藤澤五月が語る「メガネ先輩」との戦い――「本当に珍しい」勝って涙が出てきた大会の思い出

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2024年01月18日 07:21  webスポルティーバ

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連載『藤澤五月のスキップライフ』
12投目:珍しく勝って泣いたニュージーランドでの試合

ロコ・ソラーレ藤澤五月の半生、"思考"に迫る連載『スキップライフ』。今回は、相当なプレッシャーを抱えて臨んだ2012年のPACC(パシフィック・アジア選手権)での戦いについて振り返りつつ、軽井沢アイスパーク完成当時のことに思いを馳せる――。

【五輪へのプレッシャーと戦った2012年のPACC】

 2012年11月、ニュージーランドのネイズビーで行なわれたPACCに出場しました。

 私にとって、日本代表(当時中部電力)としての2度目の国際大会です。1度目はその前年に中国・南京で開催された同大会で、成績は4位でした。その結果、日本は翌年の世界選手権に出場できず、とても責任を感じていました。

 当時のレギュレーションでは、このネイズビーのPACCで2位以上の成績を残せず、再び世界選手権に出場できないとなると、日本はその時点で2014年ソチ五輪の出場資格を失ってしまいます。ですから、非常に重要な大会でした。

 ネイズビーはクライストチャーチから南西に200kmほど進んだ"The 大自然!"といった美しい街でしたが、「負ければ五輪出場への道が絶たれてしまう」というプレッシャーはずっとあって、景色を十分に楽しむ余裕などありませんでした。

 覚えているのは、大会中はホテルではなく、会場近くの小さな民宿みたいなレンタルハウスを借りて過ごしたことです。バスタブがなかったので、トレーナーさんがよい香りのするマッサージオイルでふくらはぎをほぐしてくれて、思えばそれが、私がアロマに興味を持って、のちにアロマセラピーの資格を取得するきっかけでもありました。

 大会では、ダブルラウンドロビン(2度ずつ総当たりする予選)を3位で突破。勝てば世界選手権につながる準決勝の相手は、のちに平昌五輪(2018年)で"メガネ先輩"の愛称で日本でも親しまれることになるキム・ウンジョン選手率いる韓国でした。

 かなり緊張した試合でしたが、なんとか主導権を握って勝利。決勝進出を果たすと同時に、世界選手権の出場権を得ることができました。勝った瞬間は、うれしいというより心からホッとして、涙が出てきました。

 どちらかと言えば、私は勝った試合よりも負けた試合のほうが、鮮明に記憶に残っているのですが、この大会に関しては、決勝で中国に負けて悔しかったことより、世界選手権の出場権を獲得した準決勝で勝てたことのほうが印象的でした。勝って泣くのは、本当に珍しいことです。

 改めて振り返ってみると、この頃の中国代表のスキップは王氷玉(ワン・ビンユウ)さんという世界でもトップのカーラーで、もう少し世代が下になる韓国のキム選手や私よりも、一枚も二枚も上手でした。

 王さん率いるTeamChinaは、筋肉や体格がいわゆる「アスリート!」というより、身長もそこまで高くなく、私たちと同じような小柄なチームだったのですが、ソフトウエイトなどのスイープを使った繊細なショットがうまく、アジアチームでも世界で戦えるということを証明してくれたチームです。王さんがアジアで初めて世界選手権で優勝し、それを筆頭に、そこから韓国、そして私たち日本もオリンピックやグランドスラムなど、世界で活躍し始めることができたように感じます。

 残念ながら2018年で現役引退を表明して、今は中国国内でのカーリングの普及、発展に携わっていると聞いています。

 また、このPACCも2022年からはパン・コンチネンタル選手権(PCCC)へと拡大。第1回大会では、私たち日本代表(ロコ・ソラーレ)が優勝を飾ることができました。昨秋行なわれた第2回大会で頂点に立ったのは韓国代表で、キム・ウンジョン選手のチームではなく、今季絶好調のキム・ウンジ選手率いるチームでした。

 この10年でアジアの勢力図もだいぶ変わったなと思いますし、同時に私も随分と長くプレーしてきたんだなと実感しています。

【軽井沢アイスパーク完成と、なくなった思い出の場所】

 2012−2013シーズンは、ワールドツアー初優勝、PACC準優勝、日本選手権3連覇、世界選手権初出場と、充実したシーズンではありました。そしてその最後に、私にとっても、日本のカーリングにとっても、とても大きな出来事がありました。

 2013年3月、軽井沢アイスパークが完成したのです。

 通年型のカーリングホールとしては、日本最大の6シートを完備。私たち中部電力も、ホール完成後のこけら落としの大会として行なわれたエキシビションマッチに出場するなど、お祭りムードを味わいました。カーリング体験やオープン大会も始まり、実際に足を運んでくれたファンの方はご存知かと思いますが、2階の『ふれあいホール』などで開催されるイベントも増えました。

 ただ、新しいホームリンクができてうれしい気持ちと同時に、『スカップ軽井沢』がなくなった寂しさも感じていました。

 間違いなく10代後半の私がいちばん練習した場所であり、私を成長させてくれたアイスでもある『スカップ軽井沢』。鉄骨が張り巡らされたアーチ状の屋根も、ストーンが滑る時に響く大きな音も、大会の時に大会事務局や審判室として使った「金魚鉢」と呼ばれていた部屋も、本当に懐かしくて愛おしいです。

 小さな頃から憧れていたジェニファー・ジョーンズ選手(カナダ)と初めて対戦したのも『スカップ軽井沢』でした。2点リードで最終エンドを迎えて「勝てるかも!」と思ったら、最終エンドにしっかり3点取られて逆転負けしてしまいましたが、大切な経験になってくれました。

『婚活カーリング』みたいなイベントも開催されて、みんなで練習終わりにそのポスターを見つけて「うちらも参加してみようか」と冗談半分に話していたけれど、「でも、たぶん場違いだよね」という結論になったり......。たくさんの思い出があります。

 今、『スカップ軽井沢』は、温水プールやジムとして営業しています。ちょうど「金魚鉢」のところは採暖室になっていたりと、当時の面影もまだ残っていて町民以外も利用できるので、興味のある方はぜひ足を運んでみてください。

藤澤五月(ふじさわ・さつき)
1991年5月24日生まれ。北海道北見市出身。高校卒業後、中部電力入り。日本選手権4連覇(2011年〜2014年)を果たすも、ソチ五輪出場は叶わなかった。2015年、ロコ・ソラーレに加入。2016年世界選手権で準優勝。2018年平昌五輪で銅メダル、2022年北京五輪で銀メダルを獲得した。趣味はゴルフ。

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