天龍源一郎、柴田勝頼との激闘後に謎のひと言 ケンコバが真相を本人に探るも「聞き取れなかった」

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2024年01月19日 11:01  webスポルティーバ

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ケンドーコバヤシ

令和に語り継ぎたいプロレス名勝負(11) 後編

(中編:天龍源一郎が「あん時の男か」 柴田勝頼に勝利した試合中のサムズアップ>>)

 ケンドーコバヤシさんが振り返る、2004年11月13日に大阪ドームで行なわれた天龍源一郎と柴田勝頼の一戦。その試合で天龍が何度も繰り出した必殺技、「53歳」にまつわる謎について語った。

【「あれは51歳だ」】

――この一戦に残る、最後の「謎」について教えてください。

「それは、先ほど(中編)も話した、天龍さんが柴田選手をエプロンから場外に落とした必殺技『53歳』についてです。

 柴田選手はその技を受けて大ダメージを負い、その後に天龍さんがパンチからフォール勝ちするフィニッシュへつながりました。当時24歳の柴田選手は、棚橋弘至選手、中邑真輔選手と3人で『新闘魂三銃士』として会社から売り出されていたんですが、この試合でアゴを骨折して長期欠場に追い込まれた。結果として『新闘魂三銃士』はバラバラになり、自然消滅してしまいました。

 柴田選手にとっても新日本プロレスにとっても大きな痛手となったエプロンからの53歳だったわけですが、後日、プロレスの専門誌にこの試合についての天龍さんのインタビューが載っていて。そこで謎の発言をしていたんです」

――どんな発言だったんですか?

「記者の方からの『あの時、どういう気持ちで柴田選手に53歳を打ったんですか?』という質問に、天龍さんは『あれは51歳だ』と答えていたんです」

――えっ⁉ あの技は53歳じゃなかったんですか?

「そうなんです。あのエプロンからの荒技は『51歳』という新たな必殺技だったそうなんですよ。ただ、なぜ53歳ではなく51歳なのか......その理由について、天龍さんは現在に至るまで口にしていないんです」

――どうして2歳若い「51歳」になったのか......確かにこれは謎ですね。

「これは俺の個人的な推理なんですが......リング場外の床から、柴田選手が投げられたトップロープまでの高さが2mくらいだと思うので、53歳からその2mを引いて51歳になったという説。ただ、高さだったら足さないといけないとも思うんですよね。

 もうひとつは、54歳だった天龍さんが柴田選手の闘いっぷりを認めて、『フレッシュな試合ができて気持ちよかった。今の若いヤツでもあんな男がいるのか。俺も若返った』といった気持ちになったのか。ただ、それでもなぜ51歳になったのかの答えにはなっていない。俺も考えを巡らせてこれらの説を唱えてはいるんですが......真相は藪の中ですね」

――ちなみに、先ほど(中編)話していただいた福井県出身者だけを集めた特番で天龍さんとお会いした時に、その真相を聞かなかったんですか?

「もちろん、その時もお聞きしましたよ。ただ、天龍さんが何とおっしゃっているのかわからなくて......。聞き取れなかったんですが、俺は『ですよね』とうなずいてしまったんです。そうしたら、天龍さんは『ウン』と満足げな様子になって。せっかくのチャンスだったんですが、それっきりになってしまいました」

――奇しくも、2004年に行なわれたこの試合から今年で20年。解き明かさなければならないマット界の謎ですね。

「この謎の答えをご存じの方がいたら、ぜひ教えていただきたい。もちろん、俺もまた天龍さんにお会いできる機会があれば、今度こそしっかり聞き取りをしたいと思っています」

【柴田のポリシーに「心惹かれる」】

――それにしても、今回お話しいただいた秘話からも、ケンコバさんの天龍さんへの愛、敬意を強く感じますね。

「この連載でも何度か言っていると思いますが、俺は天龍さんが全日本プロレス時代に『第三の男』と呼ばれている頃から好きでした。生き様、闘う姿などはもちろんですが、俺が最初に好きになったのは、試合中に全日本のレスラーとは思えないつぶやきを聞いた時です。

 天龍さんはボディスラムで叩きつけられた時などに、『クソッ』とか『ファッ○○!』とか言い出すんですよ。アメリカの方からすると使い方が合っているのかはわかりませんが、ラリアットを決めてFワードを発して中指を立てる。そんな姿に惹かれました」

――反骨精神の塊ですね。

「あと、昔のレスラーらしいレスラーと言える、最後の方なのかもしれませんね。これは昔、アメリカやカナダなどで活躍していたミスター・ヒトさんに聞いた逸話なんですが......。

 若き天龍さんのアメリカ修行時代、すでにアメリカのリングに上がっていた年上のヒトさんがお世話していたようで、天龍さんが住むアパートが決まっていなかった時に、ヒトさんが『俺のキャンピングカーを使え』と"仮住まい"として提供したらしいんです。そうしたらある日、昼頃になってもキャンピングカーから天龍さんのいびきが聞こえてきて、『いい加減に起きろ』と後部座席の観音開きのドアを開けたら......。一緒に金髪の女性が4人も寝ていたそうなんですよ(笑)」

――なんとも豪快なエピソードですね!

「住むアパートもない時期に、先輩のキャンピングカーに4人も女性を連れて帰るなんて、めちゃめちゃカッコいいじゃないですか。今の時代だとどう言われるかはわかりませんが、あの時代を象徴する最後のレスラー。それが天龍源一郎という男。本当に大好きです」

―― 一方の、柴田選手に関してはどう見ていましたか?

「柴田選手も、ヤングライオンの頃から大好きです。デビュー後に一度、話をさせてもらったことも覚えています。殺気をまき散らす空気感など柴田選手が好きな理由、『これからこんなレスラーになっていってほしい』というイメージを伝えたら、『勉強になります』と真っ直ぐな目で答えてくれました。

 その後は、新日本を退団したり、総合格闘技に挑戦したり、大きなケガで長期欠場もあったりと紆余曲折でしたね。ただ、さまざまな苦難を乗り越えて、本物のレスラーになったように感じます」

――柴田選手も、「レスラーらしいレスラー」と言えるかもしれませんね。

「柴田選手はバラエティー番組への出演を断りますよね。これはレスラーによってさまざまな考えがあると思いますし、そういった番組に出ることでプロレスを多くの人に広めるという側面もあると思います。ただ俺個人としては、バラエティー側の人間から見ても、そこに背を向ける柴田選手のポリシーに心惹かれるところがありますね」

――だからこそ、あの大阪ドーム大会での試合は、ケンコバさんにとっても大きな一戦だったんですね。

「天龍源一郎、柴田勝頼、ケンドーコバヤシ。あの日、3人をつなぐ何かがあったことは確かですね」

【プロフィール】
ケンドーコバヤシ

お笑い芸人。1972年7月4日生まれ、大阪府大阪市出身。よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属。1992年に大阪NSCに入学。『にけつッ‼』(読売テレビ)、『アメトーーク!』(テレビ朝日)など、多数のテレビ番組に出演。大のプロレス好きとしても知られ、芸名の由来はプロレスラーのケンドー・ナガサキ。

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