注目されたり、自分を大きく見せるのはあまり好きじゃない」

 そんな思いもあってだろう。取材陣やファン・サポーターの目に映る場所以外での戦いについて、自ら明かすことはほぼなかったが、周りのスタッフ陣やチームメイトから、彼の見えない"戦い"について耳にしたのは、一度や二度ではない。

 実際、自主トレや体のケア、治療に至るまで、そのつど、自分に必要だと感じたことには真摯に取り組み、時代の流れに応じて備えるべきだと感じたことは――仮にそれが、彼にとって苦手なことだったとしても――目を背けずに向き合ったと聞く。「データには興味がない」としながらも、自身に直結するデータにだけは、細かく目を配ることも忘れなかった。

「過去のデータや、他の選手と比べたデータは必要としないけど、その時々で自分に直結するデータだけは、自分のいい部分、足りない部分を知る参考になるし、自分を成長させるには必要だと思う」

 本人の「引退するまでは伏せていたい」という意思を汲んでこれまで記事にすることはなかったものの、ガンバ時代は、出場を見送ってもおかしくないレベルのケガを押してピッチに立っていたこともあるし、タイトルを懸けた大一番で肋骨を骨折したままフル出場したこともある。それは、晩年のジュビロ磐田時代も然りだ。

 もちろん、ひとたびピッチに立てば、それをまったく感じさせないパフォーマンスを繰り広げ、試合後には涼しい顔で話していたが。

「幸いプレースタイル的に、そこまで局面でバチバチするタイプでもないのもあるけど、もし試合中にぶつかられて骨が内臓にでも刺さったら大変やから、意識的に球離れを早くしていました。それも、テンポやリズムを変える方法のひとつだと考えればいいというか......。

 もちろん、チームに迷惑がかかるレベルならもう少し慎重になったけど、そこは大丈夫。ピッチに立つ限り、チームには(自分がいることで)プラスしか与えないと思っていたから(笑)」

 30代後半に突入した頃だったか。夏場だけではなく、寒さ厳しい冬でさえも裸足にスリッパを履いていることを不思議に思い、真相を尋ねた時には、長らく踵痛に悩まされ、試合中は左右違う大きさのスパイクを履いて、踵への当たりを軽減させていると聞いた。

 そのせいで、プライベートでは靴を履かない......というより、「練習後は特に痛くて靴が履けないからスリッパ」なのだ、と。寒そうな足元を見て、「せめて靴下を......」と言いかけたところで、「大丈夫、このあと(車で)京都までパーソナルトレーニングに移動するだけだから」と返ってきた。

「パーソナルで今、取り組んでいるのは体幹と、姿勢のところ。あと、柔軟性。この先はケガをしないことも、ピッチに立ち続けるにはすごく大事になっていくと思うから。

 そのために、鍛える部位もちょっとずつ変えながら、体全体を強くしていくイメージでやっています。痛みはあるけど、この歳までやっていたら、痛いところがあるなんて当たり前。ケガも友だちだと思ったほうがいい」

 ピッチで繰り出されたプレーのすべては、まさしくそうした日々の継続によって生み出された結晶だった。

(つづく)◆遠藤保仁が追求し続けた「サッカーを楽しむ」>>

遠藤保仁(えんどう・やすひと)
1980年1月28日生まれ。鹿児島県出身。鹿児島実高卒業後、横浜フリューゲルス入り。同クラブが消滅後、京都パープルサンガを経てガンバ大阪へ。チームの"顔"として数々のタイトル獲得に貢献した。同時に日本代表でも主軸として活躍。2006年、2010年、2014年とW杯に三度出場。国際Aマッチ出場152試合、得点15。2020年10月にジュビロ磐田へ移籍。2023年シーズンを最後に現役から退く。引退後、ガンバのトップチームコーチ就任が発表された。

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